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――ッ!


 フィミアの甘美な口づけを受けた途端、痺れに似た感覚が全身を走り抜けた。頭の中が急激に熱くなって、まるで霧のかかったように思考がぼやけてくる。


――すぐに引き離さなきゃ……。


 心では分かっていても、体が反応しない。むしろ、四肢に力がこもらなくなってしまった。脱力してしまったボクに対し、彼女は翼のような両手を押さえつけていた腕から離すと、草の上に寝そべっているボクの背中へと回し、優しく抱き締めてくる。フカフカの羽毛と女の子らしく柔らかい体が、ピッタリと密着してきた。その心地よい感覚に揺さぶられ、頭は更に考える力を奪われていく。仄かに甘い芳香もまた、その状態に拍車をかけていた。一向に抵抗しないボクに対し、フィミアは夢中になっていっそう舌を絡ませてくる。


――いっつも、こうだ。


 夢見心地のまま、ボクは自虐の言葉を心中で呟いた。ちょっかいを出してくるなと、邪魔をしてくるなと、彼女に激怒してきた事は今まで何度もあった。けれどその度、いつも最後はこのように、フィミアからのキスで曖昧なまま終わらせられてしまったのだ。その事自体について不満を伝えようとも勿論思った。しかし、毎回のように口付けを拒めない自分を省みると、彼女の方を責める気にはどうしてもなれなかったのだ。むしろ、ボク自身の方に非があるような感じが何故かして、このような出来事が起こった夜はいつもベッドの中で自己嫌悪に陥っていた。フィミアの方が悪いのは明らかだと自分でも思っているのに、どうしてこのような気持ちになってしまうのか、全く訳が分からないのだけれど。初めてキスをされたあの日だって、そうだった。


――あの日?


 霧がかかったままのボクの脳内に、ふと過去の記憶がよみがえっていく。






 ある晴れた夕方。村にほど近い林の中に、ボクとフィミアはいた。確かこの時、ボクは珍しくカンカンに怒っていた。幾度となく他の魔物との交流を妨害してくる彼女に対し、遂に堪忍袋の尾が切れたのだ。


「もう、フィミアとは遊ばない!」


 まだ十歳にも満たなかったボクは、激しい口調で彼女を怒鳴った。それだけ、頭にきていたのだ。どうしてかというと、ボクが先ほどまで一緒にいた魔物は元々気性が大人しい痺れウサギの赤ん坊で、そんな相手に彼女は容赦ない風魔法を放ったからだ。間一髪で親ウサギが子を庇った為に大事に至らず済んだが、当たり所が悪ければ致命傷になっていたに違いない。


「絶対に口もきかないからね! お母さんが作ったお菓子も分けてあげないから!」


 あまり強く物事を言わなかったボクが、何時になくもの凄い剣幕でまくし立てたからだろう。フィミアの方も、ボクがどれだけ激怒しているか理解出来た様子で、


「ちょ、ちょっと驚かしたかっただけで……」


 と、下を向いてボソボソと言う。だが、今度ばかりは簡単に許すつもりはなかった。


「うるさい! もう、どっか行ってよ!」


 しかし、フィミアはその場を一歩も動かなかった。そのまま、ギクシャクした時間が流れ続ける。時折、雲の隙間からオレンジ色の光が射し込んできたが、ボクの高ぶった気持ちを癒すには至らなかった。


 やがて、幼いハーピーは顔を俯けたまま、ポツリと言う。


「良い事してあげるから……許してよ」


「良い事って何さ」


 フィミアを睨みつけたまま、ボクは尖った口調で詰問する。だが、ここで僅かでも興味を持ってしまった事が、今にして思えば運の尽きだったのかもしれない。彼女はボクの質問に、


「ルハーヴィさんが教えてくれた事」


 とだけ答えた。ルハーヴィとは近くの森にしばらく居着いていた大人の女性のハーピーで、この時にはもう、再び外の世界へと旅立っていた。フィミアはルハーヴィにひどく懐いていて、様々な話や知識を彼女から教えてもらっていたのだ。


「それだけじゃ分かんないよ」


 ボクは眉を潜めて、更に問い詰める。


「具体的にどんな事さ」


「許してくれる?」


「まだ決めてない」


「許してくれるなら教えてあげる」


「許すかどうかはどんな事か聞いてから!」


 こんな調子で、話し合いは平行線の一途を辿った。そして、一向に埒があかない喧嘩に疲れ、ルハーヴィがフィミアに教えたという『良い事』に少なからずの興味を抱いてしまっていたボクはとうとう、


「分かった……許すから教えてよ、その良い事ってやつ」


 と、今にして考えれば自殺行為にも等しい発言をしてしまったのだった。


「……本当に許してくれる?」


 ずっと下を向いていたフィミアが、そこでようやく顔を上げる。その時の彼女はしんみりとした表情をしていて、それもまた、ボクのささくれだった心を和らげる事に一役買っていたのだろうと思う。


「許すよ」


 ボクは小さく頷いて、


「でも、次からはもうしないでね」


「……ありがとっ」


 そこでようやく、フィミアは嬉しそうにニッコリと笑った。向日葵のように眩しい笑顔を見て、心がほんの少しだけときめく。ボクはその僅かな動揺を隠すように口を開いて、


「で、早く教えてよ。その良い事ってやつ……フィミア?」


 彼女が何も言葉を発せずに近づいてきたので、ボクは狼狽えた。名前を呼んでも、彼女は無言のまま、口元に少しだけ恥ずかしげな笑みをたたえていた。やがて、お互いの体がもう少しで密着するところまで迫り、ボクの心臓が強く脈打つ。


 そして、次の瞬間。




 顔を淡い朱色に染めたフィミアが両目を閉じ、ボクの唇に自らのそれを重ねてきた。




 名前だけは知っていたその行為に、ボクは驚愕して目を見開く。


――キス。


 様々な感情が入り乱れて混乱した脳内に、その二文字だけがハッキリと浮かんだ。


 だが。心地よい感覚に浸る暇は、殆ど無かった。何故なら、ドサッと荷物を地面に落としてしまう音が耳に届いてきたからだ。慌ててボクはハーピーを自分の体から引き離し、後ろを振り返る。


――あっ。


 少し離れた場所に呆然と立ち尽くす、一人の少女。その姿を目にし、ボクは絶句した。何しろ、眼前の女の子は、ボクがずっと仄かな好意を寄せていた、初恋の相手だったのだ。


――何か、言わなきゃ。説明しなきゃ。


 その一心でボクは言葉を探したが、頭が真っ白で何も思い浮かばない。そうこうしているうちに、少女は自分の顔をボクから遠慮がちに背けると、困惑した口調で呟くように言ったのだった。




「エリット君、そういう趣味だったんだ……」




 こうして、ボクの儚い初恋は終わりを告げた。そして、この出来事に味を占めたらしいハーピーは、ボクが怒る度に同じ方法を取るようになったのだった。






 回想を終えたボクの意識は、瞬く間に覚醒した。


――そうだ、ここで折れちゃったら駄目だ!


 緩みきっていた決意の炎が、再び心の奥底で激しく燃え上がり始める。感情の勢いそのままに、ボクはフィミアを自らの体から押し退けた。


「キャッ!」


 急にバランスを崩したせいか、彼女は小さく叫び声を上げながら後ろへと飛び退く。その隙にボクは立ち上がり、戸惑った面持ちのハーピーに向かって、真剣な口調で言った。


「フィミアには悪いけど……でも、ボクはもう決めたんだ。お父さんみたいな立派な魔物使いになって、この村に帰ってくるって」


 フィミアは不思議そうに首を傾げながら、


「だから、アタシが一緒についていってあげるって言ってるじゃない」


「フィミアと一緒じゃ駄目なんだ」


「どうして?」


「それは……どうしても駄目なの!」


 率直な疑問をぶつけられ、返答に窮したボクは両目を瞑って叫び、彼女に背を向けた。そして、


「絶対についてこないでね!」


 と、最後に強い口調で言い放った後、返答も聞かずにズンズンと歩き始める。


「ちょ、ちょっと! エリット!?」


 後ろからフィミアが慌てた様子で声を掛けてくるも、ボクは無言で林の中を進み続ける。いくらフィミアだって、ここまで拒絶されれば追いかけてはこないだろう。そんな考えが、自分の中で固まりつつあった。




 しかし、その認識は甘かったのだと、ボクはすぐに気づかされる事になる。

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