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『お父さんとお母さんへ。
こんな手紙を残して急に家を出ていき、本当にごめんなさい。
突然ですが、ボクは旅に出る事にします。
今まで、ずっと悩んでいました。お父さんもお母さんも気にしないでいいと言ってくれたけど、それでもボクは将来の事が不安でならなかったのです。同じ年のみんなと比べて、ボクは魔物使いとして遙かに出遅れています。
みんなのボス格であるゴージは殴りあいをした若いミノタウロスをずっと前から子分にしてますし、隣に住むミーティだってグリフィンの赤ん坊と仲良くなったみたいです。他のみんなも、それぞれ順調に夢へ向かって進んでいます。
一方で、ボクはまだ一匹も魔物を使役出来ないままです。
他の職業を目指す事も、勿論考えました。でも、ナチリ村出身の人間は今まで全員が魔物使いとして生計を立ててきたと聞きます。ここでボクが違う仕事を選べば、魔物使いとして名を馳せたお父さんの経歴に泥を塗ってしまうと思うし、お母さんだって友達と顔を合わせずらくなるのではないかと思うのです。
だから、ボクはこの村を出る事にしました。でも、夢を諦めたわけではありません。絶対にお父さんのような立派な魔物使いになって、この家に帰ってきます。
その時まで、さようなら。エリットより』
林の中を吹き抜ける風が肌寒く感じられ、ボクは自然と両手を組んで身を庇った。今まで真夜中に出歩いた事がなかったせいか、虫の音が澄み渡るほどに静かな空気が新鮮でもあり、一方で先行きの見えない不安感をも強く煽ってくる。
「……でも、当たり前といえば当たり前だよね」
心寂しさを紛らわすように、独りポツリと呟く。子供でなくとも未だ眠っているであろう時間帯だ。こっそりと抜け出してきた家にいる両親も、恐らくはグッスリと夢の中だろう。テーブルの上に置いてきた手紙に気がつくのは、朝日が昇り始める頃か。
――お父さん、お母さん。
胸の中で呼びかけた途端、深い罪悪感が押し寄せてくる。ボクは自然と歩みを止め、進んできた獣道を振り返った。鬱蒼と茂る大自然の向こうに、自分が生まれ育った村の建物がいくつも立っている。その光景を忘れまいと目に焼き付けていると、今すぐに引き返したいという抑え難い衝動が不意打ちのように胸を締め付けてきた。ふと、母が作ってくれた美味しい手料理が脳裏によぎる。大好物だったアツアツのハンバーグにトロトロのオムライス、そしてフワフワのホットケーキ。一人前の魔物使いになるまで、どれくらいの年月がかかるだろう。三年、五年、下手すれば十年以上もこの地へは帰ってこられないかもしれない。
――もう二度と、お母さんにもお父さんにも会えないかも……。
無意識のうちに来た道を歩きだそうとしてしまい、その事に気がついたボクは慌てて踏みとどまった。
――いーや、ダメダメ。あそこにいたら、いつまで経ってもマトモな魔物使いにはなれないんだ。
家を出発して数十分。早くも芽生え始めたホームシックの念を振り切るように、ボクは頭をぶんぶんと振る。ボクが魔物使いとして大事な一歩目すら踏み出せない原因は、あの村にある。
――アイツと同じ場所にいる限り、ボクの将来はお先真っ暗なんだ。アイツはここに居座り続けるだろうし、それならボクが出ていくしかないじゃないか!
全ては、村の皆に追いつく為、立派な魔物使いになる為だ。決心を新たにしたボクは、慣れ親しんできた故郷に背を向け、自分の目標へ向け歩きだそうとした。
だが、その時だった。
「あー! やっぱりエリットじゃない!」
よりによって、アイツの嬉しそうな声が後ろから耳に届いてきた。
――えっ?
まさか、そんな筈はないという思いが真っ先に浮かんだ。ボクが通っている林は村から出ていく道を少しはずれた場所。そして、アイツが縄張りとしているのは真逆の方向。村民と人懐っこい魔物達が沢山の出会いを育んできた大自然地帯なのだ。テリトリー外であるこの場所へ、わざわざ羽を伸ばしに来る筈が無いではないか。きっと幻聴だ。そうだ、そうに違いない。無理矢理に自分の心を落ち着かせながら、ボクはあくまで確認の為にと振り返る。
だが、そのささやかな希望をあっさりと打ち砕いたのは、木の枝に腰掛けて佇む、一羽の魔物の姿だった。頭だけ見れば人間のようにも思えるが、その両腕は鳥の翼のようになっていて、顔以外は白い羽毛と衣服で覆われ、手足の先には鋭い鍵爪が備わっている。
――ハーピー。
知識ある人間はそう呼び、彼ら自身もそう名乗る。
「ねー、エリット。こんな時間に家を抜け出して、どこへ行くつもり?」
ハキハキとした声で訊ねながら、彼女は両手をバサバサとはためかせ、ボクの目の前へと降り立った。背丈は殆ど変わらないので、お互いの顔がちょうど同じくらいの高さになる。そのパッチリとした明るい緑色の瞳でボクを真っ直ぐに見つめると、彼女はニッコリと笑った。その魅力的な表情を目の当たりにして、ボクの顔は自然と熱くなる。確かにハーピーとはいえ、彼女は人間の女の子と比べてもとても可愛らしい顔立ちをしているのだ。それもまた、今までボクが散々に振り回された遠因だったりする。そこまで考えてふと、ボクは現状の事態がかなりヤバい事を再認識した。
――このままだと、せっかくの決意が無駄になっちゃう。
「フィ、フィミアには関係ないよ」
意を決して、ボクは突っ慳貪な口調で言った。すると、彼女は何か閃いたような顔つきで、
「もしかして、皆に内緒で旅に出たりとか?」
「なっ……!」
ズバリ言い当てられ、ボクは思わず狼狽える。それが図らずも答えになってしまったのだろう。フィミアは地面から少し飛び上がって、
「あー! やっぱりそうなんだ! いっけないんだー!」
このままペースに乗せられると更にマズい。ボクは彼女に背を向けて、
「とにかく、ボクの事はもう放っておいてよ」
と、返事も聞かずに歩きだそうとした。しかし、その矢先。
「えー! アタシもついていく!」
不満げな声と同時に、フィミアが後ろからその翼のような両手で背後からボクを引き留めようとする。忽ち、前進しようとしていたボクはバランスを崩して、
「うわっ!」
ドテッ。そんな擬音語と共に、盛大に地面の上に転んでしまった。慌てて起きあがろうとするが、時既に遅し。腹の上に乗ったハーピーが、ボクの両手を押さえつけていた。
「何するんだよ! ボクは一人で旅に出るんだ!」
苛立ちの声を上げると、フィミアは不思議そうに目をパチクリとさせて、
「でも、村の外は人間慣れしてない魔物だらけだよ? 魔物使いなのに魔物を従えてないエリットだけじゃ危ないよ?」
「そ、それは」
一瞬だけ言葉に詰まった後、ボクは心の中にくすぶっていた激情を凄い勢いで吐き出した。
「それは! ボクが魔物と仲良くなろうとすると、いつも君が邪魔しにくるからじゃないかっ!」
そう。ボクがいつまで経っても魔物使いになれなかった理由。その主な原因は眼前の見かけだけは可愛いハーピーだったのだ。
村奥にある自然豊かな場所には、長い年月を掛けて村の人々と友好を育んできた魔物達が暮らしている。ナチリ村の若者はまず、そこで自らと生活を共にするパートナーを見つけるのだ。だが、フィミアはボクが他の魔物と仲良くしていると、決まって酷いちょっかいを出してきた。そんな事が何度も何度も相次いだお陰で、ボクはとうとう魔物達から距離を置かれる厄介者のような存在に成り果ててしまったのだ。ボクが村を出たかった理由の一つは、このハーピーを自分の側から遠ざけたかったからである。
しかし、ボクが怒りから叫んでいるのにも関わらず、フィミアはあっけんからんとした表情で、
「だから、いつも言ってるじゃない。アタシがエリットのしもべになってあげるって」
「イヤだよ! 君みたいに乱暴で意地悪なハーピーは!」
「……ん」
流石に気分を損ねたのか、彼女はしかめっ面になって唇を尖らせる。
「ヤダなあ、そんな風に言われるの」
「だって、本当じゃんか!」
「……もう、まだそういうヒドい事言うなら」
「え……ちょ、ちょっと。や、やめ」
彼女の言葉に危険を感じたボクは、慌てて口元を庇おうとする。だが、ボクの両手は彼女によって押さえ込まれたままだった。そうこうもがいているうちに彼女の上半身がゆっくりとボクに覆い被さってきて。
「……口、塞いじゃうからね」
うっとりとした表情で、艶めかしくそう告げた後。
フィミアはボクの口を、自身の唇で優しく塞いだ。