初めての共同作業?
アタシは、また、エフィル・オース・イーヴォル子爵邸にやって来ている。隣には義賊・朧の月ことアッシュも同じように立っていた。
こそこそ木の上から屋敷を見ているだけなんだけれどね。アッシュが言うには予告状とのタイミングを計っているらしいわ。
ここに来る前に、アッシュは治安部隊の詰め所に寄って予告状を出していた。もちろんここについてからこの屋敷にも。アタシは今まで義賊たちが予告状を出すのがいまいち理解できなかったのだけれど、アッシュが言うには"美学"なのだそうだ。やっぱりよく分からないわ。それでも先に犯行を予告することによって警備隊が操作しやすくなるし、義賊によってもたらされた情報は馬鹿に出来ないものが多いから、治安部隊が現場に向かうのはその相手をマークするって意味合いもあるのだって。
何度か柄の悪い男たちがアタシたちの足下を通っているけれど、気付く気配はまるでない。
ある意味子爵に同情するわよ、アタシは。この程度の手駒しか持ってないなんて。
「.........来た」
アッシュの言葉に、アタシはふっと顔をあげた。
門の外から警備隊らしき男の声が聞こえてきて、屋敷内から使用人が出てきた。
「私は王都治安維持部隊第二番隊所属のカール・リプソンと申します!」
「同じく二番隊所属のエリック・ファーマーです!」
「イーヴォル子爵にお目通りを!」
あら?エリック.........ああ、そう言えば彼は治安部隊だったわね。朧の月からの予告状で駆り出されたのね。
二人は使用人に案内されて屋敷内に入っていった。
「思いの外、彼らは優秀だね、ミーシャ。そう思わないかい?」
「思うけれど、ここで名を呼ぶのはやめてって何回言ったら治るのかしら」
「ごめんごめん。.........でもいい感じに邸内も混乱してる。そろそろ私は行くよ」
「アタシはあんたの合図で行動開始するわね」
突入時間を確認して、アタシはアッシュを見送るつもりだった。
けれどアッシュはちょっと興奮したような顔で振り返ってこっちを見るものだから、正直気味が悪い。
「.........」
「.........?何よ」
「あんたとか言われたの、私は初めてだよ」
どうでもいいのよ、そんなことは。
「さっさと行ったら?朧の月様。.........健闘を祈るわ」
「そちらも」
彼はそのまま、屋敷に正面から入っていった。目立つのは最後のひとつのあとだと言ったのに本当に理解してるのかしら。
作戦を詰めているときも思ったけれど、なんて自信家な男なのかしら。
アッシュが言った案、つまり今回の作戦は、盗みと同時に助け出しちゃえばいいという無計画極まりないものだった。
「つまりね。私が盗みを働いている間に、君がその、カミュ君だったか、を助け出せば、子爵側は私がやったと思い込むだろう?助け出したカミュ君を私が連れていって、そうだなあ。ファーマーあたりにでも保護させたらいい」
「それってアタシが目撃されたらダメじゃない」
「そうだね。でもミーシャはそういうの得意だろう?それに私も出来るだけ目立って君のサポートをするから」
それはサポートじゃなくて無謀というのよ。
アタシは自信満々に言う男にうろんな目を向けて、答えないでほしいと思いながらも質問した。
「アッシュ、それで捕まらない自信は?っていうかいつもそんなに目立つように盗みに入るわけなの?」
「あるに決まってるだろう。治安部隊の動きなんて目をつむっていても分かるよ」
「.........まず最低成功条件を考えて方針を決めるわよ。とはいっても、突発的な行動だから基本は臨機応変に行くしかないけれど。アタシにとっての最低はカミュが助けられないこと。アッシュは?」
「私は子爵の悪事の証拠を掴めないことだね」
「そう、じゃあアタシたちは最悪でもそれぞれこの2つは達成しなきゃいけないわ。アタシが誰にも気付かれないようにカミュを助け出すには、カミュのいる場所に誰もいなくなる事が必要なのだけれど」
「私が目立てば、少なくとも子爵は金庫を守らせようとするだろうから、いなくなるとは思うけれどね」
簡単に言うんじゃないわよ。そんな簡単に誘導されてくれるんなら、アタシが泥棒先を下調べしたり小細工したりする必要がないじゃない。
「普通そんな単純には行かないわよ」
「もし君のところに子爵が雇ったごろつきがいるようなら殺せばいい」
息が止まった。
「.........そんなことを言っていいの?」
あんたが?
それを口にしてはいけない立場でしょう。
「私は聖人君子じゃないからね」
肩を竦めて見せるアッシュに、アタシはため息をついて言葉を返した。
「まあいいわ。アッシュ、目立つ行動を取るのは金庫が最後のひとつになったらよ。窓を割るなりなんなりしてくれたら、それを合図にカミュを助けるわ」
「何故?最初から目立った方が君が動きやすいじゃないか」
「下手に連れ出されたら困るからよ。予告状を出す時点でその危険があるのに、更に可能性をあげたくないわ」
「ふむ、分かった。あとは個別行動としてどこでカミュ君を引き取ろうかな」
「隠し部屋のある客室で。アッシュに引き渡したらアタシはそのまま離脱する、で構わないわよね」
「それでいいんじゃないかな。ああ、そうだ。これなんだけれど使えるかな?これーーー」
今思い返しても作戦会議とは言えない会話だったわね。
アタシは、引き渡し場所である客室で気配を殺して合図を待った。暗い中でも分かる金ぴかの悪趣味な天井画がアタシを見下ろしているのが、ものすごく居心地悪い。
今のアタシは花のない花瓶より存在感がないだろう。一度だけエリックたち騎士がこの部屋に来たけれど、タンスの影に隠れただけでやり過ごせたのだし。.........まあ、少しそれでいいのか治安部隊、と思わなくはないけれど。
アッシュが突入してからどれだけ経ったのか。たぶんそれほど時間は過ぎていない頃に、寝室の方でガラスの割れる音がした。それと、高笑いも聞こえてくる。うわあ、朧の月ってこういうスタンスの義賊なのね。捕まえてごらんって.........。ほらほらこっちだよって、うわあ。
アタシはあまりの衝撃に少し呆けていたように思う。エリックの、ふざけんなてめえ!?という台詞に現実に戻されたくらいなのだもの。エリック、それはアタシも激しく同意するわ。
さて、そんなことは置いといて、叫び声が聞き取れるということは、声の主はそんなに遠い場所にいるわけではないということだ。早くしなきゃいけないわね。
アタシは極限まで気配を薄めた。
本棚が向こう側からずらされて、男が一人飛び出してくる。アタシのことはベットとタンスで死角になって見えない。
「ち.........なんだあこの騒ぎは.........」
声を聞いた、匂いが届いた。
その瞬間、アタシは少し殺気を洩らしてしまったわ。修行が足りなかったわね。それでも最後の抵抗として、アタシは気配を殺し続けた。
振り返った男は、その辺では優秀と言えたのだろう。部屋を見回すが読めない気配に首をかしげ、ぶつぶつ言いながら出ていった。
アタシは急いで隠し扉を開ける。体を滑り込ませるとき焦って左手をぶつけたが、動きに支障はないので放置する。一度目に来た時にはしなかった濃厚な血の匂い。.........酔いそう。もしこれがカミュのものだったらと、考えてからぞっとした。
階段をかけ降りるというよりは飛び降りているといった方がいい勢いで下った先は、小さな小さな部屋だった。内装は子供部屋、ぬいぐるみやおもちゃがたくさん置かれていて、天井は空色で、雲が描かれている。そして壁には手枷のついた長い鎖が数本。あまりにもイカれた、この光景。
中央におかれた丸いその物体を見る。
白い布でくるまれたそれはときどきピクリと動いてーーー
「み、シャ?」
泣きじゃくっているカミュが潤む目でこっちを見たと思う。呼ばれて振りかえると、呆然とこちらを見ているカミュが居た。
扉の死角に座り込むカミュは、両手両足を枷で戒められている。
怪我は、大きなものは見えないわね。
「カミュ、遅くなってごめんね。もう大丈夫だからね」
枷ごと抱き締めて背を叩く。目立った怪我はなくても擦り傷や、見えないところに打撲はありそう。でもそれよりも、この状況で心配なのはカミュの精神的な傷の方ね。
「み、ミーシャ?ミーシャ?あっのねえっ.........おれ、おれ」
「大丈夫よ、全部悪い夢。大丈夫、大丈夫だから。ね、カミュ、安心してお休み」
アタシはアッシュから受け取った薬を、カミュに嗅がせた。
即効性の睡眠薬なのだそうで、効き目がとても良い代わりに摂取した前後数日の記憶が曖昧になるらしい。アタシの正体を守るにはちょうど良いだろうって台詞とともに渡されたけれど、あんまり使う気はなかった。副作用も怖いし、あまりいい気がしないもの。
でもそれは、この男が、この子の前で生き物を虐待するなんて真似しなければの話だった。この男の考えなんて分かりたくもないけれど、そうやって見せて売られた先での扱いを刷り込んだのね。そうやって、泣くことすら出来なくさせて、体の自由を奪って。
かちりと音を立てて外れた枷を、カミュを抱えながら見つめた。
「ほんとにゲスね」
「誉めてくれてありがとよ」
顔も向けずに言えば、男は笑いを含む声で礼を言った。
ああもう、アタシも修行が足りないわ。あのとき少しでも殺気を洩らしていなければ、この男が戻ってくることはなかったのに。
「名高い朧の月が女だったとは知らなかったなあ」
ニヤニヤと.........気持ち悪い男。
後ろから斬りかかってきた男の剣から、カミュを守るようにして転がって避けた。避けられたことが意外だったのか男は目を丸くするけれど、余裕の笑みは崩さない。そしてアタシにも、この男の余裕を崩せる力なんて、ない。
「アタシは朧の月じゃないわよ?」
余裕ぶって見るけれど、おそらく看破されるだろう。アタシとこの男じゃ、地力も経験も天と地ほどに違うのだもの。
剣をチラチラと振ってアタシを脅しながら、男は距離を詰めてくる。カミュをそっと床に寝かせて、背に庇うように小剣を抜く。武器でもかなり差があるのよね。殺せばと簡単に言ってくれたけれど、どこをどうしたらアタシが人を殺せるように見えるのかしら。今の状況は正しく絶対絶命よ。
遊ぶように動く男の剣を、必死に受け流す。
重みに腕が痺れるけれど、左手で扱う小剣はなんとか全てをさばいてくれた。すでに刃は切れない状態まで来ていて、これじゃ盾としてもあと数合もてば良い方だろう。
「へえ?.........なあそいつ、渡してくれねえか。俺の飯の種にする予定だからよ」
「あんた人を食べるの?イイ趣味ね」
理解していてもあえて挑発的に言葉を放つ。
大きく距離を詰めてきた男にナイフを投擲して足止める。ナイフはキレイに叩き落とされて、踏み込んで振られた一閃に、小剣は根本から折れることになった。折れた刃はくるくると弧を描いて、カミュの近くに突き刺さる。あっぶなかった.........ナイフも投げるのはやめておいた方が良いわね。
一瞬それに気をとられたせいで、小剣を握っていた左手が捕まれた。
ぎりぎりと掴み上げられて肩が抜けそう。右手をナイフに伸ばそうとしたけれど、首に剣を添えられて断念する。
「さすがに人肉は食ったことねえが.........あんたなら別の意味で食ってもいいな」
本気で嫌よ。
出来るだけ負け惜しみに聞こえるように言ってやる。肩と腕が痛くてアタシが冷や汗をかいている分、自分の絶対的優位が確信できているだろう男に。
「食材にも選ぶ権利はあると思うわ」
睨み付けるも効果はない。
男は楽しそうに、獲物をいたぶる気満々なのだから。いたぶれると、思っているのだから。
首にあった剣が、赤い筋だけ付けて離される。剣の腹を掴みあげたアタシの腕に当ててから、男は力任せにそこを殴った。
っうあ"うっ.........!
悲鳴にもならない声が喉から漏れ、痛みから涙が溢れる。捕まれているだけで痛いのに、折られた腕はまだ男が持ち上げているせいで痛みが引かない。気絶すら許されない痛みが襲う。
下卑た笑い顔が近付いてきて、面白くて仕方がないように男は言った。
「ベットの上での料理は楽しいじゃねえか。なあ?」
あんたは楽しいかもしれないけれど。
「料理人は一流の方が良いって言ってるのよっ」
素早く右手を上げて、目の前で腕を振った。
アタシ以外にこの道具を持っている人間は居ないだろうし、アタシ以上に使いこなせる人間がいるわけない。
勢いよく飛び出した鍵開け道具は、アタシの狙いそのままに男の右目に突き刺さる。アタシの手のひらの長さより長く細い金具が目に突き刺さり、男は一瞬硬直した。アタシの手を掴んでた左手も緩んでいて、アタシは足を上げて男を蹴り倒した。
投擲したナイフを拾い上げて男に止めを指すと、アタシは、そのまま血が広がる室内に座り込んだ。
気を失いたいほど痛いけれど、気が高ぶっていて無理そうね。
カミュがぐっすり寝ているのを見詰めながら待っていると、アッシュは戦利品を詰めた袋を抱えながら優雅に姿を表した。
「大丈夫かい?」
アタシの様を見て顔を歪めた彼は、アタシにそう尋ねた。声は意外だと言わんばかりで腹が立つ。あんたが殺せと言ったのに。.........ああ、違うわ。これは責任転嫁。
「.........アタシは大丈夫よ」
結局アタシはこう答えた。
「そうだった。君は影屋、だったね」
「それより。.........カミュを頼んだわ」
「 分かってるよ。もうすぐファーマーが来るだろうからその前に離脱した方がいいね」
今はどうでもいいのよ、そんなこと。
そんな意思を込めて遮れば、アッシュは弱く笑って頷いた。アタシは左手を固定して、バルコニーから外へ身を踊らせた。すぐに後ろでエリックの叫ぶ声やアッシュの声が聞こえてくるけれど、歩くだけでも痛みが走るアタシに頓着できる余裕はない。
「あとは手筈通りに」
アッシュはたぶんそういったんだと思う。
けれどアタシがそれに気付いたのは涙目で家に帰り着いたあと。母さんに腕の治療をされたあとのことだった。