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※柊影視点
「陛下?」
不意に鈴を鳴らしたような凛とした声が聞こえ、柊影の意識は引き戻された。いつの間にか、昔の思い出に浸っていたらしい。
隣を見れば、貴妃が不安そうな様子でこちらを見ていた。と言っても、彼女は薄絹を頭からすっぽりと被っていて、顔までは窺えなかったのだが。
「ああ、済まない。少し考え事をしていた」
そう答える自分の声が、虚しく響く。
「貴妃、そなたは私の弟のことを知らないのか?」
彼女が、弟が謀反を起こしたと聞いて驚いていた様子を思い出して訊ねると、貴妃はコクリと頷いた。
「はい。申し訳ありません。私は世事に疎いのです」
「そうか。そなたは大切に育てられたのだな」
きっと、穢れた外の世界など何一つ知らずに、繭玉の中の蛹のように、慈しみ守られて育てられたのだ。
柊影の言葉に、貴妃はどこか気落ちした様子で俯いた。
「どうした?」
柊影が問うと、ポツリポツリと貴妃は話し出した。
「陛下の仰る通り、私は両親に大切に育てられました。体の弱い私がこうして恙なく生きてこられたのも、両親のおかげです。ですから、両親には本当に感謝しているのです。しかし、この広大な都へ出てきたとき、私はもっと多くのことを知るべきだったと思いました。右も左もわからず、自分一人では何一つできないと知ったからです。そしてこのままでは、陛下のお力にもなれないと」
「私の力?」
柊影が問い返すと、貴妃は「はい」と頷いた。その様子は健気であったが、同時に柊影をイラつかせた。こうして柊影の気を引こうとする女が、後宮には数多くいたからだ。貴妃に望んでいるのは、そんなしたたかな女になることではなかった。
だから柊影は貴妃の言葉を、フッと鼻で笑った。
「その必要はない。私はそなたに助けてもらわなければならぬほど、非力ではないからな」
柊影の言葉に、貴妃はハッとしたように顔を上げた。
「申し訳ありません」
貴妃はまたもや謝った。今日出会ってから、いったい何度目になるだろうか。
十六歳という、少女とも言える若さの貴妃は、全く自分に自信を持っていないようだった。
それ故に、柊影は後ろめたい気持ちになった。彼女が他の後宮の女たちのように、柊影に取り入ろうとするような娘ではないことはわかっているくせに、疑心暗鬼になってしまう自分がいる。
「気にするな」
取り繕うようにどうにかそう言うと、話はここまでとでもいうように、柊影は腰に佩いていた剣を抜き放ち、弟夫婦の墓の周りに生い茂っている雑草を薙ぎ払い出した。
柊影の他は誰も墓参りする者がなく、当然手入れをする者もない墓は、来るたびに雑草に浸食されそうになっている。
今手にしている剣は儀式用の装飾の派手なもので、決して実戦向きではなかったが、草を刈るくらいならどうにか役に立つ。工部や礼部の者が見たら泣いて止めるだろうが、柊影は気にしなかった。
貴妃はそんな柊影の様子を、しばし呆然と眺めているようだったが、不意にその場にしゃがみ込むと、せっせと草を抜き始めた。
ここに来るまでに貴妃と手を繋いだために、柊影は彼女の手がひどく華奢で、傷一つない滑らかな肌をした、とても綺麗なものだと知っていた。しかし貴妃はそれに構わず、素手で草を抜いているのだ。
「そなたは木陰で休んでいろ。手を怪我したらどうするのだ」
柊影の言葉に、貴妃は首を振った。
「陛下の弟君なれば、私の義弟ということです。私にも手伝わせてください」
そう言って、貴妃はせっせと手を動かす。その仕草は不慣れで、遅々としてはかどらないが、柊影の心を何故か温かくした。
口ではどうとでもいうことができる。しかし、実際に行動に移すとなると別だ。
草取りは、何せ手は草の汁と土で汚れるし、不快な汗をかく、嫌な労働なのだ。後宮の女たちなら、柊影の言葉に甘えて、さっさと木陰で休んでいるはずだ。それなのに彼女ときたら、嫌がるどころか進んで草取りをしているのだ。
「服が汚れるぞ」
柊影がそう言えば、貴妃は肩を竦めて笑った。
「侍女に怒られてしまいますね」
そう言いつつも、彼女は手を休めなかった。服にも頓着せず、せっかく与えた休む口実も、貴妃は使わなかった。
柊影は不意に、彼女の顔が見たいと思った。どのような顔で笑ったのか、どのような顔で草取りをしているのか。彼女が頭から被った薄絹を取り去って、覗いてみたかった。