2-7
※柊影視点
謀反が発生してから一日が経った。
その日の午後、煌娟が再び人払いを願い出た。柊影が天幕で応じることにすると、煌娟は早速栢影たちの情報を持ってやってきた。
だが、一歩天幕に足を踏み入れた煌娟は、訝しげな視線を柊影に投げかけた。
「陛下、よろしいのですか?」
煌娟がチラリと目線で柊影に訴えるように示したのは、柊影と共に卓に着いていた鄭啓と朱鷹翔、そして欧陽俊の存在だった。
煌娟は顔にこそ出さないが、なぜこの三人がここにいるのか、この三人に聞かせていいのかと、そう考えているのは間違いなかった。
だから柊影は煌娟にも卓に着くように促すと、説明のために口を開いた。
「この三人は余の信に足る」
短い言葉だったが、端的に柊影の考えを説明していた。柊影は、この三人の臣下だけは裏切らないと考えているし、故に将来彼らを疑って探ることも無いと考えているのだ。
弟が裏切ったこの状況では、はっきり言って、人を信じることが恐ろしくなっていた。血のつながった弟でさえ裏切るのだ。赤の他人ならばいつ裏切ってもおかしくない。
だが、ここでこの三人さえも疑うようでは、最早自分は皇帝として立つことなどできないと思った。
それに、三人に密偵の存在を明かすことは、利点もあるのだ。
啓と鷹翔、そして欧陽先生が柊影の信頼に足ると、敢えて煌娟に言ってやったのは、今の時点で他の者は全く信じていないということを言外に示すためでもあった。詰まる所、柊影が信頼しているのはこの三人のみで、煌娟も、新たに雇った密偵たちも、そして北狄の王のこともまだ信頼していないと煌娟に教えてやったのだ。自分たちが信頼されていないと教えられれば、彼らとて迂闊な行動はできなくなる。
柊影が彼らを雇うことは、柊影が北狄の王に探られる危険性も孕んでいた。柊影の密偵になる振りをして、こちらを探られては何の意味も無いのだ。それを牽制するために、部下にも密偵たちのことを把握させ、密偵たちに怪しい動きを取らせないようにしようというのである。特に鷹翔は、こういう影の者の動きでさえも的確に読むことができるため、そもそも密偵の存在を隠すこと自体が無意味なのだ。
また、鄭啓たちに密偵のことを把握させておけば、戦略として密偵を使う方法に、柊影一人では考え付かないような多様性が生まれる。その上、鄭啓たちが密偵を使うことで、彼らが柊影と密に連絡を取れるようにもなるのだ。
煌娟という女は、なるほど、呑み込みが早いようだ。わかったというように一つ頷いて、それ以上無駄なことは言わなかった。
「それではご報告を」
そう言って話し始めたのは、栢影たちが既に宮城を制圧したこと、栢影軍の兵の数、謀反の首謀者たちの名前と経歴、さらには後宮の妃嬪にも謀反に協力した者がいること等々、たった一日でよくぞここまでというほどの情報を、彼らは完璧に揃えてきたのだった。
また、鷹翔に密偵の存在を教えるならば、彼の力を借りて首謀者たちを捕えるべきだと、煌娟は提案してきた。それは柊影も考えていたことであり、煌娟は一瞬の状況判断も的確だと言えた。
柊影たちは煌娟の策に乗り、栢影・楊真を始め、この謀反に深くかかわった者を一斉に捕えることにした。方法は、密偵たちを先に忍ばせて北衙禁軍の精鋭を密かに先導させ、一気に押さえるというものだ。密偵の報告では、謀反者たちの多くが宮城に集合しているという。そこを突いて、彼らを捕えると同時に宮城を奪還するのだ。
鷹翔は早速北衙から精鋭を選り抜き、小さな班を編成し始めた。また、作戦の実行は日没後、闇に乗じて行われることとなった。
準備が整うのを待つ間、柊影は煌娟に二つほど指示を出した。指示を聞いた煌娟は僅かに驚いたようだったが、すぐに頷くと、鷹を飛ばすために外へ出て行った。
そうして準備は着々と進められ、ついに日没の時を迎えた。
北衙禁軍の精鋭たちは、身軽な服装に最小限の武器を持ち、斥候であると説明された密偵たちに従って、班ごとに宮城に潜って行った。
また、鷹翔と煌娟の二人は、最も梃子摺るであろう栢影のもとへ向かった。いくら禁軍の精鋭といえど、鷹翔と煌娟の足手まといになりかねないため、敢えて二人だけで行かせた。それだけ侮ってはならない腕前を栢影が持っていることを、柊影は知っているからだ。
部下たちを動かした後、柊影は残りの北衙禁軍全てを率いて朱雀門へゆっくりと向かった。朱雀門は閉ざされ、その前に南衙禁軍が立ちふさがっていた。策が成るまで、柊影たちは南衙を引きつけておく必要がある。
相対峙した両軍は、睨みあうように動かなかった。先の反乱でさえ回避された南北両禁軍同士の戦いが起きてしまうのではないかという、ピリピリとした気配が辺りに満ちた。そんな中、柊影は静かに時を待っていた。
そうして半時ほど待っただろうか。不意に、ピィーと夜空を突き抜ける鳥の鳴き声が聞こえ、柊影のもとに一羽の鷹が舞い降りた。闇の中でも迷いなく飛ぶとは、余程訓練されているのだろう。
煌娟によって放たれた鷹は、策が成ったことを示していた。
柊影は鷹を肩にとまらせたまま、馬を前へ進めた。
柊影に気が付いた南衙兵たちは、手にした武器をギュッと握り構えた。
「お前たちは今、どなたに武器を向けていると思っている!」
柊影の隣に馬を並べた龍武軍の将軍が良く通る声を上げた。北衙禁軍では鷹翔に次ぐ地位にある男で、羽林軍とともに北衙禁軍の双璧をなす龍武軍を率いる者だ。
「皇帝陛下に刃を向けるというのならば、お前たちは賊軍とみなして打つぞ!」
将軍の言葉に、南衙兵は怯んだ。もともと北衙と南衙は兵力に大きな差は無かったが、南衙は先の反乱の際に貴族勢力に利用され貴族側に付いていたため、反乱後は北衙よりも弱い立場に立たされていた。それに不満を抱いた南衙の将軍たちが、今回の謀反で皇弟側に付き、地位の向上を狙ったのだろう。
「良く聞け!お前たちの謀反は失敗に終わった。それでもなお武器を取る者はこの場で切り捨てる」
謀反の失敗と言う言葉に、信じられないという声があちこちから上がった。だが、次の瞬間、閉じられていた朱雀門が内側から開かれたのだ。
「陛下、お待たせいたしました」
朱雀門の向こうには鷹翔が立っていた。彼の剣は血にまみれることは無く、無血で城の奪還が成ったことを如実に示していた。
羽林軍将軍の姿を見た南衙軍は、自分たちが再び、刃を交えずして北衙に敗北を喫したことを悟ったのだった。




