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雪梨の散るころ、君と  作者: 史月ナオ
第四章
44/67

2-5

※柊影視点

「謀反にございます!」


 深夜、柊影の寝殿に駆け込んで来た武官が叫んだ。

 人の気配を察して既に目を覚ましていた柊影は、謀反という言葉に息を飲んだ。


「誰が謀反を」

「皇弟殿下にございます!」


 一層頭を低くして告げる武官をよそに、柊影は何かの間違いではないかと思った。

 だが、そこに「柊影!」と声を上げて駆け込んでくる者があった。

 武官は身構えたが、すぐに手にしていた剣を下ろした。やってきたのが朱鷹翔だったからだ。


「ここは囲まれている。逃げるぞ」


 鷹翔の言葉に、柊影は「どういうことだ」と問いかけていた。


「栢影が楊真と組んで、謀反を起こした。今はこれ以上話している暇は無い!行くぞ!」


 鷹翔は柊影に剣を握らせると、自身が先導しながら寝殿を出た。

 普段は冷静な柊影だが、この時ばかりは思考が停止して全く動かなかった。

 なぜ?なぜ弟が?

 疑問ばかりが頭を駆け巡り、一向に答えが出ない。


「南衙が裏切りやがったせいで、宮城は完全に包囲されてる。だから強行突破するしかない。羽林軍は既に準備をさせている。城の北から一気に外へ出るぞ」


 鷹翔は柊影の混乱などお構いなしに、羽林軍の詰所へ向かう。

 詰所の前にはすでに兵が揃っていた。柊影に手早く武具を着けさせ馬に乗せると、鷹翔は自身も馬にまたがった。

 

「柊影、しっかり走んだぞ!」


 鷹翔は一括すると、号令をかけ、馬の腹を蹴った。

 羽林軍は朱鷹翔将軍を先頭に、北からの宮城脱出を目指して疾駆した。


「来たぞ!」

 

 宮城の北辺にある玄武門を抜けると、宮城をぐるりと囲む堀を渡るために橋を渡ることになる。玄武門から一直線に北に向かって架けられた橋を渡っているところで、対岸で待ち伏せしていたらしい敵兵の叫び声があがった。

 そして、こちらが北を突破するのを狙っていたかのように、大量の矢が放たれた。矢は雨のように羽林軍に容赦なく降り注ぐ。羽林軍の兵たちは、馬をやられて、次々に倒れてゆく。

 柊影はどうにかしなければ、負傷者を助けなければと思うものの、体が動かなかった。何のために彼らが攻撃してくるのか、何のために自分たちが逃げるのか。すべてが意味がわからないことばかりだ。


「陛下!危ないっ!」

 

 柊影の前で叫ぶ声がし、一人の武官が、柊影を庇うように矢を受けた。彼は馬上から崩れ落ちると、目を見開いたまま動かなくなった。

 一瞬、世界が止まった。

 ―――死んだ。俺のせいで、人が死んだ。こんな無意味な戦いのために、人が死んだ。


 視界が真っ赤に塗りつぶされたような気がした。



「アアァァァッ!」


 柊影は剣を抜くと、獣のような雄たけびを上げて馬を一気に駆けさせた。


「馬鹿!よせ!」


 鷹翔が叫び、単騎で敵に突っ込む柊影を追った。

 二騎は雨のような矢でさえも剣で薙ぎ払い、勢いを失うことなく対岸に到達した。対岸ではすでに盾を構えた南衙の兵たちが、二騎を待ち構えていた。

 柊影は馬を走らせたまま突っ込むと、剣を振るって、周りの敵兵たちを次から次へと切り殺していく。その形相は鬼神のごとく恐ろしいものだった。

 鷹翔は柊影の背後を庇うように、適当に掴んできた青龍刀を振るっていたが、夜目にもギラギラと目を光らせた鬼気迫る様子の柊影は、最早自分が助けずとも誰も彼を()れそうにないと思った。

 そう判断した瞬間、鷹翔はこんな時でも口の端に笑みを浮かべると、柊影を放っておいて自分の戦いを始めた。まだまだ数では圧倒的に不利なこの状況で、誰かを庇いながら戦っている余裕はあまりなかったので都合がいい。どこまで二人でやれるかわからないが、殺らなければ、殺られるだけだ。


「死ぬなよ、柊影」


 鷹翔はそう呟くと、こちらに弓を定めている兵たちに突っ込んでいった。



 柊影も鷹翔も、馬が倒れても怯まず戦い続けた。

 そうして一刻の後、青龍刀を鷹翔が下ろした時には、彼の目の前には血まみれの屍が累々と積み重なっていた。そしてその屍の先、夜目にもぬらぬらと赤みを帯びた血の海の中に、返り血を浴びて、それでも恐ろしいほどに美しい男が立っていた。武人であればこそ見惚れるような、氷のような冷たい美貌を湛えたその男は柊影だった。

 月明かりに照らされた彼の顔は無表情で、何も言葉を発しなかった。その代わりに、北狄との戦いの時にさえ見せなかった、暗く澱んだ負の気を溢れさせていた。

 民を守るためでも、大切な人を守るためでもないこの争いは、柊影を容赦なく傷つけ、彼を変えてしまった。

 自分は進んでこの道にきたのだから、息を吸うように、躊躇いなく人を殺めることができる。しかし、柊影は違う。鷹翔は人の死にも心を動かさなくなってしまった柊影を痛ましく見つめた。

 柊影は両刃の剣であり、孤独な皇帝という道を歩くためには、あまりに優しい心を持っていた。北狄との戦いで、敵の兵士が死ぬことにさえも心を痛め続けていた彼が、今、こうして表情さえ変えないのは、柊影が心を捨てたからだ。弟の裏切りは、それほど重いものだったのだ。

 宮城の北辺に陣取っていた南衙禁軍の部隊は、信じられないことにほぼ二人の人間によって全滅させられた。だが、そこに勝者はいなかった。

 

 


 

 柊影たちは都の北辺を流れる匯水(かいすい)よりもさらに北、黒蹄山(こくていざん)に仮の陣を敷いた。そこに、次々と知らせが入って来る。

 皇弟の謀反に加わったのは、各地の地方豪族たちであり、先の反乱で柊影たちと共に戦った者たちだった。彼らは柊影を裏切り、皇弟に付いたのだ。昨日の仲間が今日の敵となったのだ。

 彼らの軍事力は一緒に戦ったからこそ良くわかる。決して大きくはないが侮れない力だ。そして、向こうもこちらの戦力を正確に読んでいるだろう。裏切りとは、内部の情報が相手に完全に読まれているという大きな欠点が最初からあるのだ。

 謀反を起こした臣下たちの筆頭は、やはり栢影の義父である楊真だった。

 皇族と縁戚になり、権力に近づくにつれ、彼はどんどん満足できなくなったのだろう。

 だが、なぜ弟までもが柊影を裏切るのか。

 

「陛下」


 険しい表情で報告を聞いていた柊影のもとに、欧陽先生と鄭啓がやってきたのは、朝日が昇りはじめた頃だった。


「無事だったのだな」


 柊影が表情も変えずにそう言うと、二人僅かに息を飲み、次いで陛下もご無事で何よりでしたと、それでも胸をなでおろしたようだった。

 だが、場を占める空気は最悪のもので、誰も表情を崩さない。

 こうして謀反が実際に起こっても、未だ誰も栢影がその首謀者だとは考えられず、現状を把握するために情報収集を行うしかない。だがその一方で、宮城の奪還を考えなければならなかった。

 都という、人があまりに多くいすぎる場所を戦場とするのは、本来ならば避けたいところだった。市民は否が応でも争いに巻き込まれてしまうからだ。

 それを考えずに攻めてきた楊真たちに、誰もが怒りを覚えていた。

 そうしてしばし口を閉ざしていた彼らのもとに、意外なところから援軍の知らせが届いた。

 北狄の王からの援軍だった。


 

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