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雪梨の散るころ、君と  作者: 史月ナオ
第四章
43/67

2-4

※柊影視点

 「武」という文字は「矛」を「止」めると書く。武術とは本来、益を欲して攻める為のものでは無く、争いを治め、大切なものを守る為のものなのだ。それを勘違いして力を誇る者は、武術の本質を知らない者だ。

 柊影と栢影に武術を教えた者は、そう言っていた。そして、二人が将来、人の上に立つことを見越し、お前たちは民のために武を取れとも教えたのだ。

 必死に剣を振るう栢影の姿を見ながら、弟は今、何を守ろうとしているのだろうかと、柊影は考えていた。

 栢影が右から左から暇無く次々と繰り出す剣戟を、時には(かわ)し、時には受け流しながら、柊影は栢影の隙を伺っていた。

 弟と自分の剣術は全く異なったものだと柊影は理解していた。栢影は相手に間を与えず、己の力を前面に押し出した、剣の手腕を存分に発揮する型だが、柊影は様子を窺いながら相手の隙を突く、どちらかと言えば観察眼に主眼を置いた型なのだ。

 弟も自分も、えり抜きの禁軍兵にも勝るとも劣らない技量を持っているが、それでも、二人を比べれば、単純な力の差では弟に分があった。同じ剣を使っているはずなのに、弟は片手で流れるように剣を動かすが、柊影はそれを受けるために両手で剣を握る。

 だが、これまで何度か手合わせをしたその結果は五分五分だった。そして、二人が実際に戦場に出た場合、優れた結果を残すのは柊影の方だったのだ。

 柊影は常に相手を観察するだけでなく、周りの状況も観察していた。そして、その観察力を活かすだけの優れた判断力も持ち合わせていた。それが、栢影との大きな差だった。

 北伐に赴いた際、そのことを鷹翔に話したことがあった。話を聞いた鷹翔は、驚いたような呆れたような顔になった。そしてこう言ったのだ。「戦いは頭で考えてするものじゃねえ。強敵と戦う時には余裕なんて微塵も無いし、一刹那で何かをしなきゃならない場合、思考と行動とは同時にできない」と。

 それを聞いた時に、柊影は自分は武人としては極めることができないと悟った。鷹翔の持っているような類稀なる武人としての勘と、長年培った経験が、一瞬の生死をわけるのだ。その一瞬の時に、相手を観察していては、待っているのは死だ。

 だが、手合わせ位なら、柊影の戦い方も有りだと鷹翔は言った。 

 剣を切り結びながら、柊影は栢影の目を見ていた。弟の動きに無駄は無いが、だからこそ、動きが読みやすい。そして、一瞬の視線の移動が、次にどう動くかを相手に悟らせるのだ。

 ――右、そして…次は左か。

 柊影の予想通りに栢影は剣を振るった。柊影はそれを最小限の動作で躱す。

 弟は剣だけでなく刀も扱える。剣は諸刃だが、刀は片側しか切れない。それ故に、刀はその切れる側面で相手を切りつけるのが、正しい扱い方だ。

 それが弟の癖にもなっている。刀の扱いに慣れた弟は、刀と同じように、切り付けるような動作で剣も振るうのだ。だが、本来刀身の幅の狭い剣は、突きにこそ最も効果を発揮する。

 しかし、いくら刃を潰したとはいえ、こんなもので実際に突いたら、重傷を負う。躱すことも剣で受ける事も出来ないような下手な人間が相手では、怪我を負わせてしまう。そのため、柊影は殆どこちらから攻撃をしないのだが、弟の敏捷性をもってすれば怪我などせず、容易く避けるはずだ。

 弟の剣を躱して、一瞬できた相手の隙に、一歩踏み出して胴体目指して剣を突く。弟は軽く身を翻して避けると、体を回転させ、その遠心力も剣に込めて、再び切り付けてくる。それを柊影は突きだした剣で受け、いなす。

 そのまま剣を交えたまま、互いの動きが一瞬止まる。だが、互いに相手を押すように剣に力を込めて弾くと、一旦距離をとった。

 しかし、休む間もなく栢影はすぐに足を踏み込み、再び素早い剣戟を加えてくる。

 柊影は応戦しながら、また栢影を観察する。今日の栢影は、動きもさることながら、気迫が凄まじい。それに怯んでいては負ける。

 受けながら徐々に後ろに下がっていた柊影は、栢影が次の攻撃を仕掛けた瞬間、グイと大きく踏み込んで相手の方へ飛び込むと、弟の剣をねじ伏せるように剣を振るった。そして栢影が下げさせられた剣を上へと押し戻そうとする瞬間に、上から剣を叩きつけた。

 下から上へ剣を振り上げる時には重力に逆らう分、多くの筋力を必要とする。そのため、逆に重力も加わる分、上から剣を振り下ろす方が遥かに少ない筋力で大きな効果が得られるのだ。

 互いの剣がぶつかり、キーンと鈍い音を立てた。そして次の瞬間、栢影の手から剣が落ちた。

 剣を落とされた栢影の負けだった。ガクッと膝を落とした栢影は、一瞬負けたことが信じられないようだった。だが、次の瞬間には「クソッ」と叫びながら悔しそうに地面を叩いた。


「俺は、なぜ大切な時に限って兄上に勝てないんだ……」


 そう呟いた栢影の顔は、ひどく絶望した者の顔だった。


「栢影……」


 柊影が助け起こそうと手を差し出すと、栢影はそれを無視して一人で立ち上がった。

 いつものように明るく笑って「今日は俺の負けだな」と言うでもなく、固い表情のままの弟のこのような姿は初めてだった。


「剣でも、頭の良さでも、雪華以外の事なら何だって兄上に負けてもいい。でも、雪華の事だけは、兄上に負けるわけにはいかないんだ」

「雪華の事?一体何を言っているんだ?」


 わけのわからないことを呟く弟に、柊影は思わず聞き返していた。雪華のことは、負けるも何も、すでに弟に軍配が上がっているではないか。柊影の中に、何をいまさら、と思う気持ちがあった。  

 栢影は答えず、黙って訓練場を後にした。

 柊影は後にこの時のことを悔いる。弟を引き留め、話を聞いていれば良かったと。

 弟が謀反を起こすのは、二月後のことだった。




※ちょこっと補足

「武」の文字の解釈には色々な俗説があり、「矛を止める」はそのうちの一つです。他にも、「矛を持って歩む」意味だとする解釈もあり、どの解釈が正しいかは、受け取る人の自由だと思います。筆者は守る意味の方が好きなので、前者を採用しました。

あと、剣術・武術の記述は考証してないので、筆者の妄想です。間違っていたら、お許しください。

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