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※柊影視点
弟たちの婚儀から数か月は、何事もなく、穏やかに過ぎて行った。
柊影は着実に確固たる地位を築き、次々に新しい政策を打ち出していた。その一つが、科挙の拡充である。
これまで科挙の最終試験は省試と呼ばれる、尚書省の実施する試験であったが、新たに皇帝が直接人材を選ぶための試験を加えることにしたのだ。
宮殿で行われるために殿試と呼ばれるその新たな最終試験は、これまで教養を見てきた科挙試験の内容とは一線を画し、実学や時事を重視した、実際的な問題を出題することになった。
皇帝が直に及第者を選ぶために、殿試を通った者たちは、自分たちを選んでくれた皇帝に対して恩義を感じ、皇帝のために働こうという意識を持つようになる。皇帝と科挙官僚がそうして結びつきをつよめることにより、皇帝の権力をより強固なものにできるのだ。
しかし、先の乱を生き残った貴族や、一部の官僚たちの中には、皇帝権力の強化が独裁につながるとして殿試に反対する者も多かった。だが柊影は旧来の陋習に囚われた者たちの意見など、少しも耳を貸さなかった。
そもそも榛という国は皇帝が君臨する帝国であり、皇帝が己の判断で政を行う親政は当たり前のことなのだ。間違っていたのは、これまでの貴族に牛耳られた政の方だ。
もちろん、皇帝に権力を集中させるということは、同時に危険を孕んでいることも承知だ。
皇帝に権力が集中していれば、皇帝が大きな力で国を引っ張ることができ、また、即断の必要な問題に直面してもすぐに対処ができるが、もし皇帝に能力がなければ、国は皇帝と共に沈むしかないのだから。
だが、それについても相応の対策がとれる。皇帝が無能であってもいいように、尚更科挙で優秀な人材を集めることに力を入れたのだ。
最終的な裁可を下すのは皇帝である柊影だが、実務に携わるのは官吏たちだ。皇帝に能力が無くても、実務を担う彼らがしっかりしていれば、国はそう簡単には沈まない。また、何か問題が発生しても、それに対処できる人材をすぐに選べるのも、科挙の利点だ。その道に通じた者を即戦力で起用すれば、大概の問題は回避できるはずだ。
そうして殿試で直接人を見ることができるようにした一方で、これまで大都市にしかなかった国子監管轄下の学校を国中に設置し、庶民も学生として入学ができるようにもした。そこには誰もが科挙を受験しやすくする狙いがあった。
先の乱で権門貴族を排した際に没収した財産は、一部をつけとなっていた北狄の軍の買収の代金として支払い、残りはそのために使ったのだ。
教育はすぐに成果が上がるものでは無いが、確実に国を豊かにするはずだ。
だが、未だ財政の逼迫した榛では、現状ではこれが精いっぱいだった。今は高等教育にしか手が回らず、初等教育の対策がまだまだ不十分だ。
それでも、将来は国を豊かにし、民の生活を安定させ、子供たちが誰でも教育を受けられるようにするのが柊影の目標だった。
柊影は多忙であり、そんな彼を弟の栢影も皇弟として支えていた。
栢影は雪華と共に都に居を構え、また、雪華の父、楊真も、栢影の口利きを得て、今では皇城で働いている。
妻帯した栢影はやる気に満ち満ちており、柊影をよく助けていたが、ある頃を境に、急に思いつめた顔をするようになった。
言葉数も少なくなり、何か悩み事を抱えているようだったが、柊影は敢えて訊ねることはしなかった。雪華との生活のことでも相談されてはかなわないと思っていたからだ。
そうして次第に弟といるのが気まずくなっていき、柊影は栢影と距離を置くようになっていた。羽林軍の訓練場を借りて二人で行っていた剣術の鍛錬も、忙しさを理由に時間をずらすようになった。
だがそれでも、その日は珍しく弟と訓練場で顔を合わせることになった。
栢影は柊影を見ると、何か言いたそうに躊躇いがちに口を開いたが、言葉は出てこなかった。話し難いことでもあるのだろう。
柊影は気を利かせて、こちらから声をかけた。
「栢影、雪華は元気にしているか?」
柊影の言葉を聞いた瞬間、栢影は雷に打たれたように体を震わし、顔をこわばらせた。
柊影としては、雪華の話題なら例え弟ののろけを聞くことになろうとも、弟は口にしやすいだろうと思ったし、そうして何かを話し出せば、言い難そうにしている話題も少しは話しやすくなるだろうと考えたが故の言葉だったのだが、どうも弟はそのようには受け取らなかったようだ。
「兄上、お手合わせ願えますか」
剣呑な空気を醸し出しながら、弟が提案してきた。
まあ、話したくなければ話さなくてもいいだろうと考えながら、柊影は一つ頷いた。
訓練用の刃を潰した剣を互いに手に取ると、柊影と栢影は向かい合った。
いつの間にか皇帝とその弟が手合わせをすることを聞きつけて、羽林軍の兵たちが二人を遠巻きに見ていた。見世物ではないというのに。
柊影は呆れながらも、精神は目の前の弟に集中させた。
柊影が正眼に構えると、栢影は剣をギュッと握りしめた。
二人は間合いを測りつつ、相手の出方を窺っていた。
先に動いたのは、栢影だった。




