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※柊影視点
「皇帝陛下」
雪華はそう言った。立場上、もう柊影を名前で呼ぶことも難しいのだ。柊影は緊張に身体を強張らせ、足を止めた。背後から、雪華の声が続く。
「本日は、ありがとうございました」
「礼など必要ない」
端的に伝え、再び一歩を踏み出そうとすると、雪華がさらに言葉を重ねた。
「もう、以前のように親しくすることはできないとわかっているけれど、少しだけ話がしたいの」
雪華の言葉に、柊影はゆっくりと振り返った。その拍子に、視線が雪華のそれとぶつかる。回廊の燈火を反射した雪華の瞳は、夜目にも美しく輝いていた。
柊影は意識を総動員して、無表情を装った。どこで誰が見ているかわからないのだ。咄嗟に周りの気配を探り、誰もいないことを確認したが、用心するに越したことは無い。
「話とは何だ?」
柊影の気安くない冷たい声音に、雪華はわずかに怯んだようだった。だが、彼女はじっと柊影の瞳を見返していた。
「柊影」
雪華は意を決したように、固い表情で柊影の名前を呼んだ。
「こうして率直に言葉を交わすことも、これが最後かもしれない。だから、最後に一つだけ、わたしの願いを聞いてほしいの」
「願い?」
「ええ。……ねえ、柊影、わたしたちが出会った日のことを覚えてる?」
「……ああ」
柊影は頷いた。忘れるはずが無かった。彼女に出会ったあの日、柊影の世界は大きく変わったのだ。
「君は、私にこう言ったんだ。“民は皇帝に生かされ、皇帝は民に生かされる”と」
「覚えていてくれたのね」
雪華は嬉しそうに顔を綻ばせたが、それも一瞬のことだった。彼女はすぐに、晴れやかなはずのこの日に相応しくない、不安げな表情を浮かべた。
「ねえ、柊影……どうか、忘れないで。貴方はわたしたち民の希望なのよ。どんなに貴族や官吏が力を持って民を顧みなくなっても、貴方だけは民に公平でいて欲しいの」
「何か、あったのか?」
柊影は思わず聞き返していた。それほどに、雪華が何かに追い詰められているように思えたのだ。
「今日の来賓の方々を見ていたら、不安になったのよ。中には以前から知っている方も沢山いるのに、なんだかみんな変わってしまったような気がして……。出世や、力を持つことが、彼らを変えてしまったのではないかと、嫌な予感がするの」
「あの反乱は国中に大きな影響を与えたんだ。変わったとしても、それは仕方がないことだ。……そう言う君も、そして私自身も、大きく変わった」
噛み締めるように柊影がそう言えば、雪華は、そうねと頷いた。
「でも、柊影の本質は変わっていないでしょう?これから貴方は、貴方の望むとおりに国を動かして行ける。その時に、どうか以前の貴族たちのように、権力に囚われないで欲しい。政を私腹としないで欲しい。貴方がそんな風になるなんて思っていないけど、どうしても不安だったの。……ごめんなさい、足止めしてしまって。言いたいことはそれだけなの。それじゃあ、おやすみなさい……」
雪華は踵を反すと、宴の続く広間へと足早に戻って行った。
柊影はその背中に、わかったと呟いた。それが雪華の望むことなら、必ず守り抜いて見せると心に誓った。
そうして、長い一日は終わったのだった。




