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雪梨の散るころ、君と  作者: 史月ナオ
第三章
33/67

2-4

※柊影視点

 こんな時、一体どんな顔をすればいいのだろう。

 柊影は、「嘘だろ」と雪華を咄嗟に問い詰めてしまいそうになった自分を必死に抑えた。

 弟と雪華のために、身を引かなければいけないと、頭では分かっている。嫌というほど分かり過ぎて、そればかりが頭の中をぐるぐると回るほどに。

 雪華を困らせるな。自分の想いを決して彼女に悟らせるな。呪術の文言のように自分に言い聞かせて、柊影はどうにか平静を装った。


「ずっと忙しくて、栢影にもしばらく会っていなかったからな。こんな目出度いな話があるなら、あいつも時間を作って報告してくれたらよかったのに」


 自分の口から出る言葉が白々しくて、吐き気がする。そんな柊影の心を読んだわけでも無いのだろうが、雪華の顔は青ざめていた。

 だから柊影は動揺を隠し、まるで何でもないことだというように、どうにか取り繕って笑ってみせた。


「……おめでとう、雪華」


 雪華はハッとしたように顔を上げ、柊影を見た。その眼から、涙が零れ落ちる。


「……ありが…とう」


 この瞬間、永遠に、二人の時が別たれてしまった。それを感じながら、柊影は拳をギュッと握った。

 想いを告げるつもりだった日に、彼女が他の男の妻になることを知るなんて。それも、自分の弟の妻だなんて、こんな皮肉なことがあるだろうか。

 他の男のものになる彼女に、柊影が触れることなど許されなかった。雪華の涙をこの手で直接拭ってやることも、もうできないのだ。

 自分も心で泣きながら、それでも雪華のために涙を拭ってやりたくて、柊影はせめて手巾でもないかと懐を探った。

 そして、指が懐に入れてあった包みに触れる。すっかり忘れていた、雪華への贈り物だった。

 生憎と手ごろな手巾は無かったが、せめてこの贈り物で彼女が喜んでくれたら、涙を拭う代わりになるだろうか。柊影はそう考えながら、そっと懐から包みを取り出した。


「雪華、本当は……土産の…つもりで渡そうと思っていたんだが。……どうやら、少し早い結婚祝いになりそうだ。受け取ってくれるか?」


 土産だの結婚祝いだの、嘘の言葉で本心を誤魔化しながら、柊影は雪華の前で包みを開いた。中から現れたのは、雪梨の花を寄せ集めたような純白の白玉製の硯だった。硯は縁に雪梨の花弁が彫り込まれ、実用品としてだけでなく、観賞用としても一級品のものだった。

 文具の中でも、筆、墨、硯、紙は文房四宝と呼ばれて、文人から士大夫、趣味人などに幅広く愛されている。書物を愛する雪華なら、きっと喜んで使ってくれると思ったのだ。

 案の定、雪華は目を見開いて、柊影の手元の硯を見ていた。この硯の価値がわかったのだろう。


「……こんな美しい硯、見たことがないわ。黒い墨で汚してしまうのがもったいないような、そんな硯ね。……けれど柊影、こんな高価な物をいただくわけにはいかないわ。こんな芸術品は一流の書道家こそ持つべき品よ」


 どうにか涙をぬぐった雪華は、切なげに笑った。その笑みがズキリと胸に刺さる。柊影は、せめてこの硯だけでも雪華のもとに置いてやりたいと、敢えて押し付けるように雪華に渡した。


「いいんだ。結婚祝いなのだから、遠慮など無用だ。それでも要らないと言うのなら、売って金に換えて、婚儀の支度金にしてくれればいい」

「……柊影」


 雪華はじっと、雪梨を繊細に象った硯を眺めていた。


「柊影、あなたに貰ったものは全て、わたしの一生の宝ものよ」


 キュッと硯を握りしめた雪華は、柊影がよく知っているあの凛とした気配を漂わせて、毅然として顔を上げた。それを見て、やはり彼女は彼女のままなのだと、柊影は思った。自分が理想とする無垢で真っ直ぐな花のようだと。

 どうか彼女が、ずっと幸せでありますように。そう祈らずにはいられなかった。どんな風雨も決して彼女を傷つけないようにと、柊影はただただ願った。

 しかし、そうして祈っても、凪いだ水面にも僅かに波紋が残るように、柊影の心もまた静謐を得ることはできなかった。けれど、それでも、雪華を眩げに見つめた柊影は、胸の痛みを抱えたまま寂しげに笑った。


「私は、君に出会えて良かったよ、雪華。栢影と、幸せになれよ」


 柊影はそのまま、じゃあなと背を向けて歩き出した。たぶん、次に会う時は、もう互いが遠い存在になっているだろう。そのことを、頭のどこかで理解していた。だから、自分が取り乱さないうちに彼女の前から消えたかった。


「柊影!」


 背後で雪華が呼ぶ声がしたが、柊影は振り返らなかった。心をこの場に残してしまいそうになるのを堪えて歩けば、内心のさざめきを写したかのように、雪梨の花がはらりと散った。






 

文房四宝の内容が間違っていたので修正しました。

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