表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雪梨の散るころ、君と  作者: 史月ナオ
第二章
23/67

2-5

 それからというもの、柊影は暇を見つけては、雪華を訪ねるようになった。

 雪華は野山を歩き回るのが好きな、珍しい娘だった。彼女は、何にも囚われることがない無碍な存在のように思えた。だがその一方で、人間(じんかん)にあることが好きな娘でもあった。

 雪華は度々一人で屋敷を抜け出していた。その行き先は、人気のない山中であることもあれば、市井の貧救院のような場所であることもあった。

 貧救院で親のいない子供たちと一緒にじゃれ合う雪華の姿は、無垢な子供そのものだった。それなのに、その合間にふと見せる女性特有の慈しみに満ちた彼女の表情は、とても大人びていた。

 そしてその表情は、彼女が僅か十六歳であるという、柊影より二歳しか年下でない事実を忘れさせた。

 ある意味では自由奔放な雪華に、彼女付きの侍女は振り回されていた。柊影が雪華の家を訪ねれば、すっかり顔なじみになった侍女がいつも困った顔で、お嬢様はどこかにお出かけになられました、と言うのだ。

 その度に柊影は雪華を探して、彼女が行きそうな場所を回る。柊影が雪華を見つけると、彼女は決まって笑顔で柊影を迎えた。

 二人はたくさんの話をした。食べ物や趣味の話のような気軽な話題もあれば、政や歴史の話など、真剣に意見を交わす話題もあった。

 たとえ緊張を孕む会話でも、柊影は雪華が相手だと、素直に意見を言うことができた。

 そうして、二人きりの時間を重ねれば重ねるほど、彼女への思いは柊影の中で降りしきる雪梨の花弁のように積もり、どんどん強くなっていった。

 変わりたいと思った。彼女に相応しい男になりたいと。

 偽善、なのだろうか。今まで何もしてこなかった自分が、こんな理由で変わろうとするなんて。それでも、何もせずに今までの自分でいるよりは、ずっとましなはずだと柊影は思った。

 その柊影の気持ちに呼応するように、確実に世界は動き出していた。

 


 柊影は政の主導権を自身の手に取り戻すため、水面下で行動を開始した。その第一段階として、信用できる人間を集めることにした。

 手始めに相談したのは師である欧陽俊先生だった。長年父王に仕え、柊影も幼いころから彼を知っている。信頼に足る人物だった。

 柊影の話を聞いた欧陽先生は、若手官吏の筆頭、鄭啓を仲間にするとよいと言った。一見温和そうに見える鄭啓だが、その実、誰よりも知略に長けているからと。

 鄭啓は前年の文科挙(ぶんかきょ)状元(じょうげん)及第者であり、すでに六部に籍を置いている。

 十代で進士、それも状元及第したことは、彼が本物の天才であることを知らしめていた。また、彼がその若さゆえに多くの嫉妬を買っていることも、容易に察せられた。

 当時の科挙は平等とは名ばかりで、実際は庶民よりもはるかに貴族に有利なものだった。

 科挙はまがりなりにも国を背負う役人を選ぶものだ。そのため、科挙の勉強にはそれなりの時間と金がかかるのは当然のことだった。だから、働かずに、勉強に時間も金も費やせる貴族が圧倒的に有利であるのもまた然りだった。

 そのため、科挙を及第するだけの力を持っている者は、貴族や、高級官僚の子息など、裕福な家の者が多数を占めていた。そんな中で、貴族でもない鄭啓が他者を押さえて状元となったことは、貴族たちに疎まれる恰好の材料だったのだ。

 だが、表立って鄭啓の悪い噂が耳に入って来ることはなかった。彼を妬む者がそうした噂を流さないのは不思議なことだった。

 柊影は「探花宴(たんかえん)」と呼ばれる、その年の科挙及第者のための宴で出会った鄭啓を思い出した。そこで「探花郎(たんかろう)」という最年少及第者に与えられる役を担っていたのが、確か鄭啓だった。

 当時、彼を見た柊影は「なるほど」と思った。鄭啓は細身で繊細な、かなりの美男子だったのだ。その笑みを向けられて不快になる人間などいそうも無い。

 


 話があると密かに呼び寄せた鄭啓は、当時の印象のまま、人当たりの良い穏やかな表情で静かに話を聞いていた。そして、柊影の話を聞き終えたかと思うと、徐に叩頭(こうとう)し「やっと、仕えるに足る君となられたようだ」と言ったのだった。

 啓の言い方は、臣下というにはあまりに気軽な、同い年の気安さが滲む言い方だったが、全く不快では無かった。率直な言葉を選んだ鄭啓を、柊影はむしろ快いと感じていた。

 さらに、その時の鄭啓の進言もあり、柊影はもう一人と面会することになった。それが、鄭啓と同年に武科挙(ぶかきょ)の状元となった朱鷹翔であった。

 鷹翔はその飾らない人柄のため、多くの者が信頼を寄せる若者だった。そして、彼はその若さで、既に禁軍左羽林軍の将軍職に就いていたのだ。

 鄭啓と朱鷹翔は同年の及第であるため、互いに面識がある。しかも、それだけでなく、私的に親しくしているという。

 柊影の話を聞いた鷹翔もまた、柊影に臣下としての忠誠を誓った。彼は柊影の言葉に驚くどころか、いずれ軍の力が必要になる時が来るだろう、と慎重に言った。その時は、必ずお役に立って見せましょうと。

 武術に長け、飄々とした楽天的な鷹翔が、実は智将の側面を持ち合わせていたことが、その言葉から垣間見えた。

 柊影が貴族たちに反旗を翻したが最後、両者の間で争いが起きるのは必定であると、鷹翔はそう読んでいたのだ。しかも、少なくとも、柊影が鷹翔に話を持ち出すより前に。

 柊影も上流貴族たちとの対決は避けて通れないと覚悟していた。そして、私兵を囲う彼らに対抗するため、確実に軍を掌握しておく必要があると考えていたのだ。それゆえに、鷹翔との出会いは大きな意味を持っていた。

 二人の才気あふれる若者を味方につけたことで、その二人の力も相まって、徐々に柊影の計画が形を成していった。

 そうした都での動きに触発されたわけでもないのだろうが、地方でも、有力豪族による蜂起が相次いで起こるようになっていた。

 一見すると各地域の豪族たちが個別に立ち上がったように思えたが、実際は豪族同士が緊密に繋がり、きちんと統率の取られた計画的な蜂起だった。

 そして、この蜂起の中心となったのが、榛国の南部、山南の地に領地を構える楊一族だった。

 「山南の楊家」と言えば、清流の家柄として国中に広く知られている。政を私物化する貴族たちにとっては目の上の瘤と言うべき存在であり、そうした貴族たちの不正をどうにかしたいと思う者たちにとっては心の拠り所ともいえる存在だった。

 柊影が、雪華の父・楊真がそうした名望を集める男だと知るころには、楊真もまた柊影に目を付けていた。中央に僅かにいる皇帝派との連絡役として、柊影を利用しようと考えていたのだ。

 その考えを、楊真は柊影に伝えた。柊影もまた、皇帝が権力を取り戻す準備をしていることを告げた。これによって、互いが互いを巻き込む形で、皇帝と地方豪族とが密かに結びついたのだった。

 





いつも読んでくださり、ありがとうございます!

説明の多い文章で読みづらかったらお許しください。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ