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※柊影視点
楊家は、いわゆる地方豪族の家柄だった。
中央での権勢にはほど遠いが、新興勢力としての地方豪族の力は各地で日増しに強くなっていた。それは、柊影も少なからず知るところだった。
政を欲しいままにする中央の貴族・官僚たちに、反駁する勢力が現れるのは自然なことだ。どんなに抑圧したところで、道をそれた政に対する民の不満は抑えることなどできはしない。
国の土台とは、つまるところ貴族でも官吏でもなく、民なのだ。その民の不満が、今はまだ、かろうじて水面下にあり、表に出ていないに過ぎない。だがその分、抑圧された不満は期待へと姿を変え、地方の名望家たる豪族に移り始めていた。それが中央への不満を燻らせる地方豪族を後押しする形となっていた。
柊影は、とりあえずはお茶でもと雪華に勧められ、彼女の家に連れていかれた。そうして訪れた彼女の家もまた、中央に反感を持つ地方豪族の家だったのである。
山裾の里にある屋敷に突然現れた青年を、雪華の父、楊真が出迎えた。楊真は中肉中背の、これと言った特徴も無い男だった。だがその眼だけは、柊影を品定めするかのように粘着質な色を帯びていて、妙に不快だった。
だが、それも一瞬のこと。楊真は笑顔になると、娘が連れてきた不意の客人にも、丁寧に挨拶をした。
「この地へは、陛下に付き添われて狩りにいらっしゃったのですかな?」
楊真もまた、柊影の身なりでそう判断したようだ。
「ええ、まあ」
「失礼ですが、お名前を窺っても?」
柊影はとっさに鄭柊影と名乗っていた。昨年、科挙を状元及第した同い年の若者の姓だ。なんとなく、自分が皇帝であることを隠した方がいいと感じたのだ。
それは咄嗟の判断だった。柊影が皇帝だと名乗ったところで、気まずくなるだけだろうから。
「柊影殿は、武官でもされておられるのかな?お身体を鍛えていらっしゃるようですが」
居室へ案内しながら、楊真が訊ねる。柊影は曖昧に頷いた。鍛錬をしているのは確かだから、彼がそう思うなら、そういうことにしておけばいい。
柊影が通されたのは、調度品が程よく配された、すっきりとした部屋だった。席を勧められ、楊真と対面する形で腰かける。
「雪華、お客人にお茶をお出ししなさい」
楊真の言葉に素直に頷き、雪華は一旦部屋を出て行った。
「柊影殿、宜しければ都の話など、お聞かせ願いますかな。我らはしがない地方官の身。都へは殆ど行く機会もございませんから」
柊影は乞われるままに、あたりさわりのない都の話をした。そうするうちに、話題は図らずも政に転じていった。
楊真は表だって批判することこそ無かったものの、言葉の端々から、彼が中央の行政に不満を抱いていることが察せられた。
そうしているうちに、茶を用意した雪華も話の輪に加わった。彼女は口こそ挟まなかったが、柊影たちの会話を傾聴していた。
本来であれば、娘がこのような場所に加わるのははしたないとされる。しかも、話題は娘には難しい政の話だ。しかし、楊真は苦笑して、「娘は好奇心が旺盛で……」と言い訳をしたものの、娘を下がらせる気は無さそうだった。
柊影は柊影で、雪華を見ていたいと思っていたから、特に咎めるつもりも無かった。
一時ばかり、互いに表面的な会話をした後、柊影は楊家の屋敷を辞した。帰り際に楊真が、ぜひまた訪ねて来てほしいと言った。
そうして柊影は屋敷を後にしたが、この辺りの道に明るくない彼を送るため、雪華が付いてきた。
「山を越えるより、山裾の道を迂回した方が早いわ」
「道だけ教えてくれればそれでいい。君を一人で返すのは申し訳ない」
「大丈夫よ。この辺は狐や狸がいるくらいで、他に危険なものなんてないから」
雪華はそう笑いながら言うと、先導するように柊影の前を歩いた。
太陽が、西に傾き始めていた。二人は人の通らない田舎の道を、ゆっくりと歩いていた。
「ねえ、柊影」
雪華は振り返らずに言った。彼女は初めから柊影を呼び捨てにしていたが、それが自然なことに感じられた柊影は、あえて訂正しなかった。
「呆れたでしょ?女が政に興味を持つなんて」
雪華はそう言いつつも、全く恥じている様子が無かった。
「呆れるということは無いが、なぜ興味を持つのかは気になるな」
「それはね、憤っているからよ」
娘の思わぬ返事に、柊影は歩みを止めた。雪華も足を止め、柊影を振り返る。
「柊影、貴方は陛下に付いてこの地に来たくらいだもの、それなりの身分がある方なのでしょ?でも、貴方にはわたしが思っていたような、都人の傲慢さが無いわ。だから……」
貴方に見てもらいたいものがあるの、と雪華は物悲しそうに瞳を伏せて言った。




