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雪梨の散るころ、君と  作者: 史月ナオ
第一章
2/67

1-1

 梨香(りこう)に与えられたのは、後宮の西のはずれにある白遥宮(はくようきゅう)だった。

 他の宮殿のように建物自体が広いわけではないが、手入れの行き届いた庭の付いた、過ごしやすい宮殿だ。


 田舎の貧しい貴族の娘である梨香は、大した荷物もなく、付き添いの侍女さえ連れていなかった。

 そんな彼女のために、すでに白遥宮内には落ち着いた品の良い調度品が置かれ、身の回りを世話する侍女も付けられた。

 その行き届いた様子に、梨香はそっとため息をこぼした。

 なぜ、皇帝陛下はここまでしてくださるのだろうか、と。


 梨香の後宮入りの話は、突然、皇帝の鶴の一声で決まったと言う。

 もちろん、あまりにも身分が違いすぎるために、両親も梨香も断るつもりでいた。

 だが、それを知った皇帝からは、梨香に貴妃(きひ)の位を与え、何一つ不自由することのないように、侍女や身の回りの必需品を揃える、とまで言われたのだ。


 その話を聞いた両親は、皇帝陛下にここまで望まれるのはなんと名誉なことかと、それはそれは喜んで、娘を都の宮城(きゅうじょう)へと送り出した。


 そうしてやってきた都は、梨香が想像していたよりも遥かに大きく、人が多かった。

 まるで高さを競うかのように立ち並ぶ数々の高楼。広々とした大通り。そして道を行きかう馬車や人々の喧騒(けんそう)

 見るもの聞くもの全てが十六歳の娘には初めてのものばかりで、ひどく惹きつけられた。


 けれど同時に、梨香はとても寂しい気持ちがした。一度後宮に入ってしまえば、そう容易には外へ出られなくなる。それを知っていた彼女は、複雑な思いで過ぎ行く景色を見送ったのだった。


 しかし、彼女を待っていたのは、さらに想像を絶するほどに広大な宮城だった。

 この場所に皇帝と、そして彼の(ひん)が住んでいるのだ。

 そのあまりの広さと豪華さに、梨香は眩暈(めまい)がした。


 案内の女官がいなければ迷ってしまうのではないかというほど広い敷地には、絢爛(けんらん)たる宮殿が連なり、その軒々には数えきれないほどの美しい灯篭が下がっている。

 延々と続く回廊は(ちり)ひとつなく清められ、どれほどの人手があればこのように保てるのかと、貧しい家の娘である梨香は考えずにはいられなかった。


 与えられた貴妃という位に相応しくない、質素な衣の裾をさばきながら回廊を歩いていると、自分はここでちゃんと生きていけるのだろうかと、不安が梨香の頭をよぎった。


 それでも、女官に案内されてやってきた白遥宮には、美しい花々が咲き誇る庭園が付いており、それが不安な気持ちを紛らわせてくれた。

 故郷の山野に慣れ親しんだ彼女には、たとえ僅かであっても、身近に植物があることが心を落ち着かせてくれたのだ。


「貴妃様、如何なされましたか?」


 そう声をかけてきたのは、梨香付きとなった侍女煌娟(こうけん)だった。

 煌娟は梨香が寝間着に着替えるのを手伝っていた。


「ちょっと、昼間のことを思い出していたのです」


 そう言って梨香が微笑むと、煌娟はほっとしたように笑った。


「長旅でお疲れでしょう。その上今日は他の妃嬪の方々や女官たちの挨拶を受けられて、さぞや気苦労が多かったことと思います」


「そうですね。けれど、あなたと女官長がうまく取り計らってくれたおかげで、どうにか粗相をせずにすみました。ありがとうございます」


「貴妃様、私どもにそのような言葉遣いは必要ありませんよ」


「そう、だったわね。なんだか慣れなくて」


 困ったように肩を落とした梨香に、煌娟は優しく笑いかけた。

 姉妹のいなかった梨香にとって、もし姉がいれば、こんな風に笑いかけてくれたのだろうかと思うような、温かい笑みだ。


「大丈夫ですよ、じきに慣れましょう。今日はゆっくりお休みください。明日はご婚儀で忙しくなりますから、しっかりと睡眠をとっておかないといけませんよ」


 そう言って、煌娟は梨香を寝室へと案内した。

 天蓋の付いた、一人で眠るにはあまりに広すぎる寝床(しんしょう)の中で、梨香はやっと解放された気持ちになった。煌娟の言う通り、相当疲れていたようだ。

 けれど、それでも梨香は眠ることができなかった。明日、自分をこの後宮へと招いた皇帝その人に対面する。そう考えただけで、眠ることなどできなくなってしまったのだ。


 昼間出会った他の嬪や女官たちの話では、皇帝陛下はとても凛々しく見目麗しい方だという。

 そしてとても怜悧で英明な方だと。けれど同時に彼女たちは言った。陛下はとても冷徹な方だと。

 その言葉を言うとき、女官たちは恐れるように、嬪たちは梨香を牽制するように声を潜めた。


 自分が実際に会う前から、あれやこれやと皇帝のことを決めつけても仕方がないと思いつつ、それでもなお、自分の夫となる人のことを考えずにはいられなかった。

 すでにこの後宮には美姫が揃っている。

 昼間挨拶に来た嬪たちは、皆名家の出身で、美しく品のある女性ばかりだった。楚々とした動作の一つでさえ、洗練されたものだ。

 あんな方々がいながら、どうして皇帝は梨香をこの後宮で皇后に次ぐ位である「貴妃」に据えたのか。


 それに、自分にはもったいなさすぎるほどの宮殿に調度品、機敏でよく気が利く侍女や女官たち。

 会ったことも、言葉を交わしたことも無い田舎娘のために、陛下はどうしてここまで良くしてくれるのだろう。


 明日、陛下と言葉を交わす機会があったなら、必ず礼を言おうと心に決めて、梨香は静かに眼を閉じた。






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