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雪梨の散るころ、君と  作者: 史月ナオ
第二章
17/67

1-5

 官服を着た男たちが、せわしなく行きかっている。

 場所は外朝である。内廷を出る時に、門番に欧陽先生が何やら口利きをした以外は、これと言った問題もなく、二人はあっさりと外朝に出ることができた。

 外朝は皇帝が政務を行う場所であり、また、中書・門下省の建物がある場所だ。この外朝を出て皇城に行けば、尚書省に連なる行政機関である六部の官庁街となる。

 欧陽先生に案内されながら進めば、至る所で書簡を手にした文官や、剣を佩いた衛士らしき男たちとすれ違った。

 梨香はといえば、先ほどから人目を気にするように、欧陽先生の陰に隠れて歩いていた。

 最初は普通に歩いていたのだが、梨香の姿を見た男たちが、必ずと言っていいほど振り返って梨香を注視するのだ。

 もしや、ばれたのでは、と気が気では無くなり、梨香は小声で何度も大丈夫かと欧陽先生に訊ねた。しかし、その度に「いやいや、これは何とも優越感に浸れますな」と楽しげな、そして訳のわからぬ返事が来るだけだった。

 先生が全く心配していないようであり、特に騒ぎになっているわけでもない。そのため、単に女官がこんなところをうろついているのが珍しいのだと、梨香は勝手に解釈することにした。しかし、できれば目立ちたくないので、欧陽先生の陰に隠れているのだ。

 外朝は、内廷とも後宮とも違った。まず第一に、外朝は圧倒的に人が多い。

 国を動かす政と言うのは、様々な官吏が関わっていて、決して皇帝一人ではできないのだと改めて思う。

 しかし女官は少ない。むしろ見かけないと言った方が正しいか。女官は専ら後宮の妃嬪に仕えることを務めとしているのだろう。

 きょろきょろと辺りを見るのは不審者のようだが、興味が勝ってしまい止められない。

 梨香は目に映ったもの全てを心に刻むかのように、慎重に見て回った。

 欧陽先生は何度も足を止めて、皇帝が臣下と共に朝議を行う宮殿や、皇帝が執務を執る宮殿を見せてくれた。それらの宮殿は、ため息が出るほど立派な建築物だった。屋根瓦には何匹もの走獣が鎮座し、柱や梁は五彩に彩られている。

 午後のこの時間は皇帝の政務も終わっており、警備の者を除けば全く人がいなかった。

 

「立派な建物ですね」


 思わずこぼれた梨香の感嘆の声に、欧陽先生も頷く。


「この国の威光を体現しているからでしょうな。ほら、あれをご覧ください」


 欧陽先生が指し示す先には、龍の意匠が刻まれた立派な椅子があった。


「あれがこの国の玉座にございます。なぜあの椅子が南を向いているか、貴妃様はご存知ですかな?」

「はい。史書に載っておりました。確か「天子は南面する」のですよね。それは天に選ばれた天子が、天を背負うことを意味していたはずです」

「左様です。……天とは、くるくると巡るもの。しかし、その天には決して動じない中心、天を支配する一点があるのです。それが北の空に浮かぶ北辰の星、北極星にございます。そして、天を支配するこの星にこそ、天帝が住まう宮があるとされています」

「つまり北辰が天帝を象徴しているのですね。だから、北辰を背に負うというのは、天帝の意向を負うことを意味している。そして、それを許された者こそが唯一無二の存在である天子だということ。それ故に、玉座は南を向いており、そこに座ることで北辰を背負っていることを百官に示しているのですね」

「左様です。これだけご自分でご勉強なさっているのなら、今日一日くらい休講にしても差しさわりがないというものですな。ほほ。安心いたしましたぞ」

 

 どうやら欧陽先生に褒められたらしいと思い至った梨香は、嬉しそうに頬を染めた。

 そんな梨香を見ながら、欧陽先生は良いことを思いついたとばかりに眼を光らせた。何かを企むようなその顔は、悪戯をする子供のようでもあった。


「……確か、この時間ならば……」


 欧陽先生は梨香に聞こえないような小声で何かを呟くと、今度は梨香にもはっきりと聞こえる声で言った。


「貴妃様、ここよりももっと面白い場所がございますぞ。ささ、付いてきなされ」


 言うが早いか、軽い足取りでどこかに向かう欧陽先生を、梨香は急いで追いかけた。

 欧陽先生の足は、まっすぐ北に向いていた。二人は外朝から再び内廷に戻ると、今度は内廷を通り越してさらに北へ進んでいく。

 一体どこまでいくのだろうか。梨香が訝しく思い始めた時、何やら耳慣れぬ音が聞こえてきた。男たちの叫ぶ声と、金属がぶつかるような鈍い音だ。

 欧陽先生は、どうやらその音のする方へ向かっているらしい。

 一体、あれは何の音だろうか。梨香が不思議に思っていると、それまで視界を遮っていた建物が不意に途切れ、広い場所に出た。

 あっ、と梨香は息を飲んだ。そこには兵士と思われる男たちが大勢いたのだ。そして、剣を手にした男たちが、激しく打ち合っていた。

 ここは、彼らの訓練施設らしい。しかも、男たちの身なりはかなり良い。ただの兵ではなく、禁軍兵だろうか。梨香がそう見当を付けながら眺めていると、眼が、今まさに手合い中の一人の青年に吸い寄せられた。藍を帯びた黒髪の、すらりとした長身の青年だ。だが、その後ろ姿は決してひ弱では無い。むしろ、頼れるような力強さを感じさせるものだった。

 不意に青年の横顔が見えた。

 一瞬のことだった。たったその一瞬で、梨香の胸は、ギュッと締め付けられたように苦しくなった。

 青年は、一日しか姿をみることが許されなかった、皇帝陛下その人であった。

 皇帝は激しく打ち込んでくる相手の剣を絶妙に避け、また、受けたと見れば軽くいなしている。そして、一瞬のうちに攻勢に転じると、瞬く間もなく相手の剣を弾き飛ばしていた。

 皇帝は相手に二言三言声をかけたあと、何気なくこちらを振り返った。

 ――その青い双眸が、驚きに見開かれる。

 そして次の瞬間には、眉間に深い皺が刻まれた。その険しい表情のまま、皇帝はすぐに大股でこちらにやってきた。


「ここで何をしているのですか」

 

 静かに訊ねる声には、微かな怒りが滲んでいた。しかし、その顔は梨香を避けるように、一心に欧陽先生に向けられていて、こちらを見ようとしなかった。


「何、散歩じゃよ」


 欧陽先生は飄々と、悪びれずに答えた。


「彼女を連れてくるなんて、何を考えているのですか」

「そう怒るでない。ほれ、周りの者たちがこちらを見ておるぞ」


 肩を竦めていう欧陽先生の言葉に、苦虫を噛み潰したような顔になった皇帝は、手を止めてこちらを食い入るように見ている兵たちにそのまま訓練を続けるように指示を出したのだった。










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