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雪梨の散るころ、君と  作者: 史月ナオ
第一章
12/67

2-6

※柊影視点

 静かな蝋燭の灯りの中、白い夜着を纏った貴妃が跪拝(きはい)をしたまま柊影を待っていた。

 しっとりと艶を放つ長い黒髪が、今は結わずに流され、伏せる貴妃の肩にはらりとかかっている。

 その肩が、微かに震えていた。


「顔を上げよ」


 柊影の声に、貴妃は静かに(こうべ)を上げた。貴妃の白皙の顔は、白い月見草のように儚くも美しかった。しかし、その瞳は不安で揺れており、まるでこの部屋の蝋燭の灯りのように、吹けば消えてしまいそうだった。


「そなたに話がある。立ちなさい」


 柊影はそう言うと、視線一つで付いてくるように促した。貴妃は内心では訝しんでいるのだろうが、それを(おくび)にも出さずに大人しく付いてくる。

 二人は寝室を出て、居室へと移る。そして、柊影はそこにあった茶卓に着いた。


「貴妃もかけるがよい」

「はい」


 貴妃は柊影の向かいに腰かけると、じっとこちらを見つめる。その顔色が、先ほどよりも青白く見える。それはそうだろう。初夜にいきなり話があると言われれば、不安と緊張でたまらないはずだ。それが抑えきれなくなったのだろう。

 その怯えたような表情が柊影をひどく居たたまれない気持ちにさせる。

 柊影は顔を背け、どう切り出すべきかと悩んだ。これからする話は、彼女にとって、決していい話ではないだろう。

 話があると言ったきり黙り込んでしまった柊影に、貴妃は何を思ったか立ち上がった。


「陛下。お茶でも如何ですか?」


 貴妃は不安を押し殺すように、無理矢理に笑った。


「ああ、そうだな。だが、女官たちは下がらせているゆえ、そなたに容れてもらわねばならないが良いのか?」


 柊影が問うと、貴妃は明らかにほっとした様子で頷いて、茶器を取りに下がった。そしてすぐに戻ってくると、慣れた様子で二人分の茶杯に茶を注ぐ。柊影が手馴れていると指摘すると、貴妃は恥ずかしそうにコクリと頷いた。


「私の実家にはあまり使用人がおりませんでしたから、自然と、自分でできることは、できるだけ自分でするようになったのです」


 なるほど、と思っていると、湯気と共にふわりと甘い香りが漂った。

 貴妃から茶杯を受け取り口をつけると、まったりとした甘さが口内に広がる。これは……。


「陛下に頂いた梨茶にございます」


 まるで柊影の言葉の先を継ぐかのように、貴妃はそう言ってほほ笑んだ。


「婚儀が始まる前、私はとても緊張していたのです。しかし、陛下が取り寄せてくださったこのお茶をいただいたことで、心を落ち着かせることができました。このようにお気遣いくださり、本当にありがとうございました。

 それに、お茶だけではありません。この素晴らしい宮殿や調度品、そしてとても気が利くやさしい侍女たちを私のためにご用意くださり、ずっと陛下にお礼を申し上げたかったのです」

「どういうことだ?確かに宮殿やそなたの身の周りのものなどは揃えさせたが、そなたのために茶を取り寄せて贈った覚えはない」


 柊影が訝しげに言えば、貴妃は「え?」と呟き目を瞠る。互いに「何故」と思っているのは明らかだった。

 しかし、柊影はすぐに答えを見つけた。身に覚えがないこんなことをしそうな人物は、宰相の鄭啓くらいだ。

 柊影が目の前の少女を貴妃の位に据えると知った時、世継ぎを望む臣下たちは大いに喜んでいた。いずれは彼女を立后させ、この国の国母になってもらえればと。

 そして啓はその筆頭とも言うべき存在だった。愛想の無い皇帝に代わって、彼が気を利かせて貴妃を喜ばせようとしたのだろう。

 柊影が、宰相が勝手に差配したに違いないと話すと、貴妃は「そうですか」といって俯いた。


「陛下は、梨茶はお嫌いですか?」


 じっと自身の手元の茶杯を見つめながら、貴妃が問う。柊影が殆ど茶に口をつけていないと気付いているのだろう。


「ああ、そうだな。甘いものはさほど好きではない」

「そう、でしたか。申し訳ありません」


 貴妃はまた謝って、自身も遠慮するように茶杯をそっと手放した。なんだかそのシュンとした様子が、飼い主に怒られている子犬のように見えて、柊影は思わず手を伸ばしかけた。だが、それもすぐに思いとどまる。今夜ここへ来たのは、こんな話をするためではない。


「さて、話を本題に戻そう。私はそなたと取引をしたい」


 貴妃は驚いて顔を上げた。


「取引、でございますか?」

「ああ。よく聞いてほしい。今後、私はそなたのもとへは参らぬ。そなたに寵を与えるつもりもない」


 柊影の言葉に、貴妃は息を飲んだ。それを無視して柊影は続ける。


「そなたに望むのはただ、貴妃としてこの後宮で暮らすことだ」

「何の……ために?」

「そなたの存在が他の嬪を牽制することになる。それがひいては嬪たちの一族、さらには自分の娘の後宮入りをもくろむ貴族の牽制になる」

「牽制と仰いましたか?」

「そうだ。そなたが貴妃に立てられるまで、ここには九嬪までの女しかいなかった。それが、嬪たちを驕らせ、あたかも自分たちが後宮の主だと思わせていた。また、娘のいる貴族たちは、九嬪までしかいないことを理由に、是が非でも妃を立てるべきだと口うるさく言う。そうすれば、自分の娘が後宮入りができると思い込んでいるのだろうな」


 柊影は白々しくなって、思わず乾いた笑いを零した。

 貴妃はじっと柊影の顔を見つめたまま、しばし言葉を失っていたが、それでも、頭はきちんと働かせていたようだ。


「私をお選びになったのは、なぜですか?陛下のお話をお聞きする限り、この役目は私でなくてもよろしかったのではないですか?」

「いや。これはそなたが適任だったのだ。……そなたは私の弟のことを知らぬと言ったな?あいつがなぜ謀反を起こしたかも当然知らぬだろう」


 急に話の方向がそれたことに、貴妃は戸惑ったようだった。それでも、しっかりと頷く。


「……はい」

「弟はな、自身の妻の外戚に唆されたのだ。皇帝を殺し、帝位に付けと。それ故に、私は外戚というものを全く信用できない存在だと考えるようになった。

 当時、謀反に連座して二人ほどいた妃が皆後宮を去った。それ故に、これまで私の後宮に四夫人の位の者はいなかったのだ。だが、謀反が起きたのは既に6年も前のことだ。そろそろ、あの事件を理由に入内を拒むことも難しくなってきていた。

 そなたの実家は中央に干渉できるほどの地位も財産も持ち合わせてはいない。例えそなたが貴妃になり、それを利用したところで、せっかくの機会を生かす力もない。故に、どうせ誰かを入内させるのならば、そなたがもっとも相応しかったのだ、飾り物の貴妃となるにはな」


 柊影が淡々と告げた言葉に、貴妃の瞳が再び消え入りそうに揺らいでいた。




 

※ちょこっと補足

後宮は皇后の下に四夫人(貴妃、淑妃、徳妃、賢妃)、その下に九嬪(昭儀、昭容、昭媛、修儀、修容、修媛、充儀、充容、充媛)の位がある設定にしてます。唐の初期の頃と同じ感じです。

話の中で「妃」という言葉が指すのは、この四夫人の位にいる人です。

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