2-5
※柊影視点
日暮れとともに始まった祝宴は、それはつまらないものだった。
正妃である皇后を迎えたわけではない。そのために、国外からの賓客は招かなかったが、それでも国の高級官僚と貴族たちが、これでもかと集まっていた。
せっかくの酒も料理もほどほどに、先ほどから、参列者から代わる代わる祝辞を受けているが、どいつもこいつも、向けてくる笑みの下に己の思惑を隠し持っていて、それが、柊影には吐き気がするほど不快だった。
年頃の娘を持つ貴族たちは、なぜ自分の娘ではなく、とるに足らない田舎貴族の娘を貴妃にしたのかと憤り、同時に、次はぜひうちの娘をと考えている。
そうでない者は、貴妃に強い後ろ盾がないことをいいことに、いかにして彼女に取り入ろうかと、上辺だけの愛想を振りまいている。
彼らはそうした自分たちの心の内が、表に透けて見えていることに気付いていない。しかし、一段高く置かれた祝宴の主役の席からは、そうしたものがありありと見て取れた。
隣の貴妃はと言えば、先ほどから根気強く寿ぎを受けている。疲れているだろうにそれを顔にださず、ただ品の良い人形のように静かに微笑んでいる。
内心では田舎者と蔑んでいても、参列者たちは一様に貴妃の美しさだけは認めていた。
中には見るからに好色そうな者もいて、お会いできて光栄ですと言いながら、脂ぎった嫌らしい手で貴妃の手を取る。
柊影は不快さを隠すこともなく、冷めた声音で貴妃に触れるなと忠告する。
するとあたかもそれが貴妃に寵を与えているかのように映るのだろう。男は焦ったように慌てて貴妃から手を離し、そそくさと辞去する。
その様子をフンとあざ笑うと、側に控えていた啓が顔をしかめた。
「陛下」
「わかっている」
柊影は啓としばし無言で睨みあいながら、この茶番に付き合うのもこの辺りまでで良いだろう判断した。
柊影が無言で立ち上がると、辺りは水を打ったように静まり返った。
「貴妃は疲れているようだ。我らは先に退出するが、皆はゆるりと楽しむがいい」
そう言うと、さっと貴妃の手をとり、皇帝の言葉にざわりと揺れる大広間を後にする。
貴妃はどこか安堵したような表情を浮かべると、大人しくついてきた。柊影はたった一日で、貴妃の体がそれほど丈夫でないと、すでに察していた。
それに彼女は周りに気を使いすぎるきらいがある。そのために、他の者より疲れやすいのだろう。貴妃の顔をそれとなく見ながら、その推測は間違いではなさそうだと確信する。
火の入れられた灯篭に照らされた回廊を、二人は足早に進んだ。その後ろを、啓と数人の護衛が付いてくる。
柊影は貴妃を後宮の入り口まで送ると、そこで待ち構えていた女官たちに彼女を預けた。
女官たちは心得ているとばかりに頭を下げる。女官たちは、婚姻の儀がまだ終わっていないことを正確に把握していた。
「貴妃、また後ほど」
柊影が淡々とそう告げると、貴妃はカッと一瞬で頬を上気させて俯き、女官たちは一斉に色めき立った。
それを見事に無視して踵を反すと、柊影は自身の寝殿へと向かった。先ほどまでの不快な気分を、湯に浸かってさっさと流してしまいたかったのだ。自然、彼の足は早足になっていた。
皇帝のそんな思いを知らぬ者が見たならば、彼が今宵の閨事を待ち望み、心勇んでいるように思っただろう。
供の手も借りず、あっという間に一人で湯あみを済ませた柊影は、夜着を纏うと再び寝殿を後にする。
柊影が寝殿を出ると、啓を初めとする臣下がぞろぞろと後に続いた。その中には、護衛官の他に、何人かの文官と医官が混ざっていた。彼らは公人である皇帝の行動を記録に残す記録官や、皇帝の婚儀を見届ける証人でもあった。
普段ならば彼らとて後宮へは立ち入ることができない。後宮への通用門より内は、男たちに代わり女官たちが付き従うのが通常だ。
しかし、今宵だけは話が違う。貴妃の初夜を監視し、彼女が純潔であることを確認する必要が彼らにはあるのだ。
けれど柊影は彼らを門の前で留め置いた。彼らは当然困惑し、柊影を説得しようとしたが、それを無視して、柊影は出迎えた女官たちだけを引き攣れ、後宮へと足を踏み入れた。
他の宮殿から少し離れた場所にある白遥宮は、渡回廊がなく、庭の中に整備された細い石畳の道を進む形になる。そのため、手提げ灯篭を持った女官が柊影の足元を照らすように先だって進んだ。柊影の後ろからは女官長を筆頭に、貴妃付きの女官たちが付き従う。彼女たちも門のところに置いてきた医官たち同様に、動揺を隠せない様子だった。
白遥宮に辿りつくと、柊影は彼女たちも宮外で待つようにと伝えた。
一様に戸惑った顔をする女官たちを残し、柊影は出迎えた煌娟だけを案内として、白遥宮に足を踏み入れた。
白遥宮の中は質素だった。何しろ貴妃の持ち物がほとんどないのだから、当然だろう。
煌娟は貴妃の寝室と思われる最奥の部屋へ柊影を案内すると、扉越しに室内に声をかけた。皇帝のおとないを告げる煌娟の声に、中からか細い応えがあった。
「お前も下がっていろ。それから、他にこの建物のうちに残っている者があれば、その者たちも下がらせろ」
柊影の言葉に頷くように、煌娟は礼をして去っていった。煌娟は、柊影が武術にも秀でていることを知っているため、護衛の必要がないと判断したのだろう。
辺りに人の気配が無くなったことを確認し、柊影はそっと目の前の扉を押し開けたのだった。




