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※柊影視点
内廷に戻ると、女官や近衛兵たちが心配そうに待っていた。さらには宰相と大将軍までいる。柊影がうんざりした顔を向けると、彼らは顔をしかめた。
「陛下、いったい何をお考えなのですか!」
そう声を上げたのは、若くしてこの榛国の宰相となった鄭啓だ。普段は温和で人好きのする顔立ちに、柔らかな物腰の彼も、こういう時は皇帝とはいえ同い年の柊影には容赦がない。柊影に諫言できる貴重な人物であり、その有能さも相まって柊影は彼を右腕としているが、おせっかいなところが玉に瑕だった。
そのため、口うるさいのが来たなと、柊影は辟易した。
「もうじき祝宴が始まると言うのに、供も付けずどちらに行かれていたのですか!我らがどれほど気をもんだか」
「ああ、わかっている。ちゃんと間に合ったのだから、そうまくし立てるな」
柊影がうるさいとばかりに答えると、啓は明らかに苛立ったようだ。
「陛下、もしものことがあったらと、我々は心配していたのですよ!もっと反省してください」
「あのな、私は子供ではないのだぞ」
柊影が肩をすくめると、横から別の声がかかる。
「陛下、啓の言う通りだ。それに、警護をする俺らの身にもなってくれよな。うちの若いのがそうとう参ってた」
そう声をかけてきたのは、榛国の大将軍職にある朱鷹翔だった。鷹翔は大将軍に相応しい、鍛え抜かれた体を持ついかつい男だった。彼の顔には戦場で受けた切り傷が真一文字に走り、見たものをひるませるだけの迫力がある。そして、やはり柊影と年の近い彼もまた、柊影を恐れない貴重な人物だった。
さらに鷹翔は、柊影が貴妃を連れて行こうとしたときに、後を追ってきて柊影を止めようとした武官の上司でもあった。部下たちの信の厚い彼は、それ故に、苦笑交じりで柊影を諌めたのだ。
柊影はため息を吐いた。
「お前たちの話はあとでゆっくり聞く」
そう一言でその場を収める柊影に、啓はなおも色々言いたそうだ。しかし柊影はそれを無視して、貴妃の方を振り返った。
「そなたは白遥宮にもどって、暫く休め。具合が悪いようなら宴を取りやめても良い」
柊影の言葉に、貴妃は「少し休めば大丈夫です」と首を振る。その時になって初めて、啓や鷹翔は貴妃がいることに気が付いたようだった。物静かで控えめな貴妃は、目立つことも無く、貴妃として周りをひれ伏せさせるような存在感も無かった。
しかし、貴妃を見た二人は、一様に言葉を飲んだ。今や薄絹を取り去った貴妃が、その可憐で静謐な美しさのために、一目で彼らを魅了したのは間違いない。それが柊影には何故か腹立たしかった。
だが、彼らが驚いている理由は、恐らくそれだけではないことも柊影はわかっていた。気の置けない、信頼している臣下であればこそ、貴妃を彼らの前に晒しておく気は無かった。
「早く貴妃を連れていけ」
その場で呆然と成り行きを見ていた女官たちに声をかけると、皆ハッとしたように動き出した。手短に貴妃が辞去の礼をとると、女官たちは貴妃を連れ、後宮の方へ去っていく。
その際に、柊影は顔見知りの女官を見つけた。それは柊影が自ら貴妃に付けた煌娟という侍女だった。
煌娟はただの女官ではない。彼女は幼いころから特別に鍛えられた人間だった。
榛国には、陰の世界で皇帝の手足となって動くため、密かに集められた者たちがいる。公になっていない彼らは、諜報活動や暗殺など、国の闇の部分に関わっていた。
表向きは華やかに見える後宮だが、裏には眼に見えぬ闇が多分に広がっていた。いかに他者を蹴落として皇帝の寵を得るか。そんな女たちの熾烈な争いが、闇を生むのだ。
皇帝以外の男を受け付けないこの後宮で、目立たずに活動できるのはやはり女だった。それ故に、煌娟は皇帝から直々に命を受け、貴妃の護衛についていた。何の後ろ盾もなく、いきなり後宮の頂点に据えられた娘は、当然他の女たちの妬み嫉みを買うことが予想されたからだ。
煌娟はこちらを責めるように睨んでいた。どうやら貴妃は、相当彼女に気に入られたらしい。
柊影はそんな侍女に視線だけで仕事を続けるように命じる。煌娟ははた目にはそれとわからないほど微かに頷いて、貴妃を追うように去って行った。




