美奈子ちゃんの憂鬱 マチムラさん
平山夢明先生の「怖い本」9巻を元ネタにしました。中身より表紙とイラストが怖いよ。この本。
「もう、散々な目にあったわよ」
明光学園のお昼。
お弁当を食べ終わった美奈子は、そう言うと顔をしかめた。
「何が?」
デザートの梨を剥きながら、水瀬が訊ねた。
「一昨日まで、またバイトにかり出されたんだけど」
美奈子のバイトとは、探偵業。
様々な事件に関わった結果、現代の名探偵として警察業界では知る人ぞ知る存在となっている。
おかげで難事件が発生すれば、美奈子は協力費をピンハネする悪徳元警察官僚の理沙によって日本全国どこへでも連れて行かれる。
水瀬はそれを知ってるから、そこだけは気の毒がった。
「相変わらず、大変だね。今度はどこ?」
「関西。こっち出かける前に、“関西へ行くならどうぞ”って、瀬戸さんからホテルの割引チケットもらっていたの思い出したの。
ほら、普通、警察の手配してくれるホテルって、民宿とか、下手したら警察署の仮眠室なんだけど」
「いいじゃん。僕の時なんて“さっさと帰れ”の一言だよ?お弁当だって出ないんだから」
「……それに比べたらいいかもしれないけどさ」
「事件は解決したの?」
「うん。そこまではよかったの。ホテルは高級なシティホテルだし、部屋も綺麗で広くて」
「それで?」
「ところがね?夜、ベッドに入ってからがおかしかったのよ」
「……うん」
「うとうとしかけたら、何だか夜中だっていうのに、ガタゴト五月蝿いのよ、隣の部屋が。壁をドンドン叩いてみたり、何だかお風呂にお湯を張ってみたり、抜いてみたり」
「隣の人がただ、夜、遅かっただけとか」
「それならそれでいいのよ。いいんだけど、一度お湯を抜いて、またお湯張って、それの繰り返しよ?」
「酔っ払っていたのかなぁ」
「そうかもね。私も、“ヘンなことする人もいるんだなぁ”って、しばらくはジッとしていたんだけど」
「寝ちゃえばよかったのに」
「そう言われても、一度目が覚めると、そう簡単に寝付けないのよ。しかも、そんな音が聞こえてくるくらいだから、どうも壁が薄いらしくて、隣の音が丸ごと聞こえてくるの。そのうち、ガーガーいびきまで聞こえてきてさ」
「高級なホテルで?」
「警察の仮眠所にでも止めてもらえば良かったって、後悔したけど、それだけじゃないんだから」
「まだあるの?」
「これからなのよ、最悪なのが」
「時計見たらもう1時近く。どうしようかなぁって思っていたら、突然、ドアがノックされたの。夜中の1時よ?」
「理沙さん?」
「私もそう思った。でも、ホテルの部屋番号まで教えてなかったもん。
いくら理沙さんでも深夜1時に訊ねてくるってことないでしょう?
何?って怖くなって、暗い中、シーツにくるまってドアを見つめていたら、トントン……トントンって。ずっと繰り替えすの。
私、泥棒か強盗かって心配でね?
すぐに理沙さんと連絡とれるよう、携帯電話握りしめた」
「鍵は?」
「しっかり閉まっていた。チェーンロックも。それ確かめてから、足音忍ばせてドアスコープから外を覗いたのよ。
そしたら、ホテルの制服着たベルボーイみたいな人が立っていたのよ」
「ヘンだね」
「ホテルの人だから、大丈夫だろうと思って、ドアあけたの。“何かありましたか”って。そしたら、ボーイさんが“誠に恐縮ですが”……って頭下げて、“部屋を移って欲しい”ってそう言うのよ」
「夜中の1時に?」
「私だって納得いかないわよ。事故や事件ならともかく、“何ですか、それは”って聞いたら、ボーイさんが本当に恐縮したって顔で、“本当はこのお部屋はお客様をお泊めできない部屋なんです”って言うの」
「……どういうこと?」
「私もそれを聞いた。でも、言わないのよ。ただ恐縮したって感じで、それで部屋代は結構ですって、クーポン券みたいなのくれたの。宿泊の半額券」
「もらったの?」
「うん。しかたないから部屋を変えることにした。バッグに荷物詰め込んでね。隣は五月蝿いし、タダになったし、次は半額だし、寝られるならとりあえず良いかって。ボーイさんは、私の荷物をカートに載せて廊下を案内してくれたけど、その間中、“申し訳ありません”ってずっと繰り返していた」
「次の部屋は?」
「それがね?同じ階の別な部屋。作りはほとんど同じだった。もう眠くてしかたなかったから、そこでもいいやと思ってね?それで、ボーイさんから荷物受け取った時、こんな夜中にご苦労様って、声かけたの」
“本当なら、部屋を変えて欲しかったの”
そしたら、ボーイさん、“何かありましたか?”
だから、“隣が五月蝿くて”
そう答えた。
ただ、それだけよ?」
「うん」
「そしたら、ボーイさん、真っ青になって“失礼ですが、お客様のお部屋の両隣とも今夜、宿泊のお客様はいらっしゃいません”って」
「いない?」
「そう。あれだけ音がしていたのに……いないっていうの」
「何だろう……ヘンな話だね」
「さすがに私もぞっとしたのは確か。さっさと寝たら良いと思ってベッドに潜り込んで、朝になったらびっくりよ。汚いの」
「汚い?」
「そう。部屋全体がものすごい汚いの。シーツは汚れているし、トイレは黄ばんだまま。普通備え付けられている歯ブラシとか全くなし」
「……夜、部屋に入った時は綺麗だったんでしょう?」
「そう。少なくとも、私は綺麗だと思った。しかも、ベッドの脇には何に使ったの?ってくらい、汚れたり黄ばんだリネンの詰め込まれた袋が山積みにされていて……」
「そんなの、文句言わなきゃ」
「でしょう?フロント呼び出そうと思ったら、電話が通じてないの。朝から最低だと思って……天下のトップアイドルの瀬戸さんが宿泊するくらいだから、一流のサービスがあって当然でしょ?私、このホテルに失礼なことした覚えもないし。宿泊費タダで、半額券くれたとしても、これはないと思って」
「だよねぇ」
「朝食だって、こんなんじゃ何が出てくるかわかんないし、理沙さんと合流した後、警察署かどこかで食べた方がマシだと思って、荷物まとめてフロントに出立の手続きに行ってさ?フロントはまだ朝食前の時間だから、係の人しかいなくて。良いタイミングだと思ったから近寄って、“ちょっとヒドすぎませんか?”って、そう言ったの」
「そしたら?」
「フロントの人、きょとん。とした顔してね?
私が夜の音の件から全部話たら、真っ青になって奥に消えたの。
奥の事務所がザワザワってなって、すぐに5人くらい、フロントに人が集まって」
「ちゃんと謝ってくれた?」
「うん。平身低頭ってヤツね。どこの部屋か案内して欲しいっていうから、朝の部屋に案内して、中を見せたの。“どうですか?”って、そう聞こうと思って、顔色みたら、全員、真っ青になっていて……その中の一人で、チーフっていう人が“昨晩、ご案内したボーイはどんな人物でしたか?”っていうから、ネームプレートに町村って書いてあったの思い出して、“確か、マチムラさんでしたよ”。そう言ったの。それだけよ?そしたら、フロントにいた女の人、卒倒しちゃって」
「ただごとじゃないね……それ」
「そう。私もそう思って、どういうことかって訊ねたの。そしたら、チーフさんが言うには、“誠に申し訳ありませんが、町村は既に退職しております”って。
おかしいでしょ?
退職したのに、何でホテルの制服着て、私の部屋に来て、ここのドアを開けられたのか、説明出来ませんよね?って。
それでも、チーフさん達は申し訳ありません。の一点張り。
最後に、副支配人って人が来て教えてくれたの。
“この部屋は、数年前からどなたもお泊めしておりません。普段は施錠し、キーは営繕部で管理しておりました”」
「……そういえば」
「そう。気付いた?」
「うん。そのボーイさん、鍵どうしたの?」
「私、副支配人さんに言われて初めて気付いたの。鍵がないのよ。ボーイさんからもらっていなかったの。
でね?ホテルの鍵ってオートロックでしょ?
そのホテルはふつうの鍵。
ホテルの人達も、そこを鍵で開けていたの」
「中には」
「そう。私の荷物がしっかりあった」
「……うん?」
「あの……その人って、今、生きてるんですか?たったそれだけの質問にさえ、あのホテルの人達は答えることが出来なかった。私はそのボーイさんに案内された最後の証拠だと思って、渡された半額券をバッグから取り出そうとしたんだけど……どこにも見当たらないの。おかしいでしょ?あのボーイさんは、一体、誰で、どうして、私をあんな部屋に案内したの?それに、あの最初の部屋の音は何だったの?全部が説明出来ないんだもん」
「結局、どうなったの?」
「あのボーイさんからもらったのと同じ半額券をもらって、宿泊代はタダにしてもらったけどね?いろいろホテルや旅館使ったけど、こんなに腑に落ちないのは初めてだった」
「半額券と宿泊代は、“ご内密に”ってヤツ?」
「多分ね―――いる?」
「いらないけど……」
「けど?」
「気になることがあるんだ」
「何?」
「最初の半額券、瀬戸さんはどこから手に入れたんだろうって」
「……」
これは、桜井美奈子と瀬戸綾乃の、女の子らしい他愛もない恋の争いの、ほんの一幕であり、桜井美奈子が記した、“瀬戸綾乃を殺す百の理由”というタイトルのメモ帳に書き込まれた事件の一つに過ぎない。
桜井美奈子が、この報復として仕掛けた“死者のウエディングドレス事件”は、また別の機会にでも……。