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偶然か必然か

作者: 夕氷嘩


今日は大学で所属しているテニスサークルの飲み会の日。


私…笹倉水穂ささくらみずほは、誰にも気付かれないように小さくため息をついた。


席も安全席をばっちり確保する。

端っこの目立たない位置。

席によっては殺されかねないから、これだけは譲れない。


周りをそっと伺うと、まだ開始30分と経ってないのに、すでに何人か潰れてしまっている様だ。

楽しそうにビール瓶を片手に騒ぐサークルの仲間達。

久々の飲み会ということも手伝ってか、今日はなかなかピッチが早そうだ。


「おーおー荒れてるねぇ」


場違いなほど、のんびりとした声が前から聞こえてくる。

林佑子はやしゆうこ…同じ3年の、私の親友とも呼べる人。


ふふ、と母親のように目を細めている彼女は、実はとんでもなく酒豪だ。

普段の飲み会では先陣切って戦っているのに、何故今日に限ってこんなところに彼女が座っているのか。


「さぁて、水穂ちゃん?」

「は、はい」


…そう。彼女はどうやら私に秘密のお話があるらしい。

鋭くなった目に気圧されて、私は思わず姿勢を正す。


「今日こそは絡みにいくわよーーー卓也先輩と」

「っ!」


唐突に切り出された本題に息を呑む。

反射的にぶんぶんと首を振ると、彼女の睨むような視線はより一層強くなった。


「あんたそんな悠長なこと言ってていいの?見なさいよ、アレを」


言われた通りに視線を奥の座敷の方に移すと、一人の男とその周りをぐるりと囲むようにして座っている4、5人の女の子達。

なんだかとても楽しそうでちょっと羨ましい。

ぼーっとその光景を見つめていると、佑子に容赦なく頭を叩かれた。

…痛い。


「好きなんでしょう?行動に移さずして結果が伴ってくるなんて大間違いなんだからね!」


ぐさりと。佑子の言葉が胸に突き刺さる。


―――そんなこと分かってる。

卓也先輩が私みたいな平凡な子をサークル員のひとりとしてか見ていないことなんて。


卓也先輩の本名は、桂木卓也かつらぎたくや。私のひとつ上の4年生で、つい先日大手商社の内定を捥ぎ取った凄く優秀な先輩だ。

将来有望でありながら加えて顔良し、スタイル良し、頭良しと文句のつけどころがない、今の時代にはとても珍しい人。

精悍な顔立ちはどこか堅そうでありながら、実際に話してみると気配りができて凄く優しい。

その上硬派で、彼女は2年前に別れて以来いないという話はサークル内で有名だった。


そのため当然と言えば当然、サークルのアイドルのような存在であり、彼女というポジションを虎視眈々と狙っている女の子が多数いるのも事実。


そんな私が彼に恋に落ちたのは一瞬だった。

最初は雲の上のような存在にしか思っていなかった。

だって、あまりにも私とは世界が違いすぎる人だから。


でもそんな人とでも、数少ない偶然というものは確かにこの世に存在する。

私と卓也先輩の場合…それは「電車」だった。


半年前、ゼミの飲み会で夜遅くまで飲んでいた私は、慌てて終電間近の電車に駆け込んだ。

席は意外なことにそこまで混んでいなくて、これなら座れるとほっとしていたところに、ふと視界に飛び込んできた姿。


私は目を瞠った。

…あれは卓也先輩?


スーツに身を包んで黒髪がビシリと格好良くセットされている。

社会人としても通用する身なり…一際目を惹く存在に、声をかけるかどうか逡巡する。


おそらく就職活動の最中さなかなのであろう。

卓也先輩はこちらにまだ気付いていないようだが、どことなく疲れた表情を見せている彼はじっとドアに体を寄りかけるようにして腕を組んで立っている。


どうしよう…

疲れてるみたいだし話しかけない方が良いのかな?

でもこんなに空いてる電車じゃ話しかけないのも無視してるみたいで感じ悪いし…


私は暫く迷っていたが、最寄り駅までそこまで時間はかからないし、思い切って話しかけてみることにした。


「卓也先輩、こんばんは」


卓也先輩はびくりと身体を揺らした後、驚いたように僅かに目を見開いた。


「水穂じゃないか…どうしたんだこんな時間まで。飲み会か?」

「はい。ゼミで飲んでたんです」


ああ、どうしよう。間近で見ても、本当に格好良い。

意味も無く心臓がドキドキしてくる。


「卓也先輩は就活ですか?」

「ああ、今日は説明会だったんだ。その後島原と飯を食ってきたとこ」


島原というのは、卓也先輩の同期で4年の先輩のこと。

いつも豊富な話題と話術で皆を楽しませてくれるムードメーカー。

卓也先輩と凄く仲が良い。


「そうだったんですね、お疲れ様です」


すると、卓也先輩がじっと私の顔を見つめていることに気が付いた。


え…な、なに?何か顔についてる?

その視線に、私は酷く動揺した。


「あ、あの…?」

「顔、すぐに飲むと赤くなるな」


目を細めた卓也先輩は、冷たい指先でそっと私の頬に触れてきた。

あまりにも唐突な出来事に、私はただ固まることしかできなかった。

顔が自分でも真っ赤になるのが分かる。

慌てて動揺を隠すようにして、私は喋った。


「そ、そんなに顔に出ていますか…」

「ああ、いつも分かりやすいぐらいに」

「はあ…」


そんな情けない姿を見られていたなんて…

穴にあったら入りたい、ってこういうことを言うだなぁ。


そうこうしているうちに、次が自分の最寄り駅であることを告げるアナウンスが車内に流れた。

私はハッと我に返ると、ふとカバンに入っていたチョコの存在を思い出す。


「あの、これもし良かったら」


咄嗟にそれを取り出すと、卓也先輩の前に差し出した。

卓也先輩が甘いものが好きだというのは、彼を崇拝している女の子達から散々聞かされていたから。


少しでも、就職活動の疲れの癒しになれば良いな。

チョコなんて何の足しにもならないかもしれないけれど…


恥ずかしさを押し殺すようにして笑顔をつくると私は卓也先輩の手に握らせて、


「それじゃあ、失礼します。就活頑張ってください」


と頭を下げて、電車を降りた。


ちょっと差し出がましかったかな…


自分の行動に後悔していると、背中に声が追いかけてくる。


「水穂!」


驚いて振り返ると、卓也先輩が車内からこちらを見つめていた。


「これ、ありがとな」


―――あまりにも優しげな微笑に、私が恋に落ちたのは本当に一瞬だったのだ。



あれから半年…私の恋心は消えることはなかった。

それはまるで甘い麻薬のように。確実に私の中に浸透していった。

当たり前だよね。あれだけ素敵な人なんだもの。


そしてこの恋心は、いつまでも胸の中に留めておけるほど小さなものでもなかった。

溢れ出してしまいそうな想いに終止符をうたなければならないことも、頭の片隅でちゃんと理解していた。

なかなか機会が掴めずにここまできてしまったけれど…


佑子はそんな煮え切らない私に、いつも協力してくれようとしている。

どれだけこの恋が無謀なものなのか理解してくれた上で。

そう言ったら「恋をしちゃいけないなんて決まりがあるわけないでしょ!」と散々怒られてしまったのだけれど。


今だってそう。

だからこそ、佑子には申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

自分でもこのままで良いなんて思ってない。


―――いい加減、腹を括らなきゃ。


私は気持ちを落ち着かせるために、席を立った。

驚いた佑子が、私の右腕を掴む。


「水穂?どこに行くのよ」

「ごめんね、ちょっとトイレに行ってくる」


トイレに行くなんて、嘘。

どうしても決心をつけるために、外の新鮮な空気を吸って心を落ち着けておきたかったかったのだ。


ごめんね、佑子。

心の中で謝って、私はそっと飲みの会場を抜け出した。


先ほどの騒がしい飲みの会場とは打って変わり、外は静まり返っていた。

もともとこのお店が、都心から離れた穴場に位置していたことも理由にある。

人通りは本当に少なく、ちらほらと影が見えるだけ。

夜空には爛々と星が瞬いている。


私はふーっと息を吐き出すと、お店の壁に寄りかかるようにして静かに目を閉じた。


…今日、告白しよう。


飲み会が終わって、皆が散り散りになったら。

なんとか卓也先輩に5分で良いから時間を貰って、伝えるんだ。


瞼の裏には、あの日のこと。

卓也先輩の笑顔は色褪せることなく、半年経った今でも鮮やかに思い出すことができる。


大学に入って3年も経つのに、好きな人もできなくて。

誰かに告白されても付き合う気すら起きなかった。

焦るどころか私はすでに諦めの境地にいた。


私に恋なんてできる日なんて一生来ないのかもしれない…


―――そんな時にあの日の出来事。


恋というものを教えてくれた卓也先輩に、報われなくてもせめて感謝の気持ちを伝えたい。


この半年、本当にドキドキして毎日が新鮮だったから。


すべてが輝いて見えた。

卓也先輩の姿が見れただけで、自然と嬉しくなった。

卓也先輩と話せた日の夜には、なかなか寝つけなかった。


あの日のことが例え偶然でも、こんな絵に描いたような恋が自分にできるなんて思ってもみなかったから。



「―――水穂?」



突然、空気を割るようにして響いた低い声。

心臓がドクンと大きく跳ね上がる。


瞼をおそるおそる上げると、目の前には今まさに会いたかった想い人がいた。

驚きすぎて言葉が出てこない。喉がからからだ。


卓也先輩は、心配そうにそんな私を見ている。


「どうした、大丈夫か?飲みすぎたのか」

「あ、は、はい。大丈夫、です」


何とか言葉を搾り出すと、卓也先輩はほっとしたような表情を浮かべた。


ああ…もうその顔は反則ですってば。


ドキドキと煩いぐらい心臓が高鳴っている。


「あ…の、なんで卓也先輩は、ここに?」


つい先ほどまで飲み会の席にいた筈なのに。

そう尋ねると、卓也先輩は困ったように笑った。


「…ちょっとな」


何か用事でもあるのだろうか。

静まってしまった空気に、内心私は非常に焦っていた。


どうしよう、どうしよう…

まさかこんなに早くチャンスが巡ってくるとは思わなかったのだ。

心の準備だってちゃんとできていない。


―――それでも。

これが数少ない2度目の偶然であると言うならば。

私はこの機会を逃すわけにはいかない。


「た、卓也先輩!」

「ん?」


なんだ?と柔らかい声で答えてくれる彼に、泣きそうになる。

私はぎゅっと目を閉じると、畳みかけるようにして私は口にしていた。


「お、お願いします。5分で良いので今お時間頂けますか?」


緊張で胸は張り裂けそうになる。

卓也先輩の返事が怖くて、耳を塞ぎたかった。

これだけ一瞬が長く感じられたことはない。


「…いいよ。けど、その前に…」


え?


「俺もお前に話があったんだ。先に聞いて貰えないか」


いつになく真剣な表情の卓也先輩に、私は自然と頷いてしまっていた。

私に話…?


「ここじゃ、いつ誰が出てくるか分からないな。移動するか」


その言葉に人形のように私はまたこくりと頷くと、歩き出した卓也先輩の後に付いていく。

並木道を進み角を曲がると、小さな公園がそこにあった。

ベンチが等間隔に3つ置かれているぐらいで、桜の木に囲まれているひっそりとした空間。

夜桜が明りに照らされいる光景はとても綺麗で、私は気付かないうちにうっとりと息を零していた。


「きれいですね…」

「ああ」


公園の奥まで進むと、卓也先輩はぴたりと足を止めて、こちらを振り向いた。

それから私を見て、可笑しそうにくすりと笑いを零す。


え…?な、なに?


「花びら」

「は、はい?」

「桜の花びらが頭についてる」


じっとしてて。

その言葉と共に卓也先輩の指が私の髪に触れる。


―――その瞬間、前触れもなく唐突に半年前のことを思い出した。


そういえばこんなに近付いたのあの時以来かも…

顔が真っ赤になっていくのを抑えられない。


「半年前のこと、覚えてるか?」

「え…?」


私が瞬くと、卓也先輩は頬を人差し指で掻きながら困ったような顔をした。


「ほら。半年前、電車で会ったときのこと」

「っ!」


驚いて顔を見上げると、卓也先輩は少し頬を赤くして視線を逸らした。

卓也先輩覚えててくれたんだ…

自分だけではなかったことに、嬉しくなる。


「あの頃…自分の将来が見えなくて焦りばかりが募って苛々している毎日だった。だけど水穂があの時チョコをくれて励ましてくれたおかげで、就活を頑張ろうと思えたんだ。焦っていても水穂を思い出すと自然と落ち着いた。無事に内定を貰えたのも、お前のおかげだと思ってる」


ありがとう、と言われて私は慌てて首を振る。


「そ、そんな、私は何もしてないです…!卓也先輩の力であって私は別に何も…っ」

「―――いや」


卓也先輩は目を細めて告げる。


「あの時の俺にとっては一番必要としている言葉だったから。偶然でも何でも、あの時電車で水穂に会えたこと、本当に感謝してる。ずっとあれから水穂のことが気になっていたんだ。ちゃんと会社が決まったら伝えようと思ってた。―――好きです。もし良ければ俺と付き合ってくれませんか?」


信じられないような卓也先輩からの言葉に、私は自分の中の時間が止まったような感覚に陥った。


今、なんて…


これは夢なの?

私が自分に都合の良い夢を見ているだけ?


「う、そ…」

「嘘じゃない。俺は、笹倉水穂が好きです」


きっぱりと否定してくれたその言葉に、これは現実なのだと思い知らされる。

気付かないうちにぽろぽろと涙が零れ落ちていた。


「夢…みたいです。私も今日卓也先輩に伝えようと思っていました。あの時から…ずっと…ずっと好きでした。私なんかで良いんですか?卓也先輩ならもっと良い人がたくさん…」


その言葉を遮るようにして、ぎゅっといきなり抱き締められた。

力強い抱擁にびっくりして思わず涙が止まる。


「―――お前が良いんだ」


耳元で低い声でそう囁かれ、顔が熱くなる。

私はおそるおそる自分の腕を卓也先輩の背中に回した。



偶然か必然か…

後になって、卓也先輩はあれは必然だったんだと自信たっぷりに言い切るから、思わず笑ってしまったけれど。

そう思って貰えていることが、内心凄く嬉しかった。


私の反応にむっとしたように顔を顰める卓也先輩。


「なに、お前はそうは思わないわけ?」


その表情が何だか可愛くて、また微笑んでしまう。

私は宥めるように笑って告げた。



もちろん運命だと思います。






―――数秒後、卓也先輩が顔を真っ赤にしていたのは、また別の話。





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