第二十九章:環境の「ノイズ」を引き算する 〜眩しさとムズムズのデバッグ〜
療育の朝の会。他のお友達がマットの上に座り始める中、裕太だけは立ち上がり、落ち着きなく教室内を歩き回っていた。時折、自分の鼻を何度もこすり、目を細めて天井を見上げている。
「裕太、座りなさい。ほら、みんな座ってるよ」
真依は焦りから、裕太の肩を抱いて無理に座らせようとした。しかし、裕太は「うわぁぁ!」と叫び、真依の手を振り払って、また部屋の隅へと逃げてしまう。
「……すみません。どうしても座れなくて」
申し訳なさに肩を落とす真依に、梅子さんがそっと歩み寄った。
「真依さん。裕太くんが座れないのは、集中力がないからじゃないよ。この部屋の中に、彼を座らせない『攻撃者』がいるのさね」
「攻撃者……?」
梅子さんは天井の明るいLED照明と、足元の絨毯を指さした。
「見てごらん。最近のLEDは光が強すぎて、視覚過敏がある子には刺さるような眩しさなんだ。それにこの絨毯。埃が舞いやすいし、繊維の刺激で裕太くんの鼻はさっきからムズムズして、座るどころじゃないのさ」
梅子さんは、裕太がいつも逃げ込む「光の当たらない、フローリングの隅」を指さした。
「あそこなら、眩しさも鼻の不快感もない。ADHDの傾向がある子にとって、じっとしていることは生理的な苦痛に近い。そんな中で環境のノイズまで重なったら、座っていること自体が拷問になってしまうんだよ」
梅子さんは、裕太を無理にマットへ連れ戻すのをやめ、裕太が落ち着けるフローリングの場所に、小さな椅子を一つ置いた。
「真依さん。ASD(自閉スペクトラム症)の子は、ルーティン化すれば座れるようになるけれど、ADHDの子は脳が刺激を求めて動いてしまう。でもね、成長とともに、彼らも少しずつ『我慢する努力』を覚えていく。それまでは、大人がこの眩しさや不快感を引き算して、待ってあげる時期なのさ」
真依は、裕太がその椅子に自分から座るのを見て、呆然とした。
眩しさを避け、鼻を触るのをやめた裕太は、驚くほど穏やかな表情で先生の方を見ていた。
「……裕太のわがままだと思ってた。でも、この部屋が彼には辛かったんだね」
真依の言葉に、梅子さんは優しく頷いた。
純一パパが、その光景をノートに書き留める。
『環境因子(LEDの光量、絨毯の粉塵)による感覚過敏の誘発。ADHDにおける多動は、不快な入力からの逃避行動でもある。環境側のデバッグ(ノイズの除去)こそが、本人の自制心(抑制機能)を育てるための前提条件だ……!』
「ガハハ! それでお気楽よ、真依さん! 裕太くんが自分で『今は我慢して座ろう』と思える日が来るまで、周りがノイズを消してあげればいいのさ。これぞ大極楽の支援! 大極楽のハグを!!!」
美佐子ばあちゃんの力強い声が響く中、裕太は椅子に座ったまま、不器用に手拍子を始めた。
座らせようとする力を引き算したとき、初めて裕太は、集団のリズムの中に自分から入ることができたのだ。




