エピソード1
「メリア。僕は、隣国王女アイリアと結婚することにした。だから、君は僕と婚約しなくて良くなったんだよ」
「メリア様。今までルディの婚約者候補として頑張ってこられたと聞き及んでおりますわ。これからはわたくしがルディの横に立ちますから、どうぞごゆっくりなさって」
婚約者内定発表まで数日。婚約者としての内定は発表されてからと定められている。だから、確かにまだわたくしは婚約者に内定していなかった。しかし、婚約者になるものだと周囲から望まれ、そのために生まれたわたくしの存在価値は、なくなってしまった。ルーおにいさま……いえ、殿下とアイリア王女、そしてわたくしと三人の側近たち。それ以外が廃された小部屋でのルーおにいさまの言葉に、わたくしは血の気が引くような思いがして、ふらりと身体が揺れます。豪華な、しかしながら落ち着いた家具。見慣れた落ち着く空間であるはずの王宮。そこがまるで初めて立ち入った危険な森の奥深くのように恐ろしく感じた。
「殿下! それは、それは、あまりにも酷すぎます! 今までの姫様の献身を! 仇で返すと言う意味ですか!?」
倒れそうになったわたくしの身体を支えてくれた誰かが、わたくしの代わりにルーおにいさまにそう叫びます。意識が飛びそうになる中、わたくしはその手の温もりを感じて、ほっとしました。あぁ、ジュドー。あなたは主君ではなく、わたくしの味方になってくれるのね。優しいお方だわ。そう思って、わたくしは意識を手放しました。
「ねぇ、あなた。ルーおにいさまは今どちらにいらっしゃるのかしら?」
メリアッセンヌが、騎士ジュドーと出会ったのは、王宮内で王子を探しているときだった。
「あぁ、姫様。殿下は今、ご友人と一緒に王宮の裏の森で狩猟をしています」
メリアッセンヌにとって、騎士ジュドーが王子と一緒にいるには物心がつく頃から当然のことだったし、ルーおにいさまのただの騎士の一人だった。
「そうなのね。案内してもらえるかしら?」
「それは……」
騎士がメリアッセンヌの願いを断ることなんて、ありえない。そう思っていたメリアッセンヌがジュドーに願いを断られたのは、メリアッセンヌにとって、ジュドーという個人を認識するきっかけとなったのだった。
「もういいわ。あなた、わたくしの願いを断ると言うのね。ルーおにいさまに言いつけてやるんだから。行きましょう」
踵を返し、帰路に着くメリアッセンヌを追いかけて、謝罪することもない。メリアッセンヌにとって、騎士ジュドーは最悪な第一印象の相手となった。
「メリア。昨日はごめんね。僕に会いに来てくれたのに、会えなかったのだろう?」
翌日、王子がメリアッセンヌの元に謝罪にきた。あの騎士が自白したのではなく、周囲が王子に告げ口したのだろう。そう判断したメリアッセンヌは、王子をもてなしながら、騎士の不手際を伝えようと考えた。
「えぇ、そうなの。せっかく会いにいったの。それなのにね、」
「ジュドーに怒られたよ」
「え?」
王子の言葉にメリアッセンヌは首を傾げる。ジュドーとは、あの無愛想で印象の悪い騎士のことではないだろうか。騎士が主人を叱る? 疑問に思って固まったメリアッセンヌが話の続きを促していると思った王子が、小さくクスリと笑って口を開いた。
「メリアは生き物が傷つくことが苦手なんだって? 先日も鳥が王宮の庭に落ちていた時は、自身が倒れそうになりながら必死に手当てをしていたって聞いたよ。そんな女性の婚約者になるのなら、趣味で狩猟なんてするなって」
女性。淑女になるように扱われていた小さな令嬢であるメリアッセンヌは、王子の言葉に驚き、頬を染めた。そして、誰にも見られていないと思っていた小さな行動。それも、国母になるべくして生まれたメリアッセンヌは時には残酷な選択も必要となるし、狩猟大会では笑みを絶やさず国王のそばに控えていなければならないから、相応しいと言えるか疑問な行動。そんな、メリアッセンヌ個人の小さな苦手。それを見抜き、それに寄り添ってもらえた。初めての経験にメリアッセンヌはどうしていいかわからず、微笑みを携えたまま固まる。
「確かに、メリアはよく生き物と触れ合っているからね。狩猟なんてしている場に案内されていたら、メリアが倒れていたかもしれない」
あの騎士の行動は、己を守るためだった。自覚したメリアは顔を真っ赤に染めた。公の場で倒れるなんて、メリアッセンヌの汚点になる。王子の婚約者となるべく努力するメリアッセンヌにとって、それは避けなければならないことだし、周囲も望まないだろう。小さな、初めて感じる温かな気持ちの芽生えを感じたメリアは、すぐにそれが折られたことを感じた。あの騎士も、自分が主人に相応しい王妃となることを望んでいる。ならば、自分を思って不敬とも取られない行動してくれたあの騎士への恩を返すには、メリアッセンヌが王妃となることしかない。メリアッセンヌは気を引き締め治し、それから勉学に励んだ。騎士への不思議な気持ちが、何かであるのか自覚することもないまま。




