第5話
――― ♡
「う……」
視界が薄暗く、瞼の外側から光を感じる。
耳には騒音が届き、段々と大きくなる。
横一線に光が入ってきて、焦点の合わない霞んだ視界が眩しい。
「目覚めたか」
頭上から降ってきた、聞き覚えのある声。
痛む頭と、動きにくい身体。
首だけが自由を許され、声のした方に動かせば薄ら笑をうかべる王様ないた。
「無理やり眠らしたから、まだ辛いだろう。大人しくそこで祭を見ているといい」
「まつ、り……?」
一体なんのことか。
王様は俺から目を逸らし、体と同じ方向を向いた。
釣られて俺もそちらを向けば、遥か下の方に、見覚えのある背格好をした人型がいた。
頭周りに布を被っているが、それはおそらく、俺の一番大事な友達。
「……シュウ……」
耳に添えていたとしかても聞こえたかわからない声量。
けれど、それに明らかに反応して、シュウはぱっと振り返った。
大きな目をさらに大きくして、片手を挙げて大きく振ってくる。
「キョウカー!! 大丈夫ー!?」
太陽のような、瞬く星のような、雨上がりに煌めく虹のような笑顔は、黒く、青い塗料で汚れていた。
大きく勢いよく振られる手から液体が飛び散る。
その挙動に反応したのは、騒音の主たち。
一斉に向けられた視線。
シュウを囲うようにして、俺たちとの間の高さで見物していた街の人間たち。
「なにを……してたんですか……」
ここは闘技場だ。
見世物が中央で周囲を魅了する場所。
夕暮れの、藍色とオレンジの境が空を彩る。
藍の中に浮かぶ松明が妖しく揺れている。
そんなところで、シュウはナニをしている?
「まだ寝ぼけているか? あの者の周囲を見ればわかるだろう」
呆れたような王様の声を理解して、シュウの周辺を気にする。
……納得と、愕然とした。
「――処分祭だ」
頭が覚醒した。
青い塗料は血で、それはオーガのものだ。
シュウの周辺に転がっている肉片も、オーガのものだ。
「お前! シュウに何をやらせてんだ!!」
悠々としている王に掴みかかろうとした。
けれど、俺は椅子に縛られていたらしい。
腕は後ろに、足は椅子に。
不動を強いられる身体と、抵抗力の知れた首。
噛み付こうにも届かない。
「不敬だな。お前もキョウカイへ連れていくぞ」
「はっ、キョウカイがなんだってんだ。神にでも助けを乞えと?」
素頓狂な顔をして、俺を見つめる。
そして大笑いしだした。
「ああ、そっちじゃない。なるほど、そういう発想があったか。なるほどなるほど」
「苛立たたしい」
「後ろを見せてやれ」
近くの兵士が、荒々しく椅子を浮かせる。
乱暴に向けられた側はガラス張りで、外の景色がよく見える。
空の青さ。森の地平線。街の城壁と、境。
境……。
「境界」
目をこらせばかすかに見える。
布張りの屋根と、みすぼらしい生命体。
思い出す、連れていかれた、人間。
「生き餌だ」
理解しがたい。
なぜ、なんのために。
「この街が安全で安心で、安楽で得るために。いつか来るかもしれない驚異。魔物の襲撃に備えているのだよ」
「外から来た魔物が、境界の人間を襲っている間に、中の人間は安全地帯へ逃げようってか」
「魔物の異変があるときには、魔王が誕生する前兆だと言われているのでな」
後ろで動く気配がした。
両の肩にぬるりと手が乗り、耳元で誰かの口がくちゃりと音を立てる。
「私には予知の力があってな」
汚い口と、臭い息が、言葉の意味の理解に集中させてくれた。
「……あなたが次期勇者とでも?」
「そうだ。そうとしか考えられないだろう? 予知の力は勇者特有のもの。それを持つ私は勇者他ならない」
「だからなんだと言うんだ」
「私が魔王討伐に出てしまって、この街が襲われたら悲しいではないか。だから、対応策を作っているんだよ。この国を、荒らされる訳にはいかんのだ」
肩の重みが外れる。
兵士がまた、乱雑に椅子の向きを変えた。
俺はシュウを見て、同時にシュウも俺を見つけて、諸手を振る。
「キョーカー!!!」
どんだけ声上げてんだ。
心の底で、元気そうで安心している。
頬の力が緩んだ。
「彼を私にくれないか?」
また、固くなった。
「買おう。君たちがどんな関係か知らないが、彼はいい戦力になる。旅に連れていくでも、ここの護衛としてでも、十分な成果を上げてくれるだろう」
「ことわ――」
首元に添えられた、刃物。
鋭い痛みと、滴る感触。
「彼は私に必要だ」
「……あいつには」
俺にこんなことをしても、無駄なのに。
「あいつには俺が必要で、お前は必要ない」
黒い影が俺を覆い、強風の中を攫う。
飛び上がり、宙に浮いて、どこかに降り立った。
「だいじょーぶ?」
シュウの顔を見て、横抱きの角度と察してゲンナリした。
あっけらかんと笑い飛ばすコイツをぶん殴りたくなったが、行動に移す前に下ろされる。
俺よりも低い身長のこいつは、青い血を顔の大半につけたまま笑顔を向けてくる。
円形の闘技場の、縁のさらに上。
装飾として模型されている場所。
王様たちのいる席とは対角に位置していた。
下端の城内から王達の席、そして対角へと瞬時に移動したシュウに驚いていることだろう。
「なんでこんなことになったんだ?」
そもそもの疑問だ。
俺は眠らされていて知らない。
シュウが他人の言うことを聞くのは、あまりないのに。
「キョウカが倒れちゃって、早く帰ろうってなったの。おぉがに情報を聞き出す必要があるから、一部の人たちと一緒に帰ってきたんだよ」
「それで?」
「巣の場所がわかったから、討伐隊がまた出てった。残ったおぉがを使って僕の強さを街の人に見せてあげようってなったの! そうしたらご褒美くれるって!」
「なんでそんなこと引き受けたんだよ」
「だってぇ」
――お腹すいたんだもん。
「……あっそ」
「うん♪ この空の色はもう酉の刻かなぁ。逢魔が刻だね。てことで、いただきまーす」
「あっ、おい!」
静止する間もなく、(そのつもりはなかっただろうが)隠し持っていた肉片を、大きな口で頬張る。
耳障りの悪い音が闘技場内に響き、誰かの息を飲む音が聞こえた。
俺には見慣れた光景。
けれど、一般人には……悪趣味な映像でしかないだろう。
有象無象は悲鳴をあげて逃げ出した。
王様は、明らかに青ざめている。
「お前がこういう状況を作ったんだろうに……」
その時、瞬時に視界が歪んだ。
チカチカと発光し、景色が重なる。
一体の人の姿をした何かが、王様の首を吊り上げている。
小柄な体躯に似合わない、邪悪な圧。
怯える王様と、周囲の新たな肉片。
血の気が引く。
それと同時に冷静になる。
――まあ、そうなるよな。
「……気分は?」
問いかけてみた。
すぐには返ってこなかったが、こいつの周囲の空気が蠢いているのを肌で感じる。
「とぉっテも、イい気分でス♪」
はぁ、と無意識に息が漏れた。
同時に風が吹く。
高い位置にいて、障害物の何もないこの場所は強い風だった。
シュウの被り物が頭からずれた。
白い髪が靡く。
肩までのそれは、風にいいように遊ばれている。
額から生える、一本の透明な角に絡みつき、当人のお伺いもなく存在を主張する。




