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ウサギは寂しくても死なないらしい

作者: 白波楓

「闘牛あるでしょう? あれって牛は赤い布に興奮しているんじゃなくて、揺れ動くものに反応して突進しているらしいよ。後、キリンは一日におよそ二十分くらいしか眠らないんだって。そのうち脳も完全に休んでいるのは一、二分。それと、亀はうまれた時の温度で性別が決まるんだよ。二十八度を境に、それより高いとオス。低かったらメスってね。面白いよね」

  弘樹は飽きもせずまたよくわからない動物の雑学を裸のままベッドの上で腕を組みながらべらべらと話す。

 弘樹と並ぶように寝転がった由香は疲労感からか、はたまたそもそも興味がないのかホテルの天井にあるしみをじっと見つめている。弘樹は、あまり口数の多くない男のはずなのに、行為のあとに限ってなぜか饒舌になり、いつも変な雑学を披露したがった。

 由香は弘樹の聞き手を全く考慮しない、一人芝居じみた物言いの雑学をいつものように聞き流そうとしたが、ほんの気まぐれで今日は「へえ」とだけ声をだした。その声は変にかすれてしまって、途端に由香は羞恥心がこみあげてきて「あ、しくじったかもしれない」と思った。しかし、弘樹ときたら行為の最中よりも興奮したように目をきらきらと輝かせて「やっと興味もってくれたの?」と由香の方へと顔をむけた。

「興味ってほどじゃないけど、今日のは面白かったかも」本心ではなかった。けれど「どれ? どれが面白かった?」あまりに弘樹が嬉しそうに見つめてくるから由香はまっすぐな視線に目を合わせて適当に「最後のかな」とこたえた。自然とベッドの上で向き合うようなかたちになった二人。さっきまで今よりよっぽど恥ずかしいことをしていたはずなのに、由香にとっては今の、近距離で目と目を合わせて話すという方がずいぶんと気恥ずかしく感じた。

「そんなに見つめてこないでよ」先に視線を外したのは由香だった。

「どうして? 今日は由香ちゃんが僕に興味をもってくれた記念すべき日だよ。今この瞬間を目に焼きつけないで、いつ目に焼きつけるっていうの」

「弘樹のそういう気取ったようなくさい物の言い方、私好きじゃない」

 弘樹のまっすぐな目から逃げ出したくなって、そっぽを向こうとすると、それを見透かしていたかのように弘樹は由香の頬に手をあてた。相変らず高い体温だな、ともう何度目かも数えていないからわからない弘樹から伝わってくる直の温もりに少しだけ由香はたじろぐ。

「だけど、最初に誘ってきたのは由香ちゃんだよ。忘れもしない。梅雨の時期にくたびれた定食屋の軒先で雨宿りしていた僕に声をかけてきたのは君だ。まあ同じ大学だとは思いもしなかったけれどね」弘樹が意地の悪い笑みをこぼした。

「寂しかっただけ」それは強がりでも何でもない由香の本心だった。由香は気ままに不特定多数の異性と体を重ねる荒んだ生活を送っていた。そうすることでしか埋められない何かがあったし、束の間でも自分に価値を見出しでくれる存在は有難かった。

「そうはいっても、初対面でいきなり、お兄さんホテルいかない? はさすがに驚いたね」しみじみと思い返しながら弘樹はそう言った。

「ほいほいついてきたくせに」由香は呆れたようにため息をつく。

「それは男の性さ。由香ちゃんが見目麗しい女の子だったから。由香ちゃんに誘われて断れる男がいたら見てみたいよ」

「ふつうに私の見た目が好みだったって言えばいいのに。どうせ私にはそれくらいしか取り柄がないっ」まるで由香の自分をおとしめる言い方をとがめるかのように、弘樹が由香の言葉をさえぎった。

「ウサギは寂しくても死なないけど、食事を摂らないと腸の動きが止まって細菌が繁殖して毒素がまわって死んでしまう。あと、アルパカも孤独に弱くて放置していると体が弱ったり、病気になったりするんだ」

「何が言いたいの?」

「つまりは群れで生活をする動物には、一人だと不安を感じる傾向があるんだよ。もれなく人間も。由香ちゃんが寂しいと感じたときにたまたまでも居合わせた僕はとても幸せ者だといえるね」

「何それ」


 

「ねえ由香ちゃん」弘樹が突然声を低くしたので、由香は少し驚く。

「僕たちはお互いの時間が空いているときにこうやって気まぐれに体を重ねているけれど、そういうの、もうやめない?」

「セフレやめたいの?」

「うん」弘樹は深く頷いた。

「あっそ。わかった。いいよ。じゃあ、さようなら」

 由香は興ざめしたかのように顔から表情をなくし、起き上がって服を着ようとしたが、ベッドから抜けだそうとしたところで左腕を弘樹のあつい右手でつかまれた。

「ちがう。そうじゃないよ」

「そうじゃないって?」何故だか由香は泣きたくなった。

「体だけじゃ足りない。由香ちゃんの心も欲しくなったんだ。欲を言えば由香ちゃんの全部が欲しい。だから、由香ちゃんと向き合いたいし由香ちゃんが寂しいと思うときにはいつも僕がそばにいたい。朝も昼も夜も」

 弘樹の言葉は真剣だった。その証拠に少しだけ声が震えていた。必死に思いを伝えてくれているのがわかって、由香は心にある一番冷めた氷のような部分が徐々に溶け出していくのを感じられた。そして、その溶けてしまったものが涙となり流れていくのを拭うこともせずに声をしぼり出した。

「私、寂しくて、たくさんの人と寝た」

「知ってるよ」

「私、汚れてる。汚い」

「由香ちゃんはきれいだよ。見た目だけじゃなく、心もとてもきれいだ。いつだって僕のくだらない話を途中で止めたことがないよね。ただ黙って聞いてくれるだけでも僕は嬉しかったんだ」

「嘘」由香は信じられなかった。

「僕は沢山嘘のようなくだらないことを話してきたけど、本当の嘘はついたことがないんだよ」

「ふふ。あれ全部デタラメじゃなかったんだ」由香は思わず笑ってしまった。

「由香ちゃん、やっと笑ってくれたね。由香ちゃんの笑顔がみたくて、僕は毎回雑学を仕入れるのに苦労したんだよ」

「何それ。ばかみたい」

「ばかだよ。ただの恋におぼれた由香ちゃんばか」

 弘樹があまりに優しく微笑むから、由香はたまらなくなって、そのまま弘樹に抱きついた。それを抱きしめ返してくれた弘樹のあつい体温に包まれながら、由香はまた涙を流す。

 二人にとって本当の意味での始まりの合図を祝福するかのように、暗い部屋に薄く朝の光が差し込んだ。夜通し降って積もった雪を溶かすような暖かな光だった。

 

(了)

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