第24話 砂乙女
枯草ワープで降り立ったのは……。
「ここは……井戸の底?」
「むっ、井戸ダンジョンですっ」
「にしては……生活感があるね」
湿った空気。見覚えのある壁と床。つい先ほどまで居た井戸底だ。
地上廃墟の壁を補修でもしたかのような壁と、箱や樽といった物入れ。
廃墟の井戸底にしては真っ当な物が多い。
「悪い人のあじとです……!」
「そう、なのかな」
わからない。けれど……。
【SetBGM:Ashes in the Sand】
……音楽が変わった。
「――オイオイ、アタイの寝床に侵入者がいるじゃあないかい」
「っ!?」
のそりと、壁の向こうから現れた影。
巨体だ。そしてゴツい。体の半分以上を鱗のような、鎧のような何かで覆っている。一部露出した肌から人間だとわかる。
ここはダンジョンではない。おそらく人間だろう。……たぶん。
「ハン、男装女にロボのガキかい。んで霊体と。ケッ、ふてぇ奴らが来たもんさね」
「? ふてぃとは、なんでしょう?」
「不逞。自分にとって不快な人間に対する言葉の一つです」
アヤメちゃんとエイラの会話は置いておくとして。
「僕らは冒険者。あなたは誰ですか?」
「アタイは何者でもないよ。ただの下っ端……ハッ、下っ端ですらないさね。使い捨ての道具さ」
その人……おそらく女性は、妙に疲れたような、諦めたような語り口をしていた。
さりげなくアヤメちゃんを引き寄せ、僕の斜め後ろに。
お姫様は普段戦わないエイラに任せる。目のない彼女とアイコンタクトを交わした。
この、疲れ果てた社会人みたいな人……強い。こんなわかりやすく強い人は初めて見る。
この人は今、自分を何者でもないと、そう言った。
何者でもない。まるでそれは……。
「……僕はあなたを知らない」
それは、遠いいつかの自分のようで。
目の前の大きく小さい人を、僕は知らないようで、知っていた。
覚えている。
その声色を、立ち姿を、空気を。
諦めが滲む、諦観に苛まされた声。
目を伏せ、現実に打ちのめされた背を丸めた姿。
気怠げに、ただ世界に流されている在り方。
僕は、いつかの誰かに酷似するソレをよく知っていたから。
「ハン、そりゃそうさね。アタイもアンタらなんか知らないね。どうやってここに辿り着いたのか知らないけど、生きては――」
「でも」
この人は、どう考えても僕より強者だろう。
けれど目前の、いつぞやの、遥か昔の。……前世で腐るほどに見飽きたヒトが弱いことも、知っているからこそ。
「惰性で生きるのが辛いってことは、よく知っています」
この人には、何よりこの言葉が効くだろう。
「――――」
女性の言葉が止まる。やっぱりかと、口端に苦みが滲む。
後ろから
「エイラエイラ、わたしもお話したいですっ」
「今はユウリが説得中なので我慢してください」
「むぅ……仕方ないです。ユーリにはあとでご飯を食べさせてもらいます」
そんな会話が聞こえてきた。いつものお姫様と御付きだ。
心が今に戻ってくる。これくらい緩い方が、きっと僕には合っている。
あとでいっぱいアヤメちゃんを褒めて感謝しておこう。
「ハ。……わかったような口、利くじゃないか」
「はは。僕、見た目通りの年じゃないのでね」
表情のわからない巨体の人を見据え、戦意を保ったままもう一言。
「もう少しだけ歩いてみる気はありますか?」
きっと、わかる人は少ない。通じない人のほうが多い抽象的な言葉だ。だけどわかる。この人にはこれが通じる。
「……アタイの足はボロボロさね。それに、言葉一つで変われるほど真っ直ぐじゃあない。アンタも同じならわかるだろう?」
「ですね」
くすりと笑う。
なんとなくこの人の気持ちはわかるのだ。
ずいぶんと、昔の僕に似ているから。
諦めてしまったところとか、立ち止まってしまったところとか、動けなくなってしまったところとか。
それでも人は生きていく。死なない限り生きなきゃいけない。僕の場合、生まれた世界、国も相まってなんだかんだで生きていけた。
この人はきっと、今ちょうど立ち止まっているところなのだろう。
ならば、同じ心を抱えた者として手を差し伸べなくては。
「しょうがない。無理矢理にでも歩かせてあげますよ!」
「くくく、ハハ。そうかい。――やれるもんならやってみなぁ!!」
ナイフを引き抜き、一声!
「アヤメちゃん!! 戦うよ!!!」
「まっかせてくださいっ! 倒して仲直りする友情ばとるですねっ!!」
「色々違う気がするけどそれでいいや!!」
【VS砂乙女/Battle BGM:Sand Sentinel's】
――――――
――――
――
「かっは……ハッ、やるじゃ、ないかい」
「ふふーん、わたしたちの勝利ですっ!」
「ふぅ」
短剣を鞘へ収める。
危なかった。一瞬で終わったとはいえ、僕の一撃必殺スキルがなければ負けていたかもしれない。……アヤメちゃんが一人でどうにかした気もするが、いい。
まともにやり合えば絶対に勝てない敵だった。
「アヤメちゃん、ありがとう。助かったよ」
ぴょんぴょん喜んでいた少女は、僕を見てニッコリ笑う。
「えへー、二人の勝利ですっ」
笑顔が素敵なお姫様のおかげで、疲労と緊張が抜けていく。本当にありがたい。この子はパーティーの癒しだ。
さて、と前方に向き直る。
「それじゃ、話してもらえますか? 約束なんてしてませんけど、どっちでもいいなら話すくらい構わないでしょう?」
「ハンッ……そうさね。アタイは敗者。あぁ、クソッたれな組織に未練もねぇ。アタイの話でよけりゃ……話してやるよ」
そうして、ぽつぽつと彼女の話を聞かせてもらった。
――――――。
――――。
――。
彼女は、とある街で生まれた。
街、と言えるほど大きなものではなかった。
移動集落。
広大な砂漠を移動しながら商い生きる、遊牧民族で生まれ育った。
平穏に、逞しく育った彼女は周囲に頼られ、腕っぷしを生かし自由な生を謳歌していた。
しかし、世界は残酷だ。
彼女の集落は不運にも、砂漠横断中に突如生まれたダンジョンに呑み込まれた。正確には一部が呑まれ、一部が魔物に襲われた、であるが。
何にせよ多くの人死にが出て、集落は散り散りとなってしまった。
彼女も例に漏れず、僅かな動物を連れ砂漠を出でて放浪することに。けれどそこに彼女の居場所はなかった。
頼る者はいない。頼られる者もいない。孤独と、生活苦と。多くの苦悩が独りの彼女へ降り注いだ。
捨てる神あれば拾う神あり、と。絶望の淵に立っていた彼女へ、一筋の光が差した。それこそが。
「――それが、教団さね」
「教団か……」
男装教団。男装至上主義の人間による、宗教と言うには狂気的な集団。
「当時のアタイには、教団が救いだった。何もかもを失くしたアタイに、教団の教えは染み渡った。笑えるよ。そもそもアタイは、奴らの思想から外れていたってぇのにね」
「思想?」
「ああ。綺麗事言っちゃいるけどね。奴ら、"女である自分"と"男として振る舞う自分"を両立させて悦に浸ってるだけなのさ」
「……なるほ、ど?」
「くく、わからないよなぁ。そりゃそうさね」
隣のアヤメちゃんと目を合わせる。
「ふむむ……」
いっぱい考えていた。可愛い。
この子もわかっていないらしい。大丈夫、僕もわかってないから。
「要は、男装を謳っておきながら、"女らしさがない女"は邪魔ってことさ。アタイみたいに、並みの男より力も強けりゃ……ハハ、邪魔どころか敵扱いよ」
自嘲して笑う女性に眉をひそめる。
思っていたものの数十倍は悪質な集団らしい。男装教団とやらは。
「エイラ、どういうことです?」
「彼女は味方からすら仲間扱いしてもらえなかったようです。仲間のフリに騙され裏切られたようなものです」
「仲間なのに……大事にしないなんて悪い人たちです!」
「その通りです」
こそこそと、後ろから小声が聞こえてくる。
そうだよね。仲間を大事にしないやつは屑だって、誰かも言ってたし。仲間は大事だ。騙し討ちなんて許せない。
「話は終わり。仲間にすらなれず、死ぬ気にすらなれず、中途半端に生きてきた。それが今のアタイ。アンタの言った通りさね。惰性で生きてる。……どうして、こんなことになっちまったんだろうねぇ」
壁にもたれ、俯きがちにこぼした一言は井戸の底に反響して消えていった。
彼女は、僕の想像より酷い境遇だった。
前世の僕なんかよりよっぽど悲惨な目に遭っている。
だけど。
「それでも、人は生きている。あなたも生きている。惰性でも、今日まで生きてきた」
命ある限り、人は生きなければならない。
僕がこうして生きているように。この人が今も生きているように。
「理由がないなら、意味がないなら、一人で立てないなら、僕が引っ張ってあげますよ」
完全理解にはほど遠くとも、せめて手ぐらいは貸したいと思う。傲慢でも、同じ境遇の人を救いたいと思うのはおかしなことじゃない。
それが、人間というものだろうから。
「アタイは……」
女性は困ったように顔を伏せ、呟いた。
「大丈夫。案外人間、空を見上げて風を浴びて、太陽に照らされれば気分が変わるものです。これ、経験談です。こんな井戸の底じゃなくて、眩しい光の下に行きましょう」
「ふふん、そうです! 太陽も風もお空も! 全部すごいんです!! ぶわーって!ぴかーって!キラキラしててすごいんですよ! 一緒に見ましょうっ!」
「……アタイ、は」
僕の浅い言葉でも、アヤメちゃんの光の言葉でも、彼女には足りない。
そりゃそうだろうと苦笑する。
いくら共感し合える人間とはいえ、急に「前向いて生きよう」と言われて「はいそうですか」となるわけがない。
こんな程度で変われない。ねじくれた心は戻らない。疲れ果てた体は癒せない。それもまた、経験済みだ。
大丈夫、沈み切った心の治し方は、きっと誰より僕がわかってるから。
「まったく、あなたは僕たちに負けたんだから大人しく引っ張られて地上に連れ出されていればいいんですよ」
ぴっと人差し指を立て、キラッと笑って。
隣で僕の真似をするアヤメちゃんの指を掴み下げ、伝える。
「敗者は勝者に従う。魔物だって死んだら素材になるんです。世の理、常識です」
僕含め、こういう手合いは無理やり強引な理屈で一方的にでも連れ出したほうが良いのだ。暗闇から光の下へ引きずり出そう。
彼女はどこか、ぽかんとしたような顔をする。顔は見えないけど。
それから
「くく、ハハハ、そうさね。ああ、アタイはアンタらに負けた。従うよ。くくくっ」
大きく笑みをこぼした。
くつくつと笑う姿に、僕もアヤメちゃんも軽く笑う。
「よっしっ、じゃあ地上へ帰ろう! 太陽光が僕らを待ってるぜ!」
「わー! 新しいぼうけんですよー!!」
空気を読んで静かに佇んでいたエイラと共に、皆で地上に向かう。
やっぱ、心の病気には太陽だよ。サンパワーでメンタルヒールしよう。




