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タクヤは、そのように疑問を言葉にしなかったが、月島は、
「なのでリハビリの一環で、ということなのです。職場に復帰するまでの数ヶ月ほど、私のところで社会復帰を模した働きをしてみませんか?といった、提案です。」
と、タクヤがカウンセリングを受けるときにいつも見る、涼やかな茶色の瞳と柔らかな微笑を浮かべた。
ソレは、タクヤがカウンセリングを受けている時に聞く、彼の穏やか声音。心地の良い抑揚。
「そう、ですね。それも、良いかもしれないですね。」
月島の、タクヤが受けているいつものカウンセリングの時の雰囲気に包まれた、とタクヤが感じたとたん、タクヤは気がつけばそう答えていた。そう発したと気がついたタクヤが驚くくらい、諾との返答はするり、とタクヤの口から出ていた。
タクヤの諾との返答に、すかさず、ありがとうございます、と月島と月島の隣に席する橘から礼を言われたタクヤは、自身が発してしまったその返答の訂正をすることが憚られ、
「それで、月島さんの仕事のお手伝いと言うのは、つまり橘さんのお手伝いをすれば良いのですね。」
自身が諾と返答したことに戸惑いながらも、受けたことへの責任感で、タクヤは先ほど月島が言っていた言葉を思い出し、そう問う。
そのタクヤの問いに、月島はそうです、と肯定すると、
「橘さんのお手伝いをお願いしたいのですが、あくまでもコレは、永良さんの社会復帰のためのリハビリの一環です。」
と、月島が説明を始めたところで橘が、
「紅茶のおかわりを、どうぞ。」
すでに飲み干され空になったタクヤと月島のティーカップに、丁寧な所作でティーポットから紅茶を注いでくれた。とは言え、タクヤはこれで3杯目の紅茶になる。いかな美味しいとは言え、3杯目を飲むのは少し辛いな、とも思ったが、せっかく彼女が注いでくれたので、と、タクヤは礼を述べひとくち口を付けた。
やはり、良い香りが鼻腔を擽る。
「それで僕は橘さんが担っている事務を手伝うということですね。」
との話の続きのタクヤの言葉に、月島から肯定の返答があるものだと思っていたが。
「いえ。手伝うのは事務ではなくて。」
綺麗に微笑まれ、返ってきた答えはソレだった。
「え?」
知らずに諾との返答をしたこと、事務仕事の話だと決めつけて話を聞き、話を進めていたタクヤは戸惑いを隠せず思わず聞き返す。
事務以外でタクヤが手伝えることなど、ない。そもそもココは専門的知識がいる場所だ。医学も心理学も医療事務も全くのド素人が満足のいく手伝いができる場所ではない。
ふ、と、我に返った気がする。
なぜ、流されて諾との返答をしたのか。
先ほどの、カウンセリングを終えた後の月島との距離の違和感を不意に思い出す。
「永良さんは、オカルトに興味はありますか?」
突然の、月島からの何の脈絡のない話題提供。
オカルトに興味があるか、と問われてもタクヤはオカルトに興味があるかないかではなく、無関心だ。それは興味がない、という部類になるのか。
「いえ、特に。」
そう答えながらタクヤは無意識に、椅子を少し引く。タクヤの身体が、この場から立ち去りたい動きをし始める。
「あぁ。申し訳ない。言い換えます。オカルト、ではなく、人の深層心理に興味はないですか?」
深層心理。
それであれば、興味が無いわけではない。自身の心の動きと身体の変調との因果関係や、そのように陥ってしまった原因や要因は知りたい。なぜ、他人との付き合いに疲れ、距離を置きたがるのか。
タクヤの知人、友人たちはタクヤとは違い、第三者との付き合いに積極的でそれぞれがつるむ者の方が多い。お互いが積極的に交流しており、タクヤにしてみれば、濃い時間を長く共有しているように見えるのだが、それに疲れた様子を彼らは見せることなく、ともに過ごす時間も長いし、短いスパンで同じように過ごすことに苦痛は一切見られない。
精神の体力バカ、だとタクヤは思っている。
いや、周りを見渡してもそのように過ごす者の方が多く見受けられるため、むしろタクヤの方が精神的に貧弱、体力が無い、のだろう。
だから理由もなく疲れた感覚が溜まり、職場へ行くことどころか家から出ること、理由のない疲労感と倦怠感で布団から這い出すことが一時、できなくなったのだ。
仕事のタスクがタクヤだけ特別に多かった、とは思っていない。
忙しかったことは忙しかった。タクヤの部署の者は、皆がみな、多忙だった。皆が自ら仕事を追いかけ何かをつくる、というより、何かしらに追いかけられるような、仕事への向き合い方だった。
それに対する上席からの苦言、叱責。
飲み会食事会といった、親しくもない他人との付き合い。
学生時代と違い、疲れて他人との距離を置きたくても置けない環境。
それが社会人だと言われればそれまでではあるが、結局は慣れることができず耐性も付かずの出社拒否だ。職場からの勧めもあり心療内科の扉を叩いて、そこから月島のカウンセリングを受けることとなり、現在に至っている。