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そのタクヤの言葉に、そうですね、と、
「コトネさんが言う、寒い、というのは、『彼』の自己肯定感が下がっているせいだと、私も思います。」
月島はその部分は、肯定する。けれども、ただ、と、
「茶色の景色や永良さんが物淋しいと映ったあの風景は、『彼』が元から持っていたものです。澱んでいると永良さんが感じた空気も、そうです。」
そう言葉を続ける。
そして、
「『彼』が持つ深層の状態は、特別に珍しいものではありません。たいていの方は、あのような感じで似たり寄ったりです。」
だから、と、
「永良さんの深層の、あの緑鮮やかな風景はとても希有なものだと、私は常々、永良さんに伝えているのです。」
タクヤへ笑顔を向けた。
月島は、タクヤの心の深層の、緑に映える鮮やかで清んだあの景色を、希有なモノだと言う。とても、清んでいて綺麗だと、ことある毎に褒める。
彼が発するそれらの褒め言葉は、タクヤがツカサ医師、月島の患者だからなのだと、タクヤは思っていたし、今でもそう思っている。タクヤを肯定することで、少しでもタクヤの心の不調が整うようにといった、彼らの治療の一環だと受け取っている。
「それもありますけどね。」
月島はカップを片手にしたまま苦笑を浮かべたが、でも、と、
「私は長くこの世界に携わってきていますが、永良さんのような深層、力を持つ人は初めてで、あなたのその綺麗さと能力値はダントツです。」
月島からの面と向かってのその言葉に、どう反応して良いのかタクヤは戸惑う。そしられることはあるが、ここまで面前で手放しで褒められたことは、タクヤが記憶する今までの中で、なかった。ここまであからさまに褒められたのは、ツカサクリニックや、月島のカウンセリングを受け出してからのことだ。
反応に窮して、黙して月島を見返したタクヤへ、
「ホントウに、褒めているんですよ。」
と、月島はカウンセラーではない方の、砕けた笑顔を見せた。
そして、手にしているカップの紅茶をゆっくりと飲み干すと、
「『彼』の深層の寒さが、永良さんとコトネさんの『浄化』で、少しでも和らいでくれれば良いのですが。」
愁いた雰囲気をまとった。
月島は、『彼』の深層の状態は特別なことではない、と言う。誰しもが『彼』のような状態が常だと言う。
そして、タクヤの深層が特別なのだと、褒める。
月島の言葉を反芻したタクヤの中に、ひとつの疑問が不意に浮かんできた。
「僕の、」
タクヤは月島を見返したまま、視線を彼から逸らすことなく、
「月島さんたちが褒めてくれる、僕の心の深層の状態は、なぜ生まれたのですか?僕は清廉潔白な人間ではないですし、僕には、身に覚えが無いのです。」
そう、疑問を口にしていた。
タクヤには彼らからそこまで褒められるような深層を産み出す行動を、今まで生きてきた中で起こしてきた覚えはない。
ストイックに生きてもいない。人並みの欲に溺れて生きている。
禅僧のように特別な修行を積んだ覚えもなく、人のためにといった徳を積み重ねてきたわけでもない。
確かにタクヤは、タクヤの友人知人、同僚から、彼らが疲れているときに彼らの疲れた感情を吐き出す手助け、つまり彼らの言葉、話に真摯な態度で耳を傾けてきていた。それをすることで、タクヤを頼ってきた人たちが元気を取り戻す様を見るのは、嬉しかった。
けれども、ただソレだけだ。
彼らの心に響くような言葉や格言を伝えたわけでも、彼らの役に立つアドバイスをしてもいない。そもそもタクヤは、そのようなことができるような、学識経験者でもないし、博識でもない。ましてや、人を惹きつけるようなカリスマ性なんてものを、持ってなどいない。
自分で自分へ下す評価は、至って普通の人、だ。
至って普通の人、ならば、タクヤの深層も先ほど、タクヤが降り立った『彼』と似たり寄ったりが当然ではないのか。
それに。
あの、きらきらと輝く水晶玉の存在も、そうだ。
アレはタクヤの、他人を『浄化』する力の結晶だ、と彼らは言う。あれほどの輝く、また、大きさの結晶は彼らも見たことがないと、それをタクヤは生産し育て護ってきたのだと褒める。けれどもタクヤにはあの水晶玉を作り出した覚えも、育てていた自覚も全くない。
透明度の高い水晶玉は、タクヤの心を反映しているのだと月島は話す。きらきらと輝く水晶玉の持つ力を、月島は少しもくすませたくないから、と言って、タクヤにタクヤ自身を防御する術を教授しないくらい、深層のタクヤ自身を器にしたアレは稀有なものらしいが。
なぜ、そのような清らかで綺麗なモノが、タクヤの中で生まれ育ったのか。タクヤは別に、聖人君子でも何でも無い。どう考えても、客観的視点からも、本当に普通の人間だ。
「永良さん、どうぞ。」
と、タクヤが気づかない間に、橘がタクヤの隣の椅子にいつしか戻ってきており、彼女が手にしているマグカップをタクヤへ差し出していた。
そう言えば、と。
タクヤは隣に座って、タクヤと同じく2杯目の紅茶を口にしている橘を見遣った。
彼女も、タクヤの持つ水晶玉よりも小振りではあるが、輝く水晶玉を持っている。輝く水晶玉をランタンに容れてそれを他人の心の深層で掲げ、『浄化』を施している。
彼女の持つあの水晶玉は、どのようにして彼女の中で生まれ、育ったのか。
「あの、橘さん。」
タクヤからの呼びかけに、紅茶に口を付ける動作を止めて、橘はタクヤに顔を向ける。タクヤは橘へ、まずは2杯目の紅茶の提供の礼を述べ、そしてそのまま、
「橘さんは、橘さんの持つその『浄化』する能力を、どうやって得たのですか?」
そう、訊ねていた。
ソレは、不躾な質問。
『浄化』の力を得ていること、またその輝きと大きさは、その人の心を反映していると、月島や橘は言っていなかったか。
つまり、今のタクヤの問いは橘に、橘の心は清廉なのか、と問いかけているようなものではないのか。
「ごめんなさい。」
問うてすぐにそこまでの考えに至ったタクヤは、間髪入れず、謝罪の言葉を口にする。
「とても、失礼な質問ですよね。」
タクヤへ顔を向けたまま、押し黙ってしまっている橘に、決まり悪そうに続けてそうタクヤは述べた。
しかし、橘からは特に反応は見られない。
この場にイヤな沈黙が落ちる。
気分を害したのだろうか、とタクヤは彼女の反応がないことが、怖く思う。けれども、いったん口に出してしまった言葉は、取り消しようがなかった。
たぶん、実時間的にはほんの数秒の沈黙。けれどもタクヤの体感的には分単位の感覚だ。
月島が取り成してくれないだろうか、と助けを求め月島を見遣ったが、月島はタクヤからの視線に口角を上げる笑みを浮かべるだけだ。何も語らず、援護もない。
彼の浮かべるその笑みは、どのような意味なのか。この場の状況は、タクヤが恐れるような状況ではないということなのか。それとも、月島でも手の施しようがないといった、お手上げの状況なのか。
と、そのとき、
「わたしも、」
橘がタクヤから視線を外すことなく、
「わたしも、わからないことです。」
静かな口調で、そう答えた。そして、
「というより、そのような疑問をわたしは抱いたことがなくて。」
そのまま彼女は考え込むように、
「そうですよね。」
少し目を伏せ、黙した。




