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「永良さんの『浄化』は、私の目から見ても随分と上手にできるようになっています。もう、コトネさんが教えることは、ないはずです。」
タクヤの聞き返しに、月島は珈琲を口にしながら、
「だから、今永良さんに対して行っているこのリハビリは、卒業です。」
いつもの何てことのない会話のように、少し笑みを浮かべながら淡々と、タクヤのリハビリ終了を告げる。
「そう言われても僕はまだ、自信が、ないのですが。」
タクヤはそのように切り返すのが精一杯だった。
卒業、ということは、もう、この、月島の診察室に足を運ばなくても良い、ということだ。本当に、月島のカウンセリングは終了した、ということだ。
自信がない、とのタクヤに、月島は手にしていたカップをソーサーに静かに置くと、柔らかな薄茶色の瞳でタクヤの瞳を捉えて、大丈夫ですよ、と、
「あとは永良さんが眠る前などに、永良さんが心地良いと思うあの風景を思い描き、微風を渡らせれば大丈夫です。」
笑む。
ソレは、カウンセラーの顔だった。カウンセラーである月島がクライアントである永良タクヤへ、治療が終了した、と、月島のカウンセリングが終了したと告げているカオだった。
本来なら喜ばしいことだ。月島のカウンセリング卒業の話は、タクヤの心の深層が健康な状態に戻り、尚且つそれを保つことができている、といったことだ。また、今後もタクヤ自身で保つことができる、と認定されたのと一緒の意味だ。
それを理解したとたん、タクヤの心が大きく波打つ。ただそれは、良い意味でのモノではない。
『浄化』の話を持ち出される前に、タクヤは月島から一度、カウンセリング終了を告げられた。その時もタクヤは少し、動揺はしていた。
月島のこの診察室はタクヤにとって、心地が良いのだ。月島に話を聴いてもらう、また月島からの柔らかなトーンで話しかけてもらえるその時間は、心穏やかでいられた時間だった。もちろんそこには、橘の紅茶の効果もあった。
橘の淹れてくれる紅茶は、ひとくち飲めば本当に丁寧に淹れられた紅茶だとわかる、香りの良い美味しい紅茶だ。月島のカウンセリングを受けるという期待の中に、その紅茶が飲める楽しみも、タクヤにはあった。
だから、最初の、月島からのカウンセリング終了の話が彼の口から出たときも、戸惑いと動揺はした。
動揺はしたが。
今は、そのときとは段違いで、タクヤの心はとても波打っている。
あのときは、自分は回復に向かったのだ、とその動揺を良いことだとした方に向かわせた。半ば無理矢理に、今後月島の診察室に通わなくて良いのだということを、そのように自身を納得させた。
けれども今回は、その時よりも酷く動揺している。
「永良さん。私の診察室に通わなくて良い、と言うことは順調に回復している、といった嬉しいことですよ。」
タクヤの動揺している様に気がついたのだろう。月島が安心させるかのように、爽やかな笑顔をタクヤに向けた。
「ただ、クリニックへの受診は医師の指示の下、続けてくださいね。次回の受診日の予約は来月ですか?」
月島のその問いに、タクヤはうなずく。
タクヤの主治医であるツカサ医師からは、来月の診察結果によっては、受診間隔が3か月から半年後になるかもといった話を聞いていた。
そうだった。
このままタクヤが順調に回復できれば、また心の安寧を保ち続けることができたなら、いずれ近い内にクリニックの受診も卒業となる。クリニックの門を叩く前の生活に戻れる。
それは心晴れやかな、話だ。
本来であれば、月島が言うように、嬉しいことのはずだ。
なのに。
タクヤの心は穏やかではなく、波打ち、ざわざわとしている。このまま、彼らと縁が切れることが嫌だといった感情へと動く。
最初、『浄化』の話を持ちかけられた時は、胡散臭い怪しげな話だと、彼らを拒否した。彼らと関わりたくないといった感情が大きかった。
それが、今は。
「あの、月島さん。」
タクヤは顔を上げ、月島を見ると、
「副業申請を、しようかと思うのですが。」
そのように、月島の診察室へ今後も通う提案の言葉を発していた。
タクヤのその台詞に、
「私とコトネさんの手伝いをしていただける、と?」
月島は特に驚くこともなく、そう即答する。月島の、タクヤが発した言葉の意の理解は、早かった。
それに対してタクヤは一拍置いてから、はい、と肯定する。
月島の『浄化』の手伝いについて、タクヤからの申し入れだったにもかかわらずタクヤが即答できなかったのは、一瞬、月島や橘が期待する手伝いが果たしてタクヤにできるのか、といった迷いが生じたからだ。
月島の診察室での事務仕事なら、充分に果たせていたとタクヤ自身は自分を評価している。あのような事務仕事ならそもそも、現在勤務している会社でもしていることだ。
しかし、彼らがタクヤに求めている『手伝い』というのはこの診察室の事務仕事ではなく、当初の重要事項説明書に記載されていて、今回は削除されていた『浄化』のことだ。
ただ、その『浄化』に関して、タクヤの『浄化』をする能力に、タクヤ自身に全く自信がない。それは自分の心の深層の『浄化』が本当にできているのか、まるっきり手応えが無いからだ。




