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それがタクヤには、意外に、感じてしまった。
あの場では、凛とした厳しさをまとっている彼女。彼女は自分を律し、それを他人にも求める人なのだとタクヤは受け止めていた。
あの場での姿は、その人の本質の姿だとの、月島の言だ。
けれども。
この場の彼女も、橘であることには間違いが無いはずだ。月島や橘の発言からだと、橘のこの姿は取り繕ったもの、のようにタクヤには聞こえていたが、彼女の全てをそのように受け止めていたことは間違いだったかもしれない。
タクヤを気遣うこの姿も、橘の一部ではないだろうか。
今、タクヤの瞳に映っている彼女の雰囲気は柔らかくて、儚げで。優しくて、何もかもを許してくれそうな、ネガティブな意味では与しやすく、意志が弱いように見える。
タクヤが現実の彼女から受ける印象が彼女の全てではない、と最初のあの場に連れて行かれたときに、タクヤが橘から浴びせられた、彼女のキツイ言葉。
あのときは、あの場の凛とした厳しい橘が、彼女の本質であり全てだ、とタクヤは受け止めた。
けれどもそれも、間違いではないが、正解でもなかったのではないだろうか、と、現実のふわりとした雰囲気を纏う彼女を目の当たりして、そう考えを改める。
ふわりとした儚げに見える橘が、凛とした雰囲気を纏った厳しい橘が、両者が『橘コトネ』という人物を確立させているのではないか。
「紅茶を準備してきますね。」
惚けた感で橘を見上げているタクヤに橘は、柔らかい笑顔を浮かべて見せ、そう言いながら隣室へ消える。
「では、私は甘い物を準備しましょう。」
と、月島はローボードへと足を向け、その引き出しから昨日、タクヤとふたりで口にしていたクッキー缶を取り出してきた。そして、どうぞ、とタクヤがいる丸テーブルにクッキー缶を置き、蓋を開ける。
「…隣室に仕舞わないで、そこに片付けているんですね。」
月島からそのような形でクッキーを勧められ、つい、呆れた感が混じった言葉をタクヤは発してしまった。
あの時、月島が診察室に設置されているローボードの引き出しから取り出したのは、橘から貰ったばかりだから、とタクヤは思っていた。けれども、いったん蓋を開けたクッキー缶が再びソコに仕舞われていたということは、普段からあの引き出しには、菓子類等食べ物が入っているということなのか。
確かこの部屋は、月島がカウンセリングをする診察室だ。タクヤはこの部屋で、何度も月島のカウンセリングを受けてきた。隣室がどのようなことに使用されているのか、タクヤは隣室を見たことも入ったこともないのでわからないが、カウンセリング時は隣室から橘が淹れた紅茶や茶器等を運んでくるので、隣室には給湯室もしくはそれに類似した設備があるのではないかと思う。
なら、普通なら、というか、タクヤならいちど蓋を開けてしまったクッキー缶は、隣室にあるだろう給湯室のようなところに仕舞うと思う。
「ええ。そうですが。」
月島は、タクヤが何に引っかかったのかが理解できない、といった表情で肯定する。月島の、このような表情は、珍しい。少なくともタクヤは初めて見た。
「あら、センセ。そのような出し方を。」
隣室から茶器を運んできた橘が、テーブルの上に蓋が開けられ置かれたクッキー缶を見て、彼女も呆れた様子で、
「もしかしてコレ、ローボードに片付けていたんですか?」
しかもすでに開けていた跡がありますけど、と口調はゆっくりとして柔らかだが、若干怒りが見え隠れしている。
その橘の様子からは、このクッキーはタクヤが食しては駄目だったもののようにタクヤは受け取れて、
「ごめんなさい。昨日、僕が頂いたんです。」
橘に向かって、思わず謝罪の言葉を口にしていた。
タクヤのその謝罪の言葉に、橘は月島へ向けていた視線をタクヤへと移す。その彼女に、あの場所に立つ凛とした雰囲気の橘と姿が重なる。苦言を呈される、と反射的に、タクヤは身構えたが。
彼女は瞬きをふたつほどすると、タクヤへふわふわっと笑んで見せ、
「お口に合いましたか?」
そう問う。タクヤが思っていた方向とは反対の、柔らかく笑んで訊ねられ、思わず大きくうなずき返したタクヤへ、なら、良かったです、と彼女は手にしていたトレイから茶器を丸テーブルへ丁寧に置いていく。
「わたしは、こういうことに関して、いつも無頓着なセンセに注意をしただけです。永良さんのお口に合って、美味しかったのなら、わたしも嬉しいです。」
茶器を置いたその最後に、砂時計もテーブルに置いた橘は、
「召し上がるの、少し待っていてくださいね。」
と、再び隣室へと消えた。
隣室へ消える橘の背中を見送りながら、
「このような感じで、なぜか私は彼女からたびたび注意を受けるのです。」
月島は、橘から注意をされるのが解せないといった感の、少しぼやきに近い形のつぶやきを落とした後、タクヤの斜め横隣の椅子に腰をおろした。
「これから先はコトネさんの領分です。私は触ることを許されていないので、このまま彼女が戻ってくるまで待っていましょう。」
月島からそう提案され、タクヤはうなずく。




