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その橘の言葉に月島は、
「この場では己を客観視する術はありませんから。コトネさんもそうだったでしょう。」
と、何かを思い出したのか、橘へ可笑しそうに小さく笑いながら、
「まぁ、コトネさんはあの時は、言いたいことが言えてすっきりした、といったものでしたが。」
そう、答えた。
それに対して橘は、ホンの少し不満そうな表情を浮かべ、
「センセに助けていただいた時のわたしは、実年齢でも未熟の域でした。なのに。」
と、タクヤを鋭い目つきで見やり、
「永良さんの実年齢は、その頃のわたしより随分と年上です。」
強い言葉を遠慮なくタクヤへ放つ。
それはタクヤに、実年齢に見合った態度をしろ、といった諫言のようだ。その橘の言葉からもやはり、タクヤは他者から見ても少し子どもっぽさが出ているようなのだが、タクヤは自分で自分のこの態度が出現してしまう理由がよく解らないでいる。
自制が効かない。発言も態度もどこかタクヤのコントロール下にない。
なので、ではないが、
「僕も自分の言葉や態度に、少し驚いているところがあって、ですね。」
言い訳が口をついて、でてしまっている。
コレもこの場で、言い訳を申して良いのか、言い訳をすることで事態が悪い方へ転がらないか、考えてから口にすべきことなのに、するりと、発言してしまっていた。
橘はそのようなタクヤへ、その綺麗な眦を上げた。
その、彼女の表情の変化に、また説教を喰らうのか、とタクヤは身構える。けれども彼女の口から落ちたのは説教の言葉ではなく大きなため息であり、そして彼女はそのまま黙してしまった。
月島は、と見てみると、タクヤたちの遣り取りを微笑ましそうに見守っているだけだ。彼のその姿は、まるでこの場の保護者のような立ち位置に思える。
「月島さん…。」
助けを求めるようなタクヤからの視線を受けていることに気づいた月島は、
「中学生?・・・いえ。高校生くらいでしょうか。」
タクヤをまじっと見ながら、呟くようにそう零した。
それに、橘が、
「高校生でしょう。」
と、首肯する。
彼らのその遣り取りは、どうもタクヤのことのようだ。
なので、素直に感じたままの、
「え?僕、ですか?」
との、タクヤの問いに、
「他に、誰のことだと?」
と、橘からは冷たい視線と言葉がタクヤに返ってきた。
先日、月島と橘に連れられてこの地に初めて降り立ったとき、月島たちはタクヤを一見で『永良タクヤ』だと認識していた。
タクヤはこの地で初めて出会った橘を、あまりにも彼女がまとう雰囲気が違っていたため、認識できなかった。
その時月島は、この地で見せている姿が、本来のその人自身だと言っていた。
それらのことから推察するに、あの時は月島も橘もタクヤを『永良タクヤ』だと、ひとめで認識していたため、タクヤは、自分は月島と同じようにこの場に立つ自分の姿は現実とあまり変わりがないものだと、そう受けとめていたのに。
「僕は今、高校生くらいになっているって、ことですか?」
確かに、違和感はあった。最初から月島や橘への対応に、良く言えば素直さ、があった。自分でも、高校生くらいまでの態度だ、とちらりと思わなくもなかった。けれども、彼らがタクヤを『永良タクヤ』だと驚きも戸惑いもなく認識したので、タクヤはこの場にいる自分は現実とあまり変わりがないものだと思った。
ゆえにその問いかけは、若干の動揺が混ざった声音となってしまう。
月島へ向けてのタクヤからのその問いかけに、月島は困惑の混じった笑みを浮かべる。
それは、肯定の意味なのだろう。
「僕のホントウのところは、10代半ばくらい、ということなんですね。」
友人、知人、同僚。自分を取り巻く世界が広がっていくごとに様々な他人と関わらざるを得なくなり、そのことによって善きにつけ悪しきにつけ、自分は成長していった、またいっていると思っていた。
けれども月島の言っていることが正しければ、タクヤは10代半ばから後半くらいでその精神年齢の成長は止まってしまっているということだ。
実年齢がもう少しすれば30歳代になろうかという自分は、精神はいまでも20歳に届かない、子ども、だということになる。
永遠の子どもが美しい、というのは、童話の中だけのことだ。現実社会に生きる者としては、実年齢を重ねるにつれ、何かしらの責任が伴ってくる。子どもであることが必ずしも純粋で美徳、とは言えない。その状況は、あまり褒められたものではない、がタクヤの価値観だ。つまりタクヤのホントウのところは、あまり良い意味ではない『子ども』のままだ、ということではないか。
そのような考えに至り、しょげてしまい、またその感情を素直に態度に出してしまっているタクヤへ、
「私の説明が悪かったですね。」
申し訳ない、となぜか月島が謝罪した。




