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カタルシス  作者: つきたておもち
第3章

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29

「ツカサ先生も苗字は『橘』なんですね。」

『橘コトネ』と苗字が重なっていることに、タクヤがそう言うと、

「コトネさんは橘の奥方ですから。」

 2杯目の珈琲に口を付けながらの、月島の返答。

 なんてことの無く、さらりとしたその答え方に、

「あ、そうなんですね。」

 タクヤもさらりと返した。

 しかし、『橘コトネ』と『ツカサ医師』の関係を想像もしていなかったタクヤは、内心では少し驚いている。橘は月島に心酔しているように見えているところから、月島に好意を抱いているのかと、下世話な想像をしていなかったこともなかった。

 ツカサ医師は、見た目、身体が縦にも横にも大きく、初診の際、タクヤは圧を感じたが、話し方はその見た目とは違っておっとりとしており、何かのキャラクターを思わせる人物だ。タクヤが橘に最初抱いたふわふわした雰囲気と、ツカサ医師はよく似ている。似たもの夫婦だと、今までのタクヤならそう感想を抱いたと思う。

 が。

 タクヤの心の深層の、あの出来事がホントウであるのなら、橘の性格は見た目のふわふわではなく、少し緊張感があるあの性格のはずだった。あのときも橘は、自分の印象は勝手に周りが決めつけている、と立腹していた感があった。現にタクヤもきつい言葉を浴びせられた。

「コトネさんのあの性格で、橘にはちょうど良いみたいです。」

 おそらく、タクヤが彼らの印象をどのように受け止めたのか理解した月島が、

「橘は見た目のままの優しい性格です。大らかですね。だからコトネさんとは合うようですよ。」

 と、少し可笑しそうに笑った。

 月島のその笑顔に、そう言えば、と。月島の年齢がタクヤから見れば、少し年下に思えなくもないことを思い出す。ツカサ医師は、というと、貫禄があるせいかタクヤより年上に見えていた。先ほど月島は、月島とツカサ医師とは高校時代からの友人だと言っていた。ということは、そのことからこのふたりは、同年齢、となるのだろう。

 タクヤはまじまじと月島を見る。が、やはり彼は年齢不詳だ。

 それに、月島はツカサ医師の妻をファーストネームで呼んでいる。ツカサ医師に隠れて、の呼名ではないようなので、橘夫婦の合意の下なのだろうが、彼らの関係性がタクヤには不思議に思えた。

「どうかしましたか?」

 タクヤからの視線を受けた月島が、何かあるのか、とタクヤに問う。

「やはり、体調に異変がありますか?」

 心配そうに問うてきた月島にタクヤは慌てて頭を振る。

 彼らの関係性がどのようなものであるかは、タクヤには関係のないことだ。そもそも、下世話な詮索は失礼にあたる。

 月島から、大丈夫かとタクヤを心配している瞳を向けられ、タクヤはつまらない妄想、推測をしてしまっている自身を恥じ入る。

「いえ。あの。僕の心の深層が緑鮮やかな心地の良い風景ではなくて、白と黒の世界だった、というのは?」

 話題変換。

 と言ってもそのことは、タクヤが気になっていたことには間違いがない。

 タクヤからの質問に、そのことですが、と、

「私の診察室に来られた時の永良さんの心の深層が、何故、白と黒の世界でしかなかったのか、心当たりはありませんか?」

 月島から問い返され、タクヤは心の不調をきたす前までの、タクヤが過ごしてきた日々を改めて思い返してみる。

 仕事は多忙だった。

 上司からの叱責もあった。

 他人との付き合いに、以前のような距離を保つことに時間的余裕がなく、難しくなっていた。

 けれどもそれらは、常の事だ。特別な出来事ではない。

 ただ、タクヤが人との関係に疲労感を蓄積していた感覚はあった。

 コレ、といったモノはない。瑣末なことの積み重ね、だったのだと思う。

 学生の頃ならば、他人との距離を取り、心の疲労感が消えるまで、独りで静かに過ごしていた。けれども、社会人となり、勤め人となってからはそのことができなくなってはいた。それでも、小さな時間を見つけ出して、できるだけ独りで過ごす時間を確保するように努力はしていた。しかしながらその時間の捻出は、タクヤの職階が上がるごとに難しくなっていっていたのは事実だ。

 そう言えば、月島のカウンセリングを受け始めた当初にも、月島から心の不調に陥った心当たりはないか、と訊かれていた記憶がある。

 その時も、

「いえ。これといった理由は思い当たりません。」

 今のように同じくそう答えていた。

 その時は、月島は、そうですか、と柔らかな雰囲気でタクヤのその答えを受け入れ、特にそれ以上訊かれることはなかった。

 なのに、

「今回のことより以前から、あなたは人との関係に疲れることは、あったはずです。」

 今までにない、月島の強い口調での断言。

 そのように指摘されても、その指摘された内容は、特別なこと、ではないだろう。誰しも社会生活を営んでいたら、第三者と関わりながら生活はしているのだし、他人との関係に疲れることは特別なことではないはずだ。


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