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「今日のこの面談で終了としたいと、私は思っています。」
ほんのりとした、とても薄い緑色の壁紙で囲まれた、床には毛足の短い鼠色の絨毯が敷かれている6畳くらいの部屋。
採光を取るためなのだろう。廊下側のこの部屋の入り口となる扉から入った正面には小窓があり、レースのカーテンで直射日光が入るのを避けている。
入り口の扉から入った右側には隣の部屋へと続くのだと思われる木目調の扉。そして左側の窓際には腰くらいの高さの棚、ローボードが3つ並んでいる。それら棚の上にはトレイ以外は何も置かれていない。
そしてこの部屋の真ん中くらいに、丸テーブルと椅子が4脚設置されている。
シンプルな部屋。
窓から入る微風で揺れるレースのカーテンの動きを何とはなしにぼんやり見ていると、
「永良タクヤさん。」
男性の柔らかな落ち着いた声のトーンで名を呼ばれ、タクヤは少し斜め前に座る、担当カウンセラーの月島を改めて見遣った。
「永良さんは面談終了と聞いて、どう思っていますか。」
見遣った先の月島は、涼やかな薄茶色の瞳でタクヤを見ている。
タクヤから見る月島は、30歳前後の自分とは年齢的にはそう変わりがないように見える。姿形は中肉中背で、タクヤと立って並ぶと身長もそう変わりはないので、170センチを越えるか越えないかくらいだ。顔立ちは整っているとは思うが、アイドルのような甘いマスクではない。けれどもとても柔らかな雰囲気を纏っており、異性からも同性からもモテる部類ではないだろうか。
その月島からの問いかけに、
「いえ。もうそろそろ終わりかなって、思っていましたので。」
タクヤはそのように答える。
これまでのカウンセリングの内容の変化から、そろそろ終了かと予測していたのは本当のところだ。
「そうなのですね。」
ふわり、と微笑する彼は真顔の時よりも幾分か若く見えるので、実年齢はタクヤの29歳よりも年下なのかもしれない。
「それは永良さんにとって、この面談がもう必要ないかな、って感じていたということですか。」
月島のその問いに一拍の間を置き、タクヤは小さくうなずいた。
正直なところ、心療内科の医師にこのカウンセリングを紹介され訪った時よりも、今は良く眠れているし勝手に涙が流れ落ちるなんてことはない。あれだけ心の大半を占めていた理由のない不安感も、全くないといえば嘘になるが、随分と小さくなっている。
敢えてそちらに目を向けることがない限り、理由のない不安が心に鎮座していることを、日常生活を送っている中で思い出すことも徐々になくなっていっていた。
「なんだか、気持ちがすっきりしてきているというか、穏やかになったというか。昏さが無くなってきているというか。そんな感覚になってきたので、もうそろそろカウンセリングは卒業かな、と思っていました。」
月島はタクヤのその言葉に軽く相槌を打つ。
柔らかな雰囲気を崩さずタクヤの方に少し身体を向けるような体勢で、タクヤが話す言葉に耳を傾ける。
彼はメモを取らない。
この丸テーブルの上には、紅茶が入ったティーポットとティーカップが置かれているだけであり、ティーカップには月島が手ずから注ぎ淹れてくれた紅茶がまだ少し湯気を立てている。
この、月島の診察室はいつもこのような感じだ。
心療内科から処方されたカウンセリングの診察室というタクヤのイメージは、白で統一された壁と床であり、壁際に診察者のための事務机と椅子。その椅子には白衣を着たカウンセラーが座っていて、クライエントの話す内容を逐一メモを取るか、机に置いているパソコンか何かに入力するか、といったものだった。
タクヤが抱くそのイメージは、心療内科や一般内科といった診療所の診察室の様相そのものだ。医療機関といったものは、どこもそのような雰囲気であると勝手に思い込んでいた。
それが、月島の診察室はタクヤが思い込んでいたものとは全く違っていた。
初診のときに月島手ずから紅茶を注ぎ淹れ、飲むように勧めてきたのにはとても驚いたのが、正直なところだ。
タクヤは最初、ノックする扉を間違えたのかと、思った。
ノックに対する応えでタクヤが扉を開けた先の、丸テーブルの傍で立っていた月島は白衣を着ておらず、白のシャツに黒に近い灰色のスラックスといった、スーツほど畏まってはいないが、それでもこのままここで商談が始まる、といってもおかしくはない出で立ちだった。
扉を開けた先の部屋の雰囲気も、タクヤが抱いていた診察室、といった雰囲気ではなく、薄い緑色の壁紙に毛足の短い鼠色の絨毯といったところから、客を招き入れるような場所だと、当初タクヤは思ってしまった。
扉を開けてみたものの、部屋の雰囲気や出迎えてくれた彼がそのような感じだったので、タクヤは部屋を間違えた失礼を詫び、扉を閉めようとしたそのときに、
『永良タクヤさんですね。私が月島です。どうぞお入りください。』
と、柔らかで落ちついた声音と笑顔でタクヤの名を呼んだこと、タクヤの担当カウンセラーと聞かされていた月島の名を彼が名乗ったことで、部屋を間違えていなかったのだ、と気付かされた。
彼のそのカウンセリングのスタイルは、今日まで一貫してそうだった。