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けれども月島のその言葉には、逆らうことができない圧があった。
逃げ出したい思いが強いはずなのに、タクヤは月島に勧められるがまま、再び椅子に腰をかける。
「回りくどいから、怯えられるんですよ。センセ。」
橘が隣に座る月島をちらりと見て、呆れたような小さなため息を吐く。そして、怯えた様子あからさまに、再び椅子に腰を掛けたタクヤをまっすぐ見据え、
「永良さんが口にされているその紅茶には、あなたが心配されているようなモノは、入れていません。そのようなコトをすれば、紅茶の良い風味が損なわれるじゃないですか。せっかく品質の良い茶葉を使っているのに。」
口調は少し苛立ちがうかがえる。けれども彼女の表情や纏う雰囲気は、タクヤが最初に抱いた、ふわふわとした柔らかいものだ。その彼女の、言葉と態度のギャップにどちらが本音なのか、戸惑う。
それでも確かに、美味しくなるように彼女が紅茶を淹れているのなら、タクヤの今の態度は不適切だ。さきほど、月島が口にした「ニルギリ」というのは、紅茶の茶葉の種類なのだろう。ブレンドの茶葉ではなく紅茶の茶葉の種類を口にしたということは、彼女が言うようにこだわりを持って丁寧に今までも、今タクヤが口にしていたこの紅茶も彼女は淹れてくれていたのかもしれない。
それに、何かを盛られているかも、といったのはタクヤの邪推に過ぎない。たんなる憶測によるタクヤのこの態度で彼女が気分を害しているのなら、謝罪したほうが良いだろう。
そう思い、謝罪の言葉を述べようとしたその矢先に、
「ただ。」
彼女がそう言葉を続けた。
「ただ?」
タクヤが口にしたのは、謝罪ではなく、彼女が発した言葉への問い。
橘はタクヤからの問いにすぐには答えず、沈黙する。そして、一拍間を置いたあと、
「『わたしが紅茶を淹れた』だけのことです。」
ふわり、と笑む。
意味深な発言。
タクヤには意味が全く汲み取れない、言葉。
「それは、どういう、」
橘のその言葉はどういう意味なのか、改めて訊ねようとタクヤが口を開きかけた時。
「コトネさんは言葉足らずで、私は回りくどい。上手くいかないものです。」
月島が自嘲気味に呟いた。
先ほどからそうだった。タクヤと彼らとの会話が成り立っていない。
意味深な発言の連続。
タクヤに意図が伝わらない、言葉たち。
彼らが発言する言葉たちが、それぞれ関係があるようで、けれども関係がないようにも受け取れる。
回りくどく、言葉足らず。
その通りだ。彼らがタクヤに何かを求めるのなら、もっとわかりやすく説明をして欲しい。
それとも、回りくどく、理解し難い説明の方が、彼らに益があるのか。タクヤを煙に捲きたいのか。
先ほどタクヤの中に沸いて出た疑心が、タクヤの中に変わらず鎮座している。それはそうだろう。彼らの発言の中には、何も明確なモノはないのだから。
ただタクヤは、彼らはタクヤとの縁をこのまま繋ごうとしていることは、なんとなく感じている。
「ええっと。紅茶は橘さんが淹れて下さっていることは、先ほどうかがいましたが。」
タクヤが遠慮がちにそう告げると、それに対し、
「コトネさんの、今の発言の意を訳しますと、コトネさんが淹れたということは、永良さんの心とコトネさんがつながりやすくなった、ということです。」
彼女の隣に座る月島がしれっとそう答える。
「コトネさんが淹れた紅茶を永良さんが口にした、という行為で、永良さんの心の奥底、深層とコトネさんがつながりやすくなります。そして、コトネさんの治療を永良さんは受け入れやすくなり、今日まで永良さんはコトネさんから治療、私たちは『浄化』と言っていますが、その治療を受けていた、ということです。」
ますます意味が、わからない。
何を言っているのだろう、この人たちは。
深層心理の、つながり?
橘からの『浄化』という名の治療?
そのようなことはない、はずだ。自分は目の前に座るカウンセラーの月島から、治療を施されていたのではなかったか?
橘から治療を施されていたのならば、月島との面談の時間は何だったのか。
そのようなタクヤの心に浮かんだ疑問を、
「私はコトネさんが永良さんの深層にコネクトしやすくなるような役割ですね。」
やはり敏く月島が拾う。
「私が面談中に話す声のトーン。抑揚。リズム。これらは特に私としては計算はしていませんが、コトネさんとクライエントの心の深層に繋がりやすく、するようです。自分で言うのも何なんですが、いわば一種の、特殊能力ですね。」
にこり、と月島は笑む。それはいつも、タクヤがカウンセリングを受けているときに彼が浮かべる爽やかな、若干彼を幼く見せる、そして、一瞬人を魅了させる笑顔だ。




