#0 猛りに釣り合うだけの水銀を
夜のとある住宅街で、ミズガネという女はアズマという少年に勝負を挑まれた。アズマは強力な異能を持つが、これに対抗するミズガネの能力の強大さは、これから多くの言葉で説明する価値がある。
誰にでも特技というのがある。算数が得意とか、人に好かれるとか。でも、近くのものを浮かび上がらせるような力のある者もいる。
この、ローブに身を包んだ女性「ミズガネ」も、特別な力を持つ人だ。鉄塔のてっぺんに立って市街を見下ろしているのもそのおかげだろうか。
スマホを確かめると、ミズガネは鉄塔を飛び降りた。屋根や塀を低いほうへと乗り継いでいで、地面に手足をついて着地した。そんなとき、闇夜から駆け出してくる人影があった。
ミズガネと目が合ったそいつは、ミズガネの胸めがけて拳を振りかざしていた。
「……えいッ!」
「おっと!?」
その勢いは人外もので、ミズガネを背に転ばせるどころか前方の塀めがけて吹き飛ばした。ミズガネは思い切って地面に手をつき、揃えた足で地面を捉え、被弾した勢いを跳躍に変えた。
瓦屋根にうまく着地し、謎の襲撃者を見据えた。見た目は普通の少年だが、きっと特別な力があるに違いない。ミズガネはローブを直しながら、屋根を降りて彼に歩み寄る。
「何のつもりかな!」ミズガネが毅然とした顔で問いかけた。
「黙って負けとけよ!」
少年がまた拳を握る。包帯の巻かれた腕は確かにたくましいが常識の範疇であり、先ほどの一撃の威力を説明できる見た目ではない。とにかく、彼はまたミズガネに駆け寄ってパンチを当てようとしている。
だがそんなとき、少年の目に映ったミズガネの姿が一瞬、緑色に光った。そしてまさにその瞬間、少年の腕から力が抜け、駆け足はゆっくりになり、腕がミズガネに届かない距離で止まり、リラックスした気分に支配されてしまった。
「あれ……?」
両手を交互に見やっても異変はない。少年が前を見ると、ミズガネは穏やかにほほ笑んで見せた。
「キミ、名前は?」
「えっ!」少年は面食らった様子になる。
「オレ様か!? アズマっていうんだけど……」
「アズマくんは、どうして殴りかかってきたの?」
アズマはまだ呆気に取られた顔だったが、すぐ気を取り直し、得意げな顔に直す。
「……フフン。お……お前、ミズガネだろ。この辺で一番強い能力があるんだろ? だから、わざわざオレ様が来てやったの。早めに立場を分からせなきゃな」
まったく敬意のない態度だが、ミズガネはアズマの話を静かに聞いている。
「おいミズガネ、お前の能力を教えろよ!さっきのジャンプも能力なのか?」
「私の特技ね……」
ミズガネは胸に拳を当てて誇らしげに笑って言う。
「私は、人の敵意を失くさせることができる」
「敵意を失くす……?」
アズマはまた呆然とするが、やや経つと、ミズガネの特技を理解し驚く。
「嘘でしょ! そんなのできるわけ無いって……」
「でも、今キミは私を殴れないでしょ?」
アズマは改めて右手を持ち上げてみる。どうしても握り拳が作れない。
「くそー、こんなのズルだ!」
アズマはハッキリと悔しい顔をしながらその場に座り込んでしまった。
「まあズルくはあるんだけど。それより、折角だからキミの特技も教えてよ。」
ミズガネもその場でかがむ。
「オレ様か?」
アズマはどうしようか少し迷ったようだが、やがて両腕を広げて自分の力をアピールする。
「オレ様はスゲー能力がいっぱいあるんだ!パンチの衝撃を増やしたり、壁の向こう側を見たり、高くジャンプしたり!」
「その3つなの?」
「オレ様にもよく分かんねー。とにかく沢山なんだ。まさか出来るのかって思って試したら、ホントにできたりする」
「なんと…… キミもずいぶん凄いんだね」
「言ったじゃん!この辺で一番強いんだぜ」
褒められて気分の良さそうなアズマを見て、ミズガネは立ち上がってアズマを見下ろす。
「ちょっといいかな?」
「あん?」
「お姉さんね、喧嘩はイヤだけど、勝負は好きなんだ」
黒の空に満月が強く輝いていて、ミズガネの表情は逆光で見えない。
「はあ」アズマが興味なさげに返した。
「敵意を無くす力を使わなければ、私はキミに勝てないだろうか?」
ミズガネがそう訊くと、抜けていたはずのアズマの腕力が戻ってきた。
「……」
アズマがゆっくり立ち上がる。右手を力いっぱいに握った。
「ナメてんの? ナメてんのか、やってやるよ!」
アズマが大きく拳を振る。ミズガネは横跳びで避けると、そのまま道路を駆けて直線の距離をとった。それを見たアズマが追いかけようとすると、今度はミズガネが急ブレーキをかけた後、爆発のような速さで戻ってきた。
「やべ……」
100メートルはある距離から一気に懐へ飛び込んでくる怪女に対して、アズマはなんとか反応できた。アズマの、「受け止める衝撃を減らす特技」が発動した。
ミズガネとアズマの腕がぶつかり合った。鉄板を殴ったような音が響く。ミズガネとアズマの目が合う。ミズガネはアズマの挙動のすべてを観察している。まるで世界一の格闘王と対峙しているかのように。
ミズガネは靴音をたてて後ずさると、額に手を当てながらアズマに問いをかける。
「キミの特技って近距離のものが多い?」
「……」
アズマの反応を確かめると、ミズガネが突如、空高く飛び跳ねた。街灯よりも高空で彼女は黒い影に見え、黒い空の中ではアズマから姿がよく見えない。でも、どうやら回転しながら落下するつもりのようだ。
アズマの能力が遠くに届かないのは正解だ。鉄塔に届くようなジャンプに対してアズマは手出しできない。だが、落下する瞬間に対処すればいい。
落下攻撃なら、その衝撃を減らすのだ。アズマは意識を集中させた。そしてミズガネが空気の音を立てて地面へ迫ってくる!
「ハッ!」声を張りながらアズマが防御を固めた。
ところが、ミズガネはアズマにはぶつからず、目の前へ軽やかに着地する。代わりに、アズマの腰を抱えて、横向きに投げてしまった。
「わっ!」
ふたりで地面に転ぶと、ミズガネはわざと、アズマが上に覆い被さる態勢を作った。そして、展開の速さにアズマはついていけず、次の作戦は単純になってしまった。「人の筋肉を萎えさせる特技」でアズマがミズガネの腕を振り解き、右腕を握って振り下ろそうとする。
だがそんなとき、空中から何かが落ちてきて、アズマの腰に当たった。
「うぐッ!」
これもミズガネの攻撃か?強い衝撃だったため、アズマは腰を抜かしてその場に倒れてしまった。
「な、なんだ……!?」
ミズガネのお腹にアズマは倒れて、ミズガネはそれを抱えて降ろした。身につけていたローブをはたいて塵を落とすと、アズマに向かってほほ笑む。
「どうかな?」
「く、くそ……」アズマは腰抜けとなり上手く立ち上がれない。
「……うん!これは、私の勝ちだ!」
一体何が起きたのだろう。勝ち誇るミズガネの両足をアズマが見て、いま気づいたのだが、片方しか靴を履いていない。ということは、さっき落ちてきたトドメの一撃は……
「時間差で、靴が落ちてくるようにしたってのかよ……!」
「どう? 私の強さ、分かってくれたかな?」
「くっそー、あれもこれも全部能力なんだ!ズルだー!認めらんね〜!」
「キミの能力もズルいってば!」
そんなとき、ミズガネのスマホに着信がくる。ミズガネがかばんからスマホを取り出して、慌てて電話に出る。
「わあっ、ダーリン!?あ、ええと、道で不良に絡まれちゃってさ。すぐ帰るね。……やだもう!愛してるよ!」
通話を切ると、すっきりした顔でアズマに別れを告げる。
「じゃあこれで!また、私に勝てる思ったら会いにきてよ。私、有名人だからすぐ見つかるよ。 ……立てる?」
「少し休めば……かな」アズマがしょんぼりした様子で返す。
「そっか!じゃ、私はダーリンが心配してるから、これにて!キミ、凄く強かったよ!」
ミズガネは勢いよく道路を駆けていく。そのまま、夜の闇に消えていった。
アズマは立ち上がれないため、家へ帰るために親を呼ぶ必要があった。喧嘩で負けたから助けて欲しいなんて恥知らずな、とも思ったが、頭の中はそれよりもミズガネの倒し方を考えることで一杯だった。
そんなことがあってから、数日が経った。
「あれから、またしばらく静かになったな」
ミズガネは今夜も鉄塔の上に居る。その後、アズマがどうしているとかは聞いていないが、彼は隣町で暮らす中学生なのだそうだ。
彼女の暮らす世界には、様々な人が様々な特技を持って過ごしている。ミズガネの驚異の体術と、敵意を失くさせる力。果たしてこれは如何に無敵のものなのだろうか?
ミズガネが主役であるこの物語を通じて、確かめてみよう。
次はたぶん1日後に投稿します。