第16話 蜃気楼の城、真紅の序曲
――真っ二つ。呻き声とともに、茨の腕を振りかざす薔薇人間。
その歪な胴体を、リューファスの振るう水晶の剣が一閃のもとに断ち割った。
骸はたちまち崩れて、紫の瘴気を吹き出したかと思うと、土へと還っていく。
他の冒険者たちが我先にと、城を目指し、駆け抜けたのとは対照的。リューファス一行は、別方向へと。庭園の奥深くへと、着実に歩を進めていた。
「ふぅ、キリがないわい」
さすがの老騎士キホーテも、げんなりとしている。湧き出る怪物を踏みつぶしながら、勢いを持て余していた。
異界迷宮は、たちの悪い夢を歩いているかのようだ。どれほど歩いても、聳え立つ主塔との距離は縮まらず、城壁の蜃気楼のように遠い。
そう、まるで風景が描かれた球体の内円を、ぐるぐる彷徨っているかのように。空間そのものが狂っているのだ。
「なんという数じゃ。ソダルムスの住人たちは、これほどまで、この邪悪な迷宮に取り込まれたというのかのう」
「いや、それは違うだろうね」
「なんじゃと?」
「一度、取り込まれた『事象』が、呪詛によって再現させられているだけだよ」
キホーテの憐憫に満ちた問いに、メッツァは淡々と訂正を入れた。
メッツァからしてみれば、それは常識だった。
「あー、つまり……ここで化け物になったが最後、この迷宮が崩壊でもしない限り、何度も複製されて、この形に復元されることになるんだよ」
「それは――あまりに非道ではないかッ!」
メッツァが、異界迷宮の性質について語ると、キホーテは心底憤慨した。
「無辜の民の魂が、永遠に弄ばれるなどあってはならぬぞ! 哀れッ、ああッ、あまりに哀れじゃ!」
「そう言われても。呪詛によって、非業の死を遂げるとは、そういうことだからね」
実際、リューファスとメッツァが、ペルホの森で見た亡霊、あるいは慟哭鬼もそうだ。
呪詛死において、死とは通過点に過ぎないのだ。
「魔術師からしたら、どうでもいい現象の一つなんだけどね」
善性の強い、老騎士キホーテは受け入れ難いようだが。むしろメッツァにしてみれば、遍歴の騎士を名乗るほど冒険をしていながら、今さらなにを、と不思議に思う。
いちいちそんな感傷に浸っていては、呪詛研究など出来はしない。
(ちぐはぐだ。この老人も……隣にいるサンチョも)
魔導騎士甲冑を、身に着けられるほどの財産。さらには、騎士物語を読み耽っているはずの、この老人は……なぜか、ある種の学や教養が欠けているように見える。
どうにも本来あるべき、人間像に合わない。
そう、教養と言えば、むしろ――。
(いや、憶測は止めておこうか。それより、今気になるのは……今回こそ、この攻略がどうしてリューファスの望みに繋がるのか。それが、まったくわからないんだよねえ)
正直、メッツァは、やる気が起きなかった。ペルホの時も不可解だったが、今回はますます不明瞭だ。
ことの発端は、あの赤髪の魔術剣士。フリートが口にした、『リューファスが行きたい場所への招待状』という言葉。
「僕はてっきり、ブリュンヒルト様に纏わる場所の話かと思ったのに」
リューファスの望みは、妻や子孫が辿った末路を知ることだ。少なくとも、メッツァはそう思っていた。
だが、この『ソダルムスの薔薇園』――かつての決闘の舞台が、なぜそこに繋がるというのか。
「ライル王の決闘に、ブリュンヒルト様は登場していなかったと思うんだけど」
そう、ここで起きた決闘自体には、ブリュンヒルトは一切、関係がなかったはずなのだ。
むしろ、登場していたのは……ブリュンヒルトを嫁に取ろうとした、もう一人の人物のはず。
「キミの探し人は、本当にブリュンヒルト様で合ってるのかい? リューファス」
メッツァの問いかけに、しかし、リューファスは答えなかった。
ちらりと盗み見たリューファスの横顔は、常の自信に満ち溢れたそれとは異なっていた。ひどく懐かしむような、それでいて何かを断ち切ろうとするような。
――見たくないものを、確かめに来た。そんな色が混じっている。
(結局、この王様。自分が話したくないことには、口が堅いんだよな)
メッツァは、賢明な自覚があるので、それ以上口を挟まなかった。
やがて、一行は、巨大なアーチの前で足を止めた。
そこは庭木に囲まれた広場だった。
すると、思わず――メッツァは目を擦った。視界がブレて、別の光景が映り始めたからだ。
「ぁあ? なんだ、こりゃ?」
間抜けな声を、サンチョが漏らした。
呪詛に染まった極彩色の薔薇蔓が、掠れる。代わりに、一重咲きの素朴なピンクや白の花々が、刈り込まれた生け垣一面に咲き乱れた。
足元の歪んだ土くれは、幾何学模様が美しいモザイクタイルへと変化する。
初夏の暑い日差し。陽炎に揺らめく空気の向こう側に立ち並ぶ、貴人たち。
「……まさか。過去の、再現」
思わず、メッツァは声を漏らす。
視線の先。広場の最奥には、桟敷席が用意され、王と王妃が自分たちを睥睨している。さらに、控える美姫、王子たち。
いや、もう一人。……存在感ある、逞しい美丈夫。
王の顔には権威と、しかしどこか神経質そうな影が落ちていた。
傍らの、蛇のような冷たい目をした女――その絢爛なドレスは、鮮やかな群青色の色合いだ――と、何事か言葉を交わしている。
女の唇がかすかに動くのが見えた。
「これより、我らがニブル王国の威信を懸け、バンスラディアのライ・ユーファス卿が率いる騎士たちとの決闘を執り行う!」
女は、愉しみだわ、と真っ赤な唇を開き、眼をぎらつかせている。
「よくぞ参った、死処求む、さ迷い人の王よ。さて、汝が捧げるのは、勝利の宣言か。それとも、この庭土を肥やす、惨めな命か?」
――メッツァは、毒を背筋に注ぎ込まれた気分だった。
「そうだ、この庭には足りぬものがあったな。――そう、目も眩むような真紅の薔薇が、な。さあ、誉れ高き騎士たちよ、身に流れる熱い血で、この地を無惨に染めあげるがよい」
悪辣なる王妃、クリームヒルト。その夫、ギューキ王。
二人の背後に立つ、姫も王子も、逞しい男すらも……伝承に伝わる登場人物だった。
メッツァはようやく自覚した。
(まさか、僕。また、面倒なことに巻き込まれている?)
だが、時すでに遅し。もはや、これが単なる、迷宮探索ではないことは明らかだった。




