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9.休日


クッションを抱きしめたままぼんやりとテレビを見つめる梨香の横顔を見た律樹は「また何かあったな」と思った。だから携帯のゲーム画面を閉じて彼女の傍に寄る。


「梨香、そんな顔をしていたら母さんにどうしたの? って聞かれるぞ。それで梨香は隠し事が下手だから全部喋ってしまう。俺はそう思うよ」


律樹を見返して、梨香はサァと顔色を無くした。


「お、お母さんには何も聞かれたくない」

「だよね。父さんが転勤になるかならないかでピリピリしてるし、穏便にすまそう。俺の部屋に来る?」

「行くっ」


そうして梨香と律樹は夕食の支度をする母親の後ろをこそこそ通って、二階へ上がった。

律樹の部屋は普通に散らかっていた。ザ・男子高校生の部屋、って感じだ。律樹は勉強机の椅子に、梨香はベッドに腰掛けた。


「それで、何があったの」

「……お兄ちゃん。あのね」

「ん?」

「長くなるんだけど」

「いいよ」

「重い話だと思う」

「全然オッケー」


律樹が片腕でガッツポーズをしてくれたから、梨香はポツポツと言葉を重ねた。

……今後律樹とレオンが関わり合いをもつことはきっとこないだろうし、レオンはレティ―シャのことは秘密のことではない、と言っていた。梨香が一人で抱えるには少し辛い話でもあったから、双子の律樹にだけには喋っちゃうね、ごめんねレオン。と心の中で謝りながら、事の顛末を話した。

と、思っていたのだが、実は梨香はαやΩや運命の番のことを説明することを忘れていた。それでも、レオンとレティ―シャの話を聞いた律樹はしばらくスペースキャットみたいな顔をして固まってしまい、たっぷり一分間沈黙を続けてから口を開いた。


「……えっと、それは現実の話? ドラマの話じゃなくて?」

「現実だよ」

「そっか……、ごめん、それはちょっと、どうアドバイスしてあげたらいいかわからない」

「うん……」


「うーん」と唸って律樹は片腕を組み、右手を顎に当てた。


「何も言ってやれないけどさ……俺、梨香と一緒に買い物に出かけて、気晴らしに付き合うくらいはできるよ」

「え?」

「亡くなったその人のことを考えても、仕方がないことだよ。だって俺たちはその女の子のことを知らないんだもん。梨香は今まで通り友人として接してくれって言われたんだろ? じゃあ、それでいいんじゃん。梨香がすべき事は、その人に今、笑って貰うことなんじゃないのかな?それなのに梨香が暗い顔をしてどうするんだよ」


梨香は目から鱗が落ちる心地がした。


「そっか……、そう、だね?」

「まぁ最近梨香はテスト勉強とか、ボランティア募集の面接対策とかで忙しかったんだし、気分転換でもしたらどうかな? 母さんの誕生日がもうすぐだし、明日一緒にプレゼントを買いに出かけない?」

「行く。行きたい!......あのね、ありがとう。お兄ちゃんの言う通りだと思う」


律樹が双子で本当に良かった、と梨香は心の底から思った。律樹も彼女の表情が少しは明るくなったのを見て安心したように微笑む。ちょうどその時階下から「ご飯よー!」と母親の声がかかったので、2人は顔を見合わせて立ち上がり、「はーい!」と応えながら部屋を出た。



翌日、梨香と律樹はモール内のスキンケアショップにきていた。丸缶に入った保湿クリームの試供品を手に取った律樹の横で、梨香はハンドクリームを選んでいた。「お兄ちゃんはさ」と梨香は声をかける。


「テスト対策、大丈夫? そっちの学校も月曜日から期末テストが始まるよね?」

「大丈夫か大丈夫じゃないかを聞かれたら、大丈夫ではないよね。梨香はいいよなぁ、今回余裕がありそうで」

「えへっ、うん。実は今回結構自信がある」

「そこまで言うならよっぽどなんだね。……あれ? でもボランティア募集の面接も直近であるんじゃなかった?」

「そう、金曜日にあるの。でも大丈夫、そっちの対策もちゃんとしてるから」

「……俺の妹って出来る子だったんだ、いつの間にそんな風になっちゃったの?お兄ちゃん、置いてかれて少し寂しい……あ、母さんこの匂い好きそう」

「どれ?」

「ん」


律樹は保湿クリームを塗った自身の手の甲を梨香に向けた。梨香はそちらに身を寄せて匂いを嗅いだ......のだけれど、ラベンダーのような花の香りがするなと思った次の瞬間には、清々しい木々の香りと甘い果実の香りに上書きされていった。同時に、うなじのあたりがチリチリと痺れる。

ちょっとだけ、威圧されている?

梨香はある青年のことを頭の中で思い浮かべる。そして後ろを振り返った。果たしてそこにはレオンと、そしてアリシアがいた。


「レオン、アリシア!」


律樹も梨香と同様に2人を見て、たじろいだ。レオンたちの見目の良さに度肝を抜かれたのだ。半歩後ろに下がった律樹は梨香の服の裾を掴むと戦々恐々と尋ねた。


「だ、誰? モデル? YouTuber?」

「学校の友達だよ」

「えぇっ、同い年? 嘘でしょ」


レオンが威圧している対象は律樹だと思う。梨香は困惑しつつも律樹を庇うようにして立った。すると、こちらも戸惑っている様子のアリシアが尋ねてきた。


「こ、こんにちは梨香。こんなところで会えてビックリだね。それからえーっと、その……、梨香と一緒にいる人って、もしかして梨香の彼氏?」

「えっ?! ううん」


目を見開いて慌てて頭を振る。彼氏かなんて、そんなことを聞かれたのは初めてだった。


「お兄ちゃんだよ。あ、そういえば結局お兄ちゃんの写真をアリシア達には見せてなかったね」

「えーっと。初めまして、兄の律樹です。妹がお世話になってます。へへっ」


律樹はめちゃくちゃ照れていた。彼はβだから、レオンから受ける威圧をただのイケメン&美少女が放つオーラだと勘違いしているらしかった。

気がつけばレオンの圧もなくなっている。

二人がショップの中へ入ってきたから、レオンの事を気にしつつも梨香は兄に2人のことを紹介した。


「同じクラスのレオンと、アリシアだよ。テスト勉強を一緒にしてるっていう友達が、この二人なの」

「そうなんだ、賢そうだもんね」

「二人とも理系でね、数学と理科を分かりやすく教えてくれるんだよ。だからいつも助かってる」

「いえいえ私こそ、梨香が世界史を解説してくれたお陰で今回のテストではいい点が採れそうです」

「ね、皆いい点採れたらいいよね」


梨香はそう言ってハンドクリームを棚に戻した。


「私たちはお母さんの誕生日プレゼントを買いに来たんだけど……、レオンたちも買い物?」

「そう。日用品を買いに。アリシアは付き添い」


そう言って、レオンはじっと梨香を見た。彼女の様子を伺うようにしてから、彼は言った。


「……具合は悪くなってないかい?」

「え?」

「少し威圧してしまった、という自覚はある。すまなかったね。当てられて気分が悪くなったりしていない?」


レオンは梨香の顔の横に落ちた髪を撫でて、耳にかけてくれた。最近彼からの接触が増えている気がする。梨香は顔を赤らめた。


「大丈夫、だよ、……だけどどうしたの?レオンが感情を揺らすなんて珍しいね」

「さぁ」

「……私たち、レオンの気に障ることをした?」

「それは違う」

「でも……」


レオンは確かに律樹に敵意を向けていた。何故なのかと聞きたいのに、レオンの指が未だ梨香の髪を弄んだままでいるから、彼女は恥ずかしくなって次の言葉が出てこなくなった。

律樹は、顔を赤らめている今の梨香を見てどう思うだろう。彼女は戦々恐々とした面持ちで兄の方を振り返った。しかし当の律樹も、美少女のアリシアを前にしたために顔を真っ赤にさせて商品棚と向き合っていた。


「りょ、両親に贈るプレゼントは、毎年一緒に選んでるんだ」

「兄妹で仲がいいんですね。私は一人っ子だから、憧れます」

「そうなんだ。逆に俺は一人っ子に憧れる時があるよ。……あ、じゃあ一緒にいた人は彼氏?」

「いとこです! レオンが彼氏だなんて、本気で絶対に嫌です」

「いとこなの?! すごい。一族全員美形そう……」


律樹が鈍すぎて、梨香は気が抜けた。

ちょうどレオンの指も離れていく。梨香はちょっとホッとしながらレオンを見上げた。どうして威圧したのか云々の話は、ひとまず横に置いておくしかない。レオンの様子を見るに、これ以上詳しく尋ねても多分はぐらかされてしまう。きっと、虫の居所でも悪かったのだろう。

梨香は昨日の律樹の言葉を思い出していた。レオンが今までの通り〝友人〟の関係を望んでいるのなら、梨香はその通りに振る舞えばいいのだ。一番大切なことはレオンが心安い気持ちでいてくれることなんだから。

梨香は前髪を少し手で整えて、それから改めてレオンに向き直った。


「レオンたちは、買いたいものは全部買えた?」

「あぁ」

「じゃあ私たちがプレゼントを買い終わったら、良かったら一緒にお昼ご飯を食べに行かない?」


レオンは少し黙って、それから目元を緩めた。


「あぁ、そうしよう」


彼の表情の変化を見て、「あ。レオンちょっと嬉しそうだな」と梨香は感じた。だから彼女も嬉しくなってより笑顔を深める。


「何を買うか決めるね。だからちょっと待ってね」

「急がなくていい。大切なものだし、ゆっくり考えなよ」

「ありがとう」


律樹とアリシアにもお昼ご飯を食べに行こう、と言ったら快諾してくれた。だからその後は梨香と春藤の母親の誕生日プレゼントについて四人であれでもない、これでもない、と話し合った。

レオンとアリシアは初対面の相手には一線を引いて距離を取るタイプであったが、律樹はかなり社交的な青年で、尚且つ人の懐に入り込む不思議な魅力があったから、店を出て、近くのカフェに入る頃にはだいぶん打ち解けており、昼食を食べ終わる頃には「俺たちは最初から友達でした」みたいな雰囲気になっていた。


さて、カフェの真向かいにあるバス・タクシーのロータリーには献血バスが停まっていた。それを見た梨香は律樹と顔を見合わせて、それからレオンとアリシアに向き直った。


「私たち、献血をして行こうと思う。月曜日からテストも始まるし、レオンたちももう帰るよね? 今日はここでお別れする?」

「献血?」


レオンとアリシアがきょとんとしたので、梨香は言葉を続けた。


「献血バスを見つけたら私、献血をすることに決めてるんだ」

「それまたどうして?」

「恩返し、かな。私たちが生まれたとき、お母さんは大量に出血しちゃったらしくて輸血で助かったんだ。だからできるだけ献血をしなさいって昔から言われてきたし、私たちもそうしようって決めてるの」


ね、と梨香が水を向けると律樹もうんうんと頷く。レオンは嘆息した。


「なるほどね。きみのお人好しな性格はそうやって形成されていったってわけか」


律樹がからりと笑った。


「レオンって王子様みたいな見た目をしてるけど結構毒舌家だよね。……いや、皮肉屋?」

「……」

「あはは、せっかく猫被りしてたのにバレてるね、レオン。あと春藤は惜しいよ。この王様は皮肉屋どころか性格が捻くれてて、……いたたた!」

「余計な事ばっかり言うのはこの口かなぁアリシア」

「ほら見て? 女の子のほっぺたを容赦なく引っ張るんだよ、ひどい!」


アリシアはレオンの手をはたき落とすと梨香のところへ逃げていった。梨香は彼女を保護するように抱きすくめる。

レオンはため息をついて律樹を見た。


「献血にかかる時間ってどのくらい?」

「うーん、四十分くらいかな」

「じゃあ俺とアリシアも献血をするよ」

「えっ?」


梨香とアリシアが同時に声をあげたけれど、レオンはそれに構わず「献血ってした事ないんだけど、やっぱり痛むのかい?」「んー、その時その時で違うけど、あんまり痛くないよ」と春藤と会話しながら献血バスへ向かっていった。



献血をする際は、まず受付で渡航歴や病歴について尋ねた問診票を記入する。

水分補給と血圧を安定するために飲み物を渡されて、問診票に沿った質問を医師から受ける。

血圧を測定したのちはバス内に備え付けられたゆったりと座れる椅子に誘導されて、血液濃度の測定と採血をされる。

採血が終わったあとは記念品としてジュースなどが貰えて、体調の急変がないかどうかを確認するために10分ほど休憩することを求められる。


レオンは、止血のために注射針が刺されたところを押さえつつ、紙パックのジュースを飲んでぼんやりと椅子に座っていた。すると採血を終えた梨香がやってきた。にっこりと笑って、彼の隣の席に腰掛ける。


「レオン、はじめての献血どうだった?」

「両腕に注射をされたことに、驚いたかな」


献血では血液濃度の測定と採血のために、両腕を差し出さなければならない。レオンは片腕だけでいいと思っていたので、正直なところ二回注射をされてびっくりしていた。

梨香は「先に説明しておけば良かったね」とちょっと笑いながら紙パックのジュースにストローをさして飲み始める。穏やかに微笑むその少女を、レオンは見返した。


「出産時に輸血が必要だったということは、きみの母親はよほど危険な状態だったのかな」


梨香はうん、と頷く。


「今は双子だったら帝王切開が勧められるらしいんだけど、お母さんの時は自然分娩が普通だったらしくて……、お母さん、出血が止まらないタイプだったんだって。だからお兄ちゃんを産んだ時にすでに出血多量で、輸血をしないと、その時お腹にいた私も、お母さん自身も危なかったって」

「そうか。輸血のおかげできみも助かったんだね」

「うん」


と頷いてから梨香はハッとした。命が助かる、助からないの話はレオンにとって良くなかったんじゃないか。その言葉は、どうしてもレティ―シャのことを連想させる。

背中にひやりとしたものを感じながらレオンを見やると、彼は外の景色を見ていた。飲み物を一口飲んで、レオンは尋ねる。


「今日俺たちから採血された血は、いつか誰かの血潮となるんだよね。……梨香はさ、その誰かのものになった血液の中に俺たちは生き続けると思うかい?」

「どういうこと?」

「たとえば俺が死んでも、俺が渡した血の中に、俺は生き続けると思う?」


梨香は息を止めた。誰かに殴られたかと思うほどの衝撃を覚えた。思い出されるのは、雪の降る日にたった独りで佇む、レオンの姿だった。梨香は震えながらレオンと向き合った。


「……死んじゃうの、レオン?」


一瞬にして血の気を失った梨香を見返して、レオンは急くように言った。


「ごめん。俺は死なない。そう約束しているからね。例えが良くなかったな、悪かったよ」


約束。レオンがその約束を、誰と交わしたかなんて明白だった。先程とは違う意味で梨香の心がずん、と重くなった。レオンと彼の運命の番との間に梨香が立ち入る隙なんてないように思われた。でもそれは当たり前のことだ。

レオンにとって梨香が特別になれる日なんて来ない。

頭の奥が痺れたように痛んだけれど、梨香は気づかないふりをした。その気持ちから目を逸らすために口を開く。


「生き続けると思うよ」


落ち着くために、手元の飲み物を一口飲んだ。


「その人がいなくなっても、その人の中に生き続けることはできるんじゃないかな」

「そうか。……ありがとう、答えてくれて」


その時の梨香は、レオンが望んでいるだろう言葉を言った。だから本当のところは彼が何故その質問をしてきたのかを深くは考えていなかったし、わざと考えないようにしていた。

間もなく律樹とアリシアも献血を終えて合流してきた。月曜日からは期末テストが始まる。だからその日はすぐにお開きとなった。


帰り道、電車に揺られながら律樹は言う。


「梨香の友達、良い人たちだったね」

「うん、そうでしょ」

「俺、安心しちゃったよ」

「?」

「梨香はまだ好きな人のことを引きずってるだろ? でも学校にあんな友達がいたら大丈夫だなって」

「……うん?」

「レオンとかさ、本物の王子様みたいじゃない? ちょっと性格に癖ありそうだけど。でも梨香に優しかったし、梨香もレオンのことを好きになっちゃったりして」

「んんんん?」


好きになっちゃう以前に、梨香が失恋した相手こそレオンなのだけど。

梨香は目を丸くして律樹を見返した。けれど律樹は純度百パーセントの優しい微笑みで「どうかした?」と首を傾げた。

そういえば梨香は、耐寒登山の日に泣いて帰ったときも、レティ―シャの話をした際も、彼らの名前を出さなかった。だけどそれでも、律樹は鈍すぎない?


(ううん。でもこれはもしかして、私がレオンの友人として、ちゃんと接することができてるってこと? だからお兄ちゃんは気づかなかったのかも)


律樹と同様に梨香も大概恋愛方面の事柄は苦手だった。それに、わざと鈍感になろうとしているきらいもある。だから梨香は下手くそな笑顔を浮かべた。


「えーっと、えへへ、好きになっちゃう、かも」

「いいじゃん! 俺、応援するから」

「うん、えっと、ありがとう……」


梨香は律樹から視線を逸らした。

その時ふいに「たとえば俺が死んでも、俺が渡した血の中に、俺は生き続けると思う?」と言ったレオンを思い出した。あれはとても不穏な感じがした。

そして、梨香がその言葉の本当の意味を知ることになるのは、もう少し先の話になる。


次は金曜日の17時頃に投稿します!

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