7.雪降る公園で
しばらく寒い日は続いたけれど雪は降らなかった。しかし今朝の天気予報で確認したところ、とうとう今日、初雪が降るらしい。帰り道にしたあんな他愛無い会話、きっとレオンは忘れているだろうなぁと思いながら梨香がお天気キャスターのお姉さんを見つめていると、朝食のシリアルを持ってきた律樹が声をかけてきた。
「どうしたの、ぼんやりして?」
梨香は律樹を見た。
「あのね。今日、雪が降るんだって」
「そうなんだ! へぇ」
「嬉しそうだね?」
「初雪ってなんか……テンション上がらない? 二回目以降になると有り難みはなくなるんだけど」
「ちょっと分かる」
そして律樹は、シリアルを口にしながらもチラチラと梨香を気にするように見た。
「どうしたの?」
「いやー。梨香、あれから大丈夫かなって……」
「何が?」
「例の……好きな人のこと」
「あぁ」
梨香はちょっと顔を赤らめた。あの日律樹に慰めてもらったのに、あれから彼にちゃんと報告していなかったのだ。
「あの時はごめんね、お兄ちゃん。話を聞いてくれてありがとう。……あの人のことは、友達だと思おうとしてる。今は友達として接してる」
「うーん。そう?」
「えっと……だめかな?」
「だめじゃないけど。梨香にそんな器用なことできるのかなって」
さすが律樹だ。梨香のことを良く分かってる。梨香はしおしおと視線を下に落とした。
「正直難しいとは思ってるよ。……私は友達として、どんな態度でいればいいのかなって悩んでる」
その悩み自体が深みにハマっている証拠だけどな、と律樹は苦く思った。だけど梨香は必死だから、それを悪戯に否定できない。
「基本は梨香のしたい通りにすれば良いと思うよ。相手のことを考えて動いたら、きっと梨香の優しさは伝わるよ。たとえ同じ気持ちを相手が梨香に返してくれなくてもさ」
「うん……」
レオンは梨香の運命の人じゃない。なのにどうして恋なんてしてしまったんだろう。恋さえしなければ、梨香はレオンが望む通り本当の〝友人〟になれたのに。
梨香はそう思ったが、律樹にこれ以上心配をかけたくなかったから微笑んだ。
□■□
終業時のHRから雪が降り始めた。太陽が翳り、外は静かだったから、これは積もる降り方だなと梨香は思った。隣の席のレオンを見たけれど彼は普段通りだ。
そして下校前にアリシアが焦ったように謝ってきた。
「ごめん。私、今日用事があるんだった。だから勉強会に参加できないや。ごめんね」
「全然いいよー。気にしないで」
「うぅ、ありがとう」
アリシアがレオンを見やる。彼は肩をすくめた。
「今日は勉強会自体を無しにしよう。だからほら、アリシアも安心して早く帰るといいよ」
礼を言ってからアリシアは早くに帰った。
レオンも、梨香が友達と話している間に帰ったようだった。そろそろ下校しようと彼女が鞄を取りに席に戻ったときにはレオンの姿がなかったから。
雪が降っている。
上履きからローファーに履き替えた梨香は折り畳みの傘を広げた。僅かに積もった雪の上を、すでに多くの生徒が踏み荒らした跡がある。校門を出て、梨香は最寄りのバス停まで行く。彼女の他にバスを待つ人はいなかった。たった一人でベンチに座って、梨香は考えた。
レオンの〝友人〟として、梨香はどうすればいいのだろう。
レオンは梨香に、どれぐらい彼に近づくことを許してくれるのだろうか。
「……」
律樹は言った。相手のことを考えて動いたら、きっと梨香の優しさは伝わるよ、と。
レオンは言った。この時期に降る雪は特に嫌いだ、と。
バスが来た。
バスは梨香の目の前で止まって、その扉を開いた。
梨香は立ち上がったけれど......それに乗らない事を選んだ。
何故ならずっと、校舎を出た瞬間から深い木々と果実の香りがしていたから。
まるで線が引かれているように、梨香は彼のいる場所が分かった。この魂は片割れと出会うことに歓喜しているけれど、それは勘違いなのだと理性で押し留める。
レオンは梨香を見たら、どう思うだろう。嫌がるだろうか。迷惑がるだろうか。鬱陶しいと思うだろうか。
恐れを抱きながらも梨香は歩を進めて、やがて学校の裏手にある公園までやってきた。
そこにレオンがいた。
誰もいない、しんしんと寂しく雪が降る公園のベンチに彼は佇んでいる。梨香が近づいてくるのを見ても何の反応もしなかった。
梨香は静かにレオンの元まで行き、その目の前で立ち止まると、折り畳みの傘を彼の方へ傾けた。
「……レオン。こんな所にいたら凍えちゃうよ」
レオンは応える気がないのだろうかと思うほどの長い沈黙の末、薄く嗤った。
「きみこそこんな所まで追いかけてきたのか。お人好しめ」
彼は座ったままでいたから、綺麗な栗色の髪に絡まる雪がよく見えた。とても寒そうに見えて、梨香は優しくそれを払ってやる。
「レオンは雪が降る寒い日が嫌いなんでしょう?それなのにどうしてここに居るの。……ねぇ、どこか暖かい場所へ行こうよ」
「暖かい場所ってどこだ? ……あいにくと、今暮らしてるあの部屋には帰る気になれない」
「……どこでもいいよ。どこに行ってもいいから、自分を粗末にしないで、レオン」
人を殴ったり、顔に青あざがあっても放っレオンいたり、教室では穏やかな笑顔を貼り付けて適当に物事をやり過ごす。
レオンは自分を粗末に扱っている。彼は自分のことが、きっと嫌いなんだ。
どうして、と梨香は思う。だってレオンは運命の番がいるのに。梨香と違って、運命を手に入れたレオンの心は満たされているはずなのに。
「きみのことが心配だよ、レオン。きみのことが心配だから……。……私はきみの〝友人〟だから、そんな風に寂しそうな様子を見てしまうと、放っレオンけないんだよ。……大丈夫? どうしてそんなに寂しそうなの?」
ふいに、彼の宝石のような青い目が梨香を見上げた。梨香の背中に彼の手が回されて、ぎゅっと抱き寄せられる。「少しだけでいい」と、絞り出すような声でレオンは言った。
「……少しの間だけでいいから、どうかこのまま、きみで温めさせてくれ」
続きが月曜日の夜頃に更新させていただきます。