23.兄の反対
梨香が捻挫をして数日後。律樹にまた「梨香、何かあっただろ」と言われたから、彼女は律樹を連れて部屋に向かった。
ベッドに腰掛けてクッションを抱きしめる梨香の前で、律樹が学習椅子に座る。そうしてポツポツと、捻挫をしてレオンが病院に連れて行ってくれたあと、二人の間で起こった一連の出来事について梨香は語った。律樹は前のめりになって耳を傾けていたけれど、全部を聞き終えるとちょっとポカンとして、それから心底理解できない、と顔をしかめた。
「えっ、それで付き合ってないって、どういう事?両思いじゃないの、それは?」
強くそう尋ねられて、梨香はクッションを抱える手に力を込める。
「両思いじゃ、ないよ……。だって私の告白は断られてるもん。2回も」
「えーっ、でもソイツ、梨香のこと抱きしめたんでしょ」
「それは私が先に抱きしめちゃった、から」
「先に抱きしめられたからってなんだよ。断るなら最後までちゃんと拒めよ、男なら!」
律樹は珍しく語気を荒げた。
「ソイツは梨香の気持ちに応えられないって言ったんだよね? しかも二回も告白を断ったんだろ? なのに梨香を引き留めたり、抱きしめたりするのは狡くない?」
「わ、私だって狡いよ……。断られてるのに何回も告白したり、相手が今いる状況が分かってて、傍にいたいって言った」
「それはそうかもしれないけどさぁ」
律樹は学習椅子に座り直すと、腕を組んだ。
梨香は弱りきって眉を下げる。律樹は今まで、梨香の動向に否定的な言動をしたことがない。彼はいつも梨香の背中を押してくれる存在だった。それなのに今回は雲行きが怪しい。
律樹はうーんと唸って、それからこちらを見た。
「あのね、梨香。俺は男だから分かる。だから言うけど、ちゃんと『好き』とか『付き合おう』とか言ってくれない男はロクでもないよ」
「……」
「ソイツは梨香の気持ちを利用して、自分の都合のいい女の子として梨香を扱うよ。きっと梨香は大切にされない。ソイツが梨香のことを本当に好きになることは絶対に、ない」
律樹はキッパリと言い切った。一瞬ののち、梨香はぶわっと目に涙を浮かべた。
「どうしてそんな事を言うの、お兄ちゃん」
「その男はやめておいた方が良いって俺は思うから」
「……」
「梨香には、梨香のことをちゃんと『好きだ』って言ってくれる人と付き合ってほしい。もっと他に良い人がいるはずだよ。だからソイツはやめレオンきな」
クッションを力一杯抱きしめながら、梨香はぶんぶんと頭を振った。
「それは無理。他の人なんていない」
「でもさ、梨香……」
「だってあの人は、私にとって運命の人だもん!」
「んんん? ……。ちょっと待って。運命の人って、どういうこと?」
べそべそに泣いている梨香はテッシュ箱を引き寄せながら、「……あれ?言ってなかった?」と首を傾げた。
「聞いてないと思う。運命の人って、何?」
「運命の番ってことだよ」
「エッ?」
梨香は改めて説明した。レオンと初めて出会ったとき、彼から香ってくるフェロモンが特別に感じていたこと。『運命』だと確信したこと。時折目には見えない糸で、レオンと自分が結びつけられているような心地になることを。
律樹は再度ポカンとした。
「俺には分からない感覚だな……、運命といるとそんな感じになるんだ……?っていうか、運命とか、現実にあるんだ。……あれ? でも、運命の番って絶対結ばれる相手じゃなかったっけ。俺、ドラマの観すぎ? 現実はそうでもないの?」
「ううん、その人の運命の番は亡くなった女の子なの。私のことはスペアだって言ってた」
「新しい用語が出てきた。スペアって何?」
梨香は彼女なりに調べた「スペア」について律樹に説明した。
スペアという存在は世間一般にはあまり知られていなかったし、調べても資料自体少なかった。でも、それは当たり前かもしれない。普通ならば運命と番えたαとΩは2人の間で関係が完結する。番った後は周囲にフェロモンを振りまくことは少なくなるし、他者も番った状態の2人のフェロモンに惑わされることはなくなる。だから「運命」と結ばれたαとΩの傍に仮に「スペア」がいても、本来ならば互いに感じ取ることはできないだろう。
そもそもスペアと出会える確率は、運命の番と出会える確率と同じくらい低いのだ。むしろ運命とスペアに違いはない、ほぼ同一だ、と断言する論文さえあった。つまりその人が誰を「運命」と判じて、誰を「スペア」と定めるかに全てがかかっている。
そう説明されても律樹は、男性特有の現実的な視点からこの話を聞いて、思う。「でもソイツは梨香のことを運命の番じゃないって言ったんだろ? じゃあ、どれだけ梨香がソイツのことを運命だと言っても、やっぱソイツは梨香の運命の番じゃないし、梨香にとってもソイツは運命じゃないんじゃないの?」
律樹が「梨香」と呼びかけると、彼女は怯えた顔をした。その男との関係をこれ以上否定されることを心の底から恐れているようだった。だから律樹はう〜〜〜ん、とかなり深くまで悩んで、それから顔を上げた。
「……分かった。梨香がそんなに好きだっていうなら、俺は梨香を応援する」
「お兄ちゃん……」
「でも一つだけお願いがあるんだ。その人のことで三回泣いたら、考え直してくれる?」
「三回泣く?」
「うん。三回っていう数字に深い意味はないけど。……一緒にいるのに、悲しくて泣いてしまう関係って、結局は正しくないんだと俺は思うよ。だから梨香がその人といて傷ついたり、辛くなって三回涙が出たら、関係を考え直してくれる? その人の他にも、良い人はいるかもしれないって思ってくれる?」
律樹が梨香を大切に思うからこそそう提案したのだと、彼女には分かった。だから「うん」と頷いて、梨香はまた涙ぐんでしまった。
□■□
レオンの運命の番であるレティ―シャは亡くなった。
もうこの世にいないからこそ、その子の存在は完璧な星のようにぴかぴかと輝いて、レオンの底のない寂しさを一条の光のように照らしているのだろう。
『きっと梨香は大切にされない。ソイツが梨香のことを本当に好きになることは絶対に、ない』
律樹が自室に帰って、一人布団に横になった梨香は兄の言葉を思い出していた。
できるならレオンの一番近くにいたい。寂しそうなレオンのことを放っておけない。……それだけじゃダメなのだろうか?
ぶぶ、とその時携帯が震えた。梨香とレオン、アリシアのグループLINEで、アリシアからメッセージが届いたのだ。この前彼らが家に来た時から、ずっとだらだらとやり取りが続いていた。
梨香の捻挫のことも話題に上げている。左足に痛みはあるけれど幸いにも歩行はできる。それでもアリシアが心配して様子を見に来たいと言い、それから都合が合えばまた梨香の家で遊びたいと連絡をしてきた。
次の土曜日以外なら空いているよ、と梨香は返す。
『土曜日何かあるの?』と、アリシア。
『うん。海外協力支援機構が主催する、ワークショップが昼の三時まであるんだ』梨香はメッセージを返す。
レオンは携帯を見ていないのか、既読もついていなかった。
『ソイツは梨香の気持ちを利用して、自分の都合のいい女の子として梨香を扱うよ』
律樹はあぁ言ったけど、梨香だって同じだ。
梨香とて、レオンの寂しさを利用して傍にいることを選んだ。
……だけど律樹が懸念している通り、梨香はいつかは『その先』を考えなければならないのかもしれなかった。
つまり梨香は最終的にレオンとどうなりたいのか、レオンに何を望んでいるのか、それをちゃんと見定めレオンかないと、いつか悪い結果を招く。そんな気が、彼女はした。
次は月曜日の17時に投稿いたします。よろしくお願いします!




