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22.レオンの番


オベロンに呼び止められ、梨香はゆっくりと彼を振り返ろうとして、


「痛っ」


体重を傾けた拍子に足首が痛み、僅かに体勢を崩した。レオンが手を添えてそれを支える。そうして2人は黙って見つめ合い、レオンが梨香の手を引いたから、彼女も再び室内へ歩を進めた。


□■□


梨香をソファーに座らせたのち、レオンは何から、どうやって話を始めようか逡巡しているようだった。

薄暗くなってきた部屋の電気をつけて、彼女から少し離れたところに腰掛ける。両手の指を組んで黙っていたが、ややあって「レティ―シャは臓器提供者なんだ」と静かに説明を始めた。


「ドナーになることは、彼女の生前からの意向だった。だから脳死と診断されて生命維持装置が外されたあと、速やかに彼女の体からは心臓、肺、肝臓、腎臓、膵臓、小腸、眼球が摘出されて、臓器移植者のもとに向かった。……そしてモニカは、レティ―シャの心臓のレシピエント(※)なんだ」

※…臓器を提供される側の名称


レオンは虚空を見つめていた。


「入院している間、レティ―シャはいつも、俺のことが心配だと言って泣いた。自分が死んだ後、独り残された俺のことを思うと心配で仕方がないと泣いて……、もっと永く生きたかったと、そう言ったんだ」

「……」

「そしてこの世界にはきっと、自分と同じように『もっと生きたい』と思っても生きられない人がいる。だから、その人たちのためにドナーになりたいと言った。レティ―シャが生きられなくても、彼女が提供した臓器のお陰で生き永らえた人たちを見れば、俺も救われるはずだと……、彼女の死は無意味なものではなくて、誰かの命を繋ぐための死だったんだと思えば、俺も少しは慰められるはずだと、レティ―シャは言った」

「……」

「そしてあの子は俺に、臓器を提供された人たちが新しい未来を得て、幸せな生活を送っていく姿を見守り続けてほしいと願った。その人たちの中で〝私〟は生き続けるから、俺は〝独り〟じゃない、だから〝私〟を忘れないでと、レティ―シャはそう言ったんだ」


レオンは片手で顔を覆った。


「……臓器提供の取り組みは、素晴らしいものだ。自身が臓器提供者になることを決めたレティ―シャの意思は尊重されるべきものだ。それは分かっている。残される俺を想って彼女がそれを決断したんだということも理解している。……だけど、俺は」


レオンは絞り出すように言葉を続けた。


「やめてくれと、あの子に言った。きっと俺はそれに耐えられない。〝きみの死〟できちんとお仕舞いにしてくれ。〝きみの死の続き〟を俺に与えないでくれ。そう何度も頼んだのに。あの子は……レティ―シャは、俺の願いを聞き入れてくれなかった……!」


ひび割れるようなレオンの声がリビングに響いた。


「そしてその結果が、今だ。臓器移植を受けた者のうち、よりにもよって心臓を移植されたモニカに拒絶反応が出た。合併症も発生し、下手をすれば二十歳まで生きられないかもしれない。そのせいで今もあの子の心臓にメスが入れられて、強い薬を投与され続けている。だけど……だけど、それでも生きている。レティ―シャが。レティ―シャの心臓が、まだ動いている」


絶望の淵を覗き込むようなレオンの青い瞳を見て、梨香は「ある日」のことを思い出していた。

律樹やアリシアと一緒に献血をした日、レオンは梨香に「たとえば俺が死んでも、俺が渡した血の中に、俺は生き続けると思うか」と尋ねた。あれは臓器提供をしたレティ―シャのことを言っていたのだ。そして梨香は彼の問いかけに対し、何と答えたのだったか……。


「時々気が狂いそうになるんだ」とレオンは続けた。


「周りの人間は俺に、忘れてもいいと言う。レティ―シャの両親でさえ、あの子のことを忘れろと俺に諭してくる。レティ―シャはもういない。だから彼女のことは〝思い出〟にして、俺は俺の人生を歩けと言うんだ。……だけど、忘れられるはずがない! レティ―シャはまだ生きている! それなのにどうやって〝思い出〟にしろというんだ? あの子は俺の運命だ。俺のことを愛してくれた、たった一人の女の子なんだ……!」


そして、とレオンは言葉を続ける。そして俺はまた、レティ―シャを喪うかもしれない、とレオンは言った。


「もう一度、俺はレティ―シャの死を看取ることになるかもしれない。もしあの子の心臓が止まってしまったら。心臓を移植されたモニカも、今度は一緒に……」


今にもレオンが崩れ落ちてしまいそうな気がして、梨香は血管が浮き出るほどきつく握り締められた彼の手に触れた。レオンの手は、氷のように冷たかった。

少しでも温めたいと梨香が両手の掌でそっとそれを包んだ時、レオンはふと、梨香の存在を思い出したかのようにこちらを振り返った。彼の瞳はガラス玉のように無機質だった。梨香を見ていたけれど、梨香を見ていなかった。


「……梨香。きみは俺を特別だと言ってくれたね」

「……」

「正直に言おう。俺もきみを特別だと思っている」


だけど、と梨香が何か反応を示すより先にレオンは冷たく制した。


「それはきみが俺の運命の番だからじゃない。……きみは、スペアなんだ」

「すぺあ……?」

「そうだ。きみに初めて出会った時、俺もきみを特別に感じた。だからその日に俺は、改めて番について調べてみた。……運命の番は、一般的には精神的な繋がりを取り上げられることが多いけど、科学的知見からみると、遺伝子の相性でそれが決まることが分かった。つまり運命の番とは、他に比類を見ないほど遺伝子レベルで相性が良い存在のことを差す。そしてスペアは、その他の人間よりも相性は良いが運命の番には劣る、替えがきく存在のことを差すんだ」


レオンの声音はむしろ優しかった。けれどまるで、一言一言を叩きつけられているように梨香には感じられた。


「レティ―シャがいたからこそ分かる。特別な存在ではあるけど、きみは運命の人じゃない。梨香にとっての俺も、きっと運命の番じゃない。俺たちは互いに替えが効く存在だ。そして俺は、俺の運命を忘れられない。……そんな俺は、きみに誠実でいられないだろう。だからきみの気持ちに、俺は応えることができないんだ」


梨香の陽だまりのような瞳から、つぅ、とその時ひと筋の涙が流れた。彼女は瞬きもせず、真っ直ぐにレオンを見つめ返した。


「……それならどうして、レオンは私を引き止めたの」


声が震えてしまわないように、彼女は懸命に努めた。


「そうやって最後は私を拒絶するんだったら、どうして私を帰らせてくれなかったの。どうして私に、『行かないでくれ』なんて、そんな言葉を言ったの……!」


仮面のような表情を貼り付けていたレオンの顔が、その瞬間クッと歪んだ。視線が逸らされ、彼は懺悔するように項垂れた。


「……ごめん」


両手で顔を覆い、罰されることをただ粛々と待っているその姿を見て、レオンは狡い、と梨香は思った。

レオンは梨香のことを拒絶するくせに、彼女が自分から遠ざかることが許せないのだ。

レオンが今、心に余裕がないというのは本当なのだろう。レティ―シャが亡くなってからまだ一年しか経っていない。深い喪失感が癒されていないのに、今度はレティ―シャの心臓と、それを移植したモニカの死の影に彼は怯えている。再び彼女らを看取ることになるかもしれない未来に絶望している。

だから、レティ―シャや梨香に誠実であろうとするために梨香を遠ざけたいと思う彼も、自分から離れていこうとする梨香を引き止めてしまう彼も、どちらも本当なのだ。

ぐちゃぐちゃになった想いを抱えて、レオンは苦しんでいる。

そうやって嘆き苦しむレオンを見てしまうと、梨香はたまらない気分になった。Ωの本能が、αの彼に屈したいと願ってしまうのだ。

梨香はレオンの肩に触れた。


「……レオンは私のことをスペアだと言うけど、私は違う」


自分より大きな彼の体を、梨香は抱きしめた。


「だってレオンが私の〝初めて〟だから。初めての特別だから、私にとってのレオンは、スペアじゃない」

「……」

「私はレオンを独りにしたくない。だから私は……、レオンの傍にいても、いい?」


レオンが狡いのと同様に、梨香もまた、自分が狡いということを知っていた。

梨香を拒絶しながらも求めている彼が、梨香にそう問われて拒めるはずがない。拒めないと分かっていて、わざとそれを口にしたのだ。

レオンはしばらく黙った。苦しむように黙って、……最後は項垂れるようにして、彼女の温かな身体を抱きしめ返した。


「……俺の傍に、いてくれ」


そうやって口にすることが、レオンが梨香に示すことができる、最大限の誠意だった。




次回は金曜日の17時に投稿します。

どうぞよろしくお願いします!

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