20.告白の続き
梨香がリビングに行くと、兄の他にレオンとアリシアがいた。驚きのあまり彼女が思わず後ずさったのも無理もない。特にレオンとは、四月までは顔を合わせることはないと本気で思っていたのだ。
「二人には、荷物を持ってもらったんだ」
律樹がにこやかに説明する。
彼が電車内で教科書類をぶちまけることになった理由は以下の通りだった。
律樹は、今日終業式があることを知っていたが、今の今まで学校に置いてある荷物を全く持って帰っていなかった(ものぐさをしていたのだ)。ただ彼は、持ち帰りをサボり続けたことにより、自分が危機的状況にあることは理解していた。だから今日はたくさんの荷物を持つことを覚悟して紙袋や手提げを用意し、登校した。
ただ彼は学校についてから、危機的状況にあるのが自分だけではないことを知った。律樹の多くの友人もまた、荷物の持ち帰りを怠っていたため、大変なことになっていたのだ。
「だからって持ってきた手提げや袋を友人に貸すか、普通? しかも気がつけば自分のところには紙袋しか残っていなくて、全部の荷物をそれに突っ込まなければならなくなって、最後は電車の床にぶちまけるとか……、三流以下の喜劇だろ」
レオンの言葉に、ジュースを飲んだ律樹が「辛辣〜」とケタケタ笑う。
「そう言うけどさ、レオンだって俺と同じくらい大荷物じゃない?」
「俺はものぐさなきみと違って、しばらくイギリスに帰っていたから、荷物を持って帰れなかったんだよ」
「しばらくイギリスに帰ってた?なにその台詞、カッコいい!俺もいつか使ってみたい」
レオンは「もしかして俺は馬鹿にされているのかな?」というように律樹を見た。しかし律樹が純度百パーセントみたいな笑顔をしていたから、複雑そうな表情をする。
アリシアは初めて梨香の家に来たから少し緊張している様子だった。出された菓子を食べながらチラチラと壁時計を見やる。
「……なんだか私たち、随分ゆっくりさせてもらっちゃったね。でも、そろそろ帰った方がいいよね」
「え、どうして?」
「もう帰っちゃうの?」
テレビ台の中から家庭用ゲーム機を引っ張り出していた梨香と律樹が似たような顔できょとんと振り返った。
「もしかして二人とも、この後用事があるのかな?」
「いや、私は別に……」
「俺も特にないけど」
「じゃあ時間が許す限り遊んでいったら?」
ゲームのリモコンを律樹が掲げる。
梨香はゲームソフトを数種類取り出しながら、レオンのことを慎重に伺い見た。だけど彼は、梨香が同じ空間にいることに頓着はないらしい。レオンが普通の様子だったから、梨香は視線を下げた。
その後四人はゲームを楽しんだ。どのゲームでも、やり込んでいる梨香と律樹が結局は強いので、レオンやアリシアは彼女らのどちらかとペアを組むことが多かった。
運がモノを言うゲームではレオンが最初一強だったけれど、その終盤、最下位だったアリシアが大番狂わせをしたために大いに盛り上がった。大敗したレオンがリモコンを放る。皆は爆笑ものだ。
大きく身を乗り出して笑った梨香は、隣に座っていたレオンの肩に軽く当たった。「あっ」と、彼に触れたところが甘く熱を持つ。梨香はちょっと身を固くしたけれど、こちらを見たレオンが想像していたよりヘソを曲げた子供みたいな顔をしていたから、思わず吹き出した。
「レオン、残念だったね」
「納得ができない。なんだあの最後のアリシアの力技? 猪かな?」
「レオンがあんなにコテンパンに負けるところ、初めて見た」
「きみ、嬉しそうだなぁ」
「うん。すごく面白かった」
「こいつ」
「やーっ!」
レオンから逃れるために梨香は、レオンとは反対側の隣にいた春藤に身を寄せた。律樹が「あははっ」と愉快げに笑って梨香を抱きとめ、アリシアへ顔を向ける。
「俺、なんだか暑くなってきちゃった。アリシアは部屋、暑くない?」
「うーん、少しだけ」
「じゃあ暖房の温度下げよっと。……凄いよね、もう春なんだ」
「この前まで寒かったのにね」
「本当に。一月が過ぎるとあっという間に4月だよね」
そう言って律樹は、エアコンのリモコンを取りに行った。律樹が離れていったから、梨香は改めてレオンと向き合うことになる。テレビ画面を見ている彼に、梨香はおずおずと尋ねた。
「あのね、レオン……。楽しめてる?」
「フッ。負け越してる俺に、それを聞くんだ?」
「あは。……でも、うん。せっかく家に来てくれたから。だから……」
「楽しいよ」
と、レオンは言った。
「こうしてきみ達とバカ騒ぎをするのは、楽しいよ」
レオンの柔らかい声音に、梨香の心もじんわりと暖かくなった。「そっか……」と彼女は微笑んで、だけど顔を上げることはできなかったから、両足の指をいじいじと交差させたりした。
「それなら、良かった」
今日の告白と失恋が、レオンとの最後の思い出ではなくなりそうで、良かった。
結局気まずくなって四月から彼と話せなくなっても、今の楽しい思い出が残るなら、それで救われると梨香は思ったのだった。
□
夜になり、レオンとアリシアは帰った。その後梨香は家族とともに夕食を食べレオン風呂に入り、就寝のために布団にくるまった。
携帯でYouTubeやTwitterをダラダラと見て、さぁ寝るかと思ったとき、律樹がやってきた。
「ごめん梨香。俺の荷物にレオンのものが紛れてたみたい。悪いけど、返しレオンいてくれる?」
律樹はレオンの化学の資料集が入った袋を、間違って自分の部屋に持って上がっていたらしい。
荷物を受け取ったものの梨香はちょっと困ってしまった。化学の資料集は高校三年生でも使うから、レオンに返さなくちゃいけない。でも、彼と連絡を取ることを梨香は避けたかった。
……玉砕すると分かっていたのに梨香が告白したのは、彼女なりのケジメだったのだ。絶対に叶うことのない恋だから、もうここで無くしてしまいたかった。レオンはきっと、フッた女の子にいつまでも周りをうろちょろされるのは嫌なはずだ。
だから梨香は次の日の朝、レオンに連絡せずに彼の家へ行き、部屋のドアノブに袋を引っ掛けて、足早に立ち去ることに決めた。
□■□
そしてその次の日。
梨香は当初の計画通り、レオンにアポイントを取ることなく彼の家の前まできた。それから化学の資料集が入った袋を玄関の扉のドアノブに掛ける。
袋の中には、昨日春藤が間違って資料集を彼の部屋に持っていってしまったことを説明し、それを詫びた手紙を入れている。
これで用事は済んだ。家に帰ろう。
梨香は最後に、レオンの家の扉を見た。定期テストの勉強の時は毎日のようにここに通った。でも、もうそんな日々がこれから来ることはないだろうなぁ。
そうして感傷に浸っていたのが不味かったのかもしれない。梨香が立ち去る前に扉が開き、中からレオンが出てきた。
「えっ……?」
こんなタイミングでレオンが出てくるとは思わなかった梨香も、家を出たら目の前に梨香が立っているという状況だったレオンも、驚きのあまりしばし沈黙した。
「……」
先に我にかえったのは梨香だった。彼女は顔を真っ赤にさせたのち、すぐに真っ青になった。
「ち、違うの! 私、レオンに付き纏ってるわけじゃない!」
「……」
「本当に違うの。き、昨日お兄ちゃんが、間違えてレオンの化学の資料集を部屋に持っていっちゃってたの。だから、それを返しに来ただけ。本当にそれだけ。すぐに帰る」
「落ち着けよ。何をそんなに慌ててるんだ?」
「だって……だって、本当に違うから」
梨香は少しパニックになり、涙ぐんでいた。
「私、レオンのことを付け回そうとは思ってない。今度こそちゃんと諦めるから。もう〝友人〟もやめる。四月からは学校でもレオンには話しかけない」
「……。昨日は一緒に遊んだのに?」
「昨日は、アリシアとお兄ちゃんがいたから」
ごめんなさい、と梨香は訳もわからず謝った。
「私、レオンとは二人きりにならないようにする。もう他人になる。だからレオンは安心して。ごめんね、本当にごめんなさい。……じゃあ、帰る!」
言うだけ言って梨香は踵を返して走り出した。レオンはマンションの外廊下へ出て、その背中を追いかける。
……が。
レオンが梨香の手を掴むより先に、彼女は突然「あっ!」と幼い声を出すと派手にコケた。
「いや……はあ?!」
梨香が目の前で、しかも何もないところで転んだからレオンは仰天した。
「梨香、大丈夫か?」
「……」
レオンが梨香の隣にしゃがみ込む。彼女は左の足首に手を当てたまままんじりとも動かなかった。
いつにない梨香の様子にレオンは顔を顰める。
「足首が痛むんだな?」
「……」
「とりあえず立てる?」
「……」
「……梨香?」
梨香はやっと、止めていた息を吐いた。黙り込むことで、苛烈な痛みをやり過ごしていたのだ。そしてゆるゆると顔を上げて、彼女は弱ったようにレオンを見つめた。
「……えっと、ね。レオン」
「……」
「ちょっとだけ……足が痛くて、動けない」
その言葉を聞いて、レオンはきゅうう、と視線を鋭くさせた。「ちょっとの痛み」というのは嘘だ、とレオンは心の中で断定した。
梨香は挫いた足がかなり痛くて、動けないのだ。