2.レオン・ガーディナー
世界には、二種類の性別がある。
一つは「男性 / 女性 」の性。そしてもう一つは「 アルファ / ベータ / オメガ 」という三種類の性だ。
この三種類の性の特徴と人口の割合は以下の通りだ。
まずは、人口の七十%を占めるのがβ。βはいわゆる"普通の人"で、これといった特徴はない。
次に、人口の十五%を占めるα。αは〝優れた人〟として社会に認知されていて、実際に容姿や才能が際立ち、社会的な成功をおさめている人が多い。
最後は、同じく人口の十五%を占めるといわれるΩ。Ωの特徴は、なにより「発情期」があることだ。約三ヶ月に一度の周期で現れるこの発情期のとき、Ωは当人の意思に関係なく、一週間ほど強い発情フェロモンを撒き散らして周囲の人を誘惑してしまう。
もちろんΩ自身も発情期にはαやβに欲情してしまっていて、その間は発情と繁殖以外に何も考えられなくなるほどの脱力感や性欲の増進などに悩まされてしまう。
ただし、今はその発情を抑制する薬も進歩しており、梨香もそれを服用することで発情期を抑え、休まず学校に通うことができている。
また、αとΩには「番」という特別な関係を結ぶことができる。
「番」が成立すると、αは番以外のΩの発情フェロモンに惹かれにくくなり、Ωは番以外に発情フェロモンを出さなくなる。
そしてよくドラマや映画で扱われる題材だか、「番」には「運命の番」などと呼ばれるものがあるらしい。
「運命」で結ばれるαとΩは顔を見た瞬間に稲妻に打たれたような衝撃を覚え、恋をする。お互いのフェロモンが心地良いと感じ、離れがたくなる。理性などを飛び越えて、本能のままに愛し合うという。
都市伝説のうえに眉唾ものだが、この「運命」こそが、昔、律樹が梨香に言って聞かせたものだし、梨香が内心心惹かれている関係だった。
……けれど。
ベッドでうつ伏せで寝転んでいた梨香は、オメガバース性について調べていた携帯を置いた。
「あのレオン・ガーディナーって人が私の運命の相手? 本当に?」
特別なフェロモンを感じたか?
→それは感じた。
出会った瞬間に稲妻のような衝撃が走ったか?
→たしかに稲妻のような衝撃は受けた。けれどそれはレオンと出会ったから衝撃を受けたのか、それとも取っ組み合いの喧嘩に立ち会ったからショックだったのかが分からない。
一瞬で恋に落ちたか。
→恋に落ちる以前に、レオンが馬乗りになって人を殴っていたことが驚きすぎて何も考えられない。確かにあれ以来ずっと彼のことは考えているが......これは恋なのか?
レオンも梨香と同様に恋に落ちていたか?
→いや、絶対に落ちていない。触るなキモい(意訳)と言われた。
「あれ……、あの人、私の運命の人じゃないのかな」
あの時、本能では運命だと確信したつもりだったけれどその自信がなくなってきた。梨香はボスン、と枕に顔を埋めた。
まぁいいや。レオンが謹慎を受けてから1週間が経つ。明日、彼が登校してくる。
その時きっとはっきりするだろう。
□■□
さて、レオンはどんな顔をして教室に入ってくるのかと思ったが、彼は相当面の皮が厚かった。殴られた青あざが右頬に残っていたけれどそれを隠そうともしない。そして多少の傷があっても、彼の白磁の美貌は全く揺らがなかった。
「初めまして、レオン・ガーディナーです。イギリスから来ました。このクラスにいるアリシア・モーガンとはいとこの関係です。これからよろしく」
若干投げやりで棒読みな感じを受ける自己紹介であったが、レオンがにっこりと綺麗に微笑むと、クラスのほとんどの人間が彼に魅了された。
「転入前に謹慎を受けたヤバい奴だ」という前評判がクルーッと手のひらを返され、「さすがα。俺たちのできないことを容易くやってのける。そこに痺れる憧れる」と判断を下されてしまった。
また、彼は登校初日にただ席に座っているだけで、あっという間にクラスの中心になってしまったのだった。
例えば紙パックで飲み物を飲んでる生徒を見て、「メロンオレ? へぇ。どんな味がするんだろう?」とレオンが首を傾げると、次の休み時間には何本ものメロンオレが献上されたし、授業終わりに宿題のノートが返却され、その分配をレオンが先生に頼まれた時(転入したばかりのレオンに頼む先生も先生だが)、レオンが「どうしよう。このクラスの人の顔と名前を覚える気がないんだ」と途方に暮れたように呟くと、周りの人が代わりにノートの配布を行った。
周囲の人間をせこせこ働かせて、自分は席に座ってメロンオレを飲みながら興味も無さそうに眺めている。そんなレオンを見て、「こ、この人すごく性格悪そう!」と梨香は戦慄した。
そして昼休み。アリシアがレオンを引きずって梨香のところへやって来た。
「さぁレオン。春藤さんにこの前の謝罪と感謝の意を示して。それぐらい貴方にもできるよね?」
「えー? ……あぁ、はいはい。α同士の諍いの中に無闇に突っ込んできたあの女の子ね。そうだったね、確か春藤さんっていうんだった」
レオンは冷めた青い瞳を梨香に向けた。
「俺の後始末をしたせいで君、遅刻扱いになったんだって? 他人のことなんて放っておけば良かったのに。君って見上げるほどお人好しなんだなぁ」
「レオン!」
「先日はありがとう。そしてごめんね?」
一欠片も感情が篭ってない、棘のある言葉だった。梨香はもちろんムカッとした。
レオンからは新緑と果実の特別な香りがする。けれど、きっと彼は運命の人じゃない。
「別にいいよ、ガーディナー君。きみに殴られた2人が可哀想だったからあぁしただけ。全然、きみのために動いたわけじゃないから」
普段の梨香らしからぬ言葉を吐いた。彼女は本当は、レオンの人形のように美しい顔に痛々しい傷がついたことにも、もちろん心を痛めていたのに。
レオンは僅かに目を見開いて、「へぇ、そんな事言っちゃうんだ」と歪んだ笑顔を浮かべた。
「俺たちあんまり相性が良く無さそうだね。君に近づくのはよしておくよ」
「うん。そうして」
「なんで謝りにきたのに喧嘩してるの、レオン! 日本に来てから好き放題しすぎだよ、はぁ。……じゃあね春藤さん。こんな奴だから本当、近づくのはよした方がいいかも。じゃ!」
「うん」
アリシアは今度はレオンの背中を押して梨香から離れていく。梨香はレオンを見つめて、そして顔を背けた。
彼は、きっと私の運命の人じゃない。同じクラスだから毎日顔を合わせてしまうけど、きっともう関わらない。
そう思っていた。
□■□
梨香の通う高校には一月に『耐寒登山』という珍しい行事があった。寒さに耐えながら冬の雪山に登ることで、その心身を鍛えるのだとか。その理念を生徒たちは全然理解できないのだけど、学校行事には逆らえないので、結局みんな不満を言いながら登山をすることになる。
当日は、三人〜六人の班になって、決まったコースを回るのだ。
HRの時間に班決めの時間が設けられたのだが、すでに班を決めた梨香は友人と「毎年登山なんて大変だよね〜」とまったりしていた。しかしお隣のレオンの席は大変そうだった。
多くの生徒がレオンを自分の班に引き入れようとやいのやいの騒いでいるのだ。
レオンはしばらく王子様のような澄まし顔で事の成り行きを見守っていたが、最後の最後にこう言った。
「ごめんね。僕、そういえばアリシアと春藤さんと一緒の班になるって、約束をしていたんだった」
そんな約束、初耳です。
隣で爆弾発言を落とされた梨香は数秒固まった。レオンの周りにいる生徒たちもしばし沈黙していた。一番最初に我にかえった誰かが「えっ、でも!」と口を開いたが、レオンは彼を冷たく見返した。
「文句あるのかな?」
絶対的に強者なαの前では、結局誰も何も文句を言えなくなってしまったのだった。
□■□
昼休み、梨香は中庭へレオンとアリシアに呼び出された。
レオンの世話役としてすっかり板についてしまったアリシアがまた梨香に謝罪する。
「ごめんなさい、ごめんなさい。この横暴な王様がまた貴方を巻き込んでしまって。本当にごめんなさい」
「うーん。今回は正直……戸惑ってる」
「うぅ、そうですよね。友人関係に亀裂とか入ってませんか?」
「今のところは大丈夫だけど、次回からはやめてほしいかな」
友人たちは梨香が班から離れることをこころよく快諾した。というかレオンの望む通りにしろ、と逆に説得された。学校社会でもバース性のカーストは存在するのだ。
梨香はチラリとレオンを見た。
「というか、どうして私なのかな。ガーディナー君の方から、私に近づかないって宣言したよね?私だってそのつもりでいたんだけど」
「そう。その距離感がいいんだよ。アリシアもいとこで俺の性格を知ってるから、俺に過度の期待をしない。俺にたかってくる人間が気持ち悪いんだ」
「何それ……」
レオンの周りにいる人たちは彼の気を引きたくて懸命なのに。その気持ちがレオンに否定されるのを見ると、梨香の心は痛くなった。
「それならみんなに良い顔をしなければいいのに……。転入初日に喧嘩をするのも不味かったんじゃないのかな。きみは目立って仕方がないよ」
まさか言い返されるとは思わなかったのかレオンは片眉を上げた。それから口の端を上げて微笑む。
「いや、まいったよ。君って結構正論をついてくるんだな。……そうだね。あの乱闘騒ぎはやり過ぎたよ。むしゃくしゃしてて、誰かに八つ当たりしたい気分だったんだ」
「それも……酷いと思うよ」
「そうだね。言い逃れはできないな」
少し伏せられたレオンの眼差しは悲しげで、それを見た梨香は胸が突かれる思いがした。
レオンが顔を上げて、梨香を見る。そしてにこりとまた笑った。
「もちろん彼らにも悪いことをしたと思っているよ? ……うん。でも、ほらぁ、自業自得だしね。最初にあっちから殴ってきたんだし、俺は正当防衛だったんじゃない?」
「……つまり喧嘩したこと自体は反省してないってこと?」
「そうだねぇ、これっぽっちも」
ドン引きしている梨香に構わず、レオンは続けた。
「そもそも、俺の態度と俺への注目度は実はそれほど関係がない。俺がどんなことをしても結局は人目を引いてしまうのさ。へっぽこなアリシアと違って、俺のαのフェロモンの力は強いみたいだから」
「はぁ?どうしていきなり私を引き合いに出したの、レオン! しかも悪口かこのやろー!」
殴りかかるアリシアの手を笑いながら掴んで止めて、レオンは梨香に言った。
「とにかく俺に興味津々な輩に囲まれて登山をするのは勘弁願いたいんだ。申し訳ないけど1日だけ付き合ってよ、春藤さん。お願い」
下手に出られると梨香は弱い。そもそも班のメンバーは確定してしまったから、今更レオンたちと離れたいと思っても梨香はどこにもいけないのだ。
「……分かった。とりあえず当日はよろしくね、アリシアさん。ガーディナー君。私、次の授業の準備あるから教室に戻ってる」
「はい。じゃあまた後で」
「うん」
中庭を去っていく梨香を見送って、アリシアは拳を下ろすとレオンと向き合った。
「……私もレオンに聞きたいんだけど」
「何?」
「どういうつもり? どうして春藤さんを巻き込んだの?」
「さっき説明しただろ。本当はきみと二人きりの班が俺にとっては最善だった。だけど班のメンバーは三人からだっていうしさ、人数合わせさ」
「だからってどうしてあの娘なの? ……春藤さんはΩなんだよ?」
「へぇ。アリシアがバース性の差別をするとは思わなかったな」
「違うよ! Ωの春藤さんがレオンの傍にいたら周梨香らどう思われると思う? 自分が人気者だって分かってるでしょ、レオン。傍に置くならあの娘をちゃんと守らないと! でも貴方、何もしてあげない気でしょ」
「......」
「ねぇ。こんなことは言いたくないけど、今の貴方は本当にめちゃくちゃだよ、レオン。レティ―シャさんのことは、私も今でもすごく悲しい。だから私は付き合うけど、他の人は巻き込んじゃダメだよ」
レオンは黙った。その暗い目は心を閉ざしていて、誰の言葉も受け付けないように思われた。