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19.告白


レオンが久しぶりに登校してきた。その日は終業式だった。

二時間目まで授業をしたのち、終業式とHRを終えて、今は大掃除の準備のために校内全体がざわついている。

そんな中、梨香はレオンにイギリス土産を渡したいと言われて、人が立ち寄らない裏庭に呼び出された。レオンが梨香のために買ってきた土産はショートブレッドという、スコットランドの有名なお菓子だった。そして梨香も、返し損ねていたネクタイを彼に渡す。

目を伏せてネクタイを見つめたあと、レオンはややあって真っ直ぐと梨香に顔を向けた。


「俺がイギリスに帰っていた間、熱が出たと聞いたけど。大丈夫だった?」


こんな人気のないところまで来たのはやっぱり、レオンがイギリスへ帰る直前に、彼と梨香の間に起こったことについて話すためだったのだ。

梨香はわずかに緊張に体を硬くさせ、そして頷いた。


「うん、熱が出たのは一日だけだったし大丈夫だったよ。今はフェロモンの調子も安定して、全然平気。……レオンはイギリスにいる間、何もなかった?」

「あぁ。……モニカのことをアリシアから聞いたんだってね?お陰様で彼女の手術は成功した。大丈夫だったよ」


レオンが薄く微笑む。

しばしの間、二人のもとに沈黙が落ちた。遠くから聞こえてくる生徒たちの声はどこかよそよそしい。まもなくチャイムが鳴って、大掃除の時間が始まるだろう。

話を切り出したのは、やはりレオンの方からだった。


「メッセージでは送ったけれど、改めて言わせて欲しい。あの日は悪かった」


彼の声の調子は平坦だった。


「俺があの時梨香にしたこと、言ったこと、全部、本当に申し訳なかった。フェロモンに呑まれてしまったんだ。だからあれは俺の本意から来る行動じゃなかった。ごめん」


冬を過ぎて、春の兆しが見え始める時期だ。温かな木漏れ日が時々地面を照らすような、今日はそんな日だった。だけど梨香の目の前にいるレオンは酷く冷たく見えた。冴え冴えとした、とても涼しい眼差しを梨香に向けている。

……そうか。

レオンの「ごめん」は、そういう意味だったんだね。

梨香は小さく喉を震わせ、そして頷いた。


「私こそ、……ごめんね。ちゃんと自分のフェロモンを抑制できなかった。あの日は私もずっと変だったから、レオンが本意じゃない行動を取ってしまったってこと、分かるよ。分かったから……あの時のことは気にしないで。むしろ巻き込んでしまってごめんなさい」


梨香は足元に視線を落とす。

女性の、あの面接官の言葉が思い出された。

「あなたは本当に、自分自身の性をちゃんと扱えますか?」

……扱えていない。扱えていないどころか周りを煩わせた。私は本当、だめだなぁ。


「……私、もっとちゃんと気をつけていれば良かったね。もっとしっかりしていれば、レオンに迷惑をかけずにすんだのに」


恥ずかしかった。

フェロモンに振り回されたことも、「きみは俺のΩだ」とレオンに言われたことに対して、今の今までほのかな期待を寄せてしまっていたことも、何よりΩである自分自身のことが、とても、……とても。

恥ずかしい、梨香がそう思うより先に「梨香」と、レオンに制された。

顔を上げると、彼は真っ直ぐと梨香を見つめていて、そして静かに頭を横に振った。

「きみは自分のことを恥ずかしいと思わなくていい」

また、そう言われた気がした。そのとたん梨香はどうしようもなく心のうちから想いが溢れてきて、くしゃりと泣き笑いのような笑顔を浮かべた。


「……私、レオンのことが、好きだよ」


気がつけば、器にいっぱいになった気持ちが口から溢れていた。


「この気持ちは、フェロモンに振り回されて生まれたものじゃないの。私はずっと前から、レオンのことが好きなの」


今ここでレオンに想いを伝える必要はないのかもしれなかった。だけどもう、気持ちを有耶無耶にしたまま彼と接することは難しいと梨香は思ったのだった。

口を突いて出たような告白だったから、不思議と梨香の心は穏やかだった。むしろ初めて言葉にしたことで、好きという感情が彼女の身体の隅々まで染み渡っていくようだ。

だけど、梨香に相対するレオンは息を止めた。驚きに目を大きくさせた後に視線を彷徨わせて……結局は、寂しそうにその青い瞳を瞬かせた。

「ありがとう」とレオンは言った。


「ありがとう、梨香。だけど、……俺は、その気持ちには応えられない。いま、色んなことの心の整理をしているところなんだ。だから、それに頭がいっぱいで他のことを考えられない」

「……うん。分かってた。ただ私の気持ちをレオンに伝えたかった、それだけなの」


梨香はわずかに視線を斜め下に逃したあと、レオンから貰ったお土産を掲げて下手くそに微笑んだ。


「応えてくれてありがとう。それからお土産も、ありがとうね。大切に食べる」

「……あぁ」

「大掃除がもうすぐ始まりそうだね。私は女子更衣室の掃除をしなくちゃいけないからもう行くけど、レオンも行く?」

「いや」

「うん。じゃあ私、先に行ってる」


レオンは頷いた。

梨香は彼に背を向けて歩き出す。

泣いちゃダメ、と己を叱咤した。

梨香の「好き」を伝えたところでレオンからどんな応えが返って来るかなんて分かっていた。レオンには冷たくされなかった。ちゃんと誠実に、真摯に対応してもらえた。

それでいいじゃない。

なのに背中を向けたとたんに梨香が泣き出したら、レオンに罪悪感を抱かせちゃう。

ちょうどチャイムが鳴った。校内のざわめきが増す。それに背中を押されるように、梨香は足早で裏庭から校舎内に入った。レオンから貰ったお土産を教室に置きに行く時間はないようだったから、そのまま更衣室へ向かうことにした。


明日から春休みでよかった、と梨香は思う。

少なくとも今日を乗り越えたら、レオンとは四月まで学校で顔を突き合わせることはなくなる。春休み中にアリシアと遊んでも、彼はその場に来ないかもしれない。

……そう思うと、レオンとあぁして普通に喋れたのはさっきの告白で最後だったのかもしれない。

更衣室に向かう梨香の足どりはいつの間にか駆け足になっていた。

廊下の角を曲がる。そこにおさげ髪の少女の姿を見つけて、梨香はたまらず彼女の名前を呼んだ。


「……アリシアっ!」

「ん?梨香?……えっ、何、なになになにっ?」


振り返るのと同時に梨香に抱きつかれて、アリシアは目を白黒させた。訳がわからないまま梨香の体を抱き止める。梨香はぎゅうと、そんな彼女の肩口に頬を寄せた。

……さっきまで何故か夢心地だったけど、なんだかだんだんと現実が戻ってきたのだ。


「あのね。……あのね、アリシア! 聞いて欲しいことが、あるの」

「えっ、うん? なになに」

「私、今さっきレオンに告白してきた」

「はぁ、なるほど告白ね……、って、ぇええっ?! 梨香が? レオンにっ? 告白っ??!」

「そう。それでフラれちゃったの」

「えぇ。えぇええぇええっ??!!」


仰天のあまりアリシアが身を引こうとしたから、離さないで、と梨香はより強く彼女に抱きついた。


「勢いで何故か言っちゃった! 自分でもよく分からない。レオンとはもう、一緒に遊んだりできないかもしれない。だけどアリシアは、私とずっと友達でいてね」

「いやずっと友達だけど! 絶対私はずっとずっと梨香の友達だけど……、れ、レオン〜っ??!」


アリシアは驚愕に声を荒げつつも離れていかなかったから梨香はホッと安心した。

更衣室の掃除を担当する他の女子生徒たちもやってきたから、とりあえず梨香は失恋の傷心に蓋をする。今は見ないふりをすることに決めたのだ。

だから家に帰って1人になったら、静かに泣こう。


□■□■□


高校二年生として学校で過ごす最後の日が今日、終わった。

梨香がレオンに告白し、そして玉砕したことを突然聞かされたアリシアは震撼した。更衣室の掃除をしながら梨香からかいつまんで話を聞いたけれど、いまだその衝撃を嚥下できない。

大掃除を終え、HRが終わると梨香はそそくさと帰ってしまったので、彼女とはそれ以上の話はできず、今アリシアはレオンと共に帰りの電車に揺られている。


レオンは大荷物を持っていた。突然イギリスに帰ってしまったから、彼は日を分けて学校に置いてある教材を家に持ち帰ることができなかったのだ。ゆえに今日、どっさりと両手に荷物を抱えて家に帰るハメになっている。

ちなみにアリシアはレオンの教科書を数冊持たされていた(いつの間にか手伝うことになっていたのだ。納得がいかない)。

彼女は、涼しい顔で車窓から外の景色を眺めるレオンをじっと見つめる。いつ話題を切り出そうかと悩んでいたが、アリシアはとうとう覚悟を決めた。


「私、梨香が今日、レオンに告白したって聞いたよ」

「ふーん、そう」


レオンに動揺はなかった。ただ面白くもなさそうに外を眺め続けている。

アリシアは少し眉を下げた。


「……レオン、どうして?」

「どうしてって、何が」

「どうして梨香を受け入れないの?」

「はあ。逆にどうして俺がきみに個人的なことを説明しなきゃいけないのかな」

「……あのねレオン。レティ―シャさんは、もういないんだよ」


レオンがス、と触れれば切れそうな鋭い眼差しをアリシアに向けた。それを受けたアリシアは浅い呼吸を一つ零したけれど身を引かなかった。


「前にも言ったけど今のレオンはめちゃくちゃだよ。……いつまでレティ―シャさんのことを引きずるつもりなの?」

「余計なお世話だ、アリシア」

「でも……」

「運命に出会ったこともなく、さらにはそれを喪ったこともないきみに、俺の気持ちなんて分からない」

「……うん。だけどね、レオン。今のレオンをレティ―シャさんが見たら、何て言うかな」

「もう一度言おう、アリシア。余計なお世話だ」


レオンとアリシアは睨み合った。彼らの間を冷たい空気が走る。二人はそうしてしばらく剣呑な様子であったが、意外にも先に視線を逸らしたのはレオンだった。

電車がゆるやかに減速を始める。駅のホームに到着するのだ。

レオンが言い捨てるように言った。


「……今、俺には余裕がない」

「……」

「これ以上煩わしいことは考えたくない」

「梨香のことは、煩わしいことなの?」

「……」

「これからレオンは、梨香にどんな風に接していくつもりなの」

「さぁ? 考えていなかったな、別にどうでもいいから」


レオンの言い草にアリシアは違和感を覚えた。だから口を開きかけた、その時、目の前の扉が開いた。一人の青年が車内に乗り込んでくる。


「悠馬! 俺、なんとかなりそうだよ!」


律樹だった。

彼は車外に立つ友人に向かって、手にした荷物を見せる。それははち切れそうなほどパンパンに教科書類が詰められた紙袋だった。

悠馬、と呼ばれた律樹の友達が渋面を作った。


「本当に大丈夫か? 袋は破けるんじゃないか? 僕にはそれが限界に見えるのだが」

「大丈夫、大丈夫! ……あっ!」

「あぁっ!」


ビリリッ!と音をたてて律樹の紙袋が破れた。バサバサと派手な音を立てて教材が床にぶち撒かれる。

「ほら見ろ、バカ!」と悠馬が目を三角にして駆け寄ろうとしたが、それを防ぐように無常にも電車の扉が閉まった。「律樹ー!」。悠馬を車外に残し、ゆっくりと電車が動き出す。教科書をかき集めていた律樹がハッとそれに気づいて扉にへばりついた。


「俺、大丈夫だから! なんとかするから心配しないで。また明日部活で、ばいばい悠馬!」


悠馬に大手を振ったあと、律樹は「お騒がせしてすみません! すぐ片付けます」と乗客に元気に謝った。それから慌てて床に散らばった教材を手繰り寄せる。しかしながらその量、律樹一人の手には余るように見えるのだが。

レオンとアリシアはしばし呆然とそれを見ていたが、足元に数学Ⅱの教科書が滑ってきていたことに気づいたレオンがそれを拾う。


「……あのさ。きみ、何してるんだよ」

「あはは、すみません……、って、あ。レオンだ」


春藤はレオンに、そしてその隣にいるアリシアに気づいた。ペカーッと無邪気に笑う。


「アリシアもいたんだ。久しぶり!」


次回は水曜日の17時に投稿します!

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