15.友人
保健室のベッドで横になっているだけのつもりだったが、梨香は眠っていたらしい。三時間目の授業が終わる前に彼女は先生に起こされた。
梨香の様子を見て先生は問うた。
「春藤さん、調子はどう?」
「寝れたので、だいぶん良さそうです」
「うん、顔色も戻ってるわね。それならどうしようか、保健室で休めるのは基本的に一時間だけなの。あとは早退するか、授業に戻るかなんだけど……」
「私、授業に戻ります」
そうして梨香は、保健室利用の確認カードを先生からもらって保健室を出た。
四時間目の授業は美術だった。
梨香は保健の先生にもらったカードを職員室に提出しに行っていたから、美術の授業で使う画材を教室へ取りに行った時には、既にレオンとアリシアの姿は無かった。
時間に余裕はあるけれど、急ぎ足で美術室がある別棟へ向かおうとする。けれどその際、梨香は三人の女子生徒に声をかけられた。顔は知っている、ぐらいの他クラスの子達だった。
「ガーディナー君のことで、話したいことがあるんだけど」
梨香はふと、最近自身の靴が隠されたり、靴の中に画鋲が入っていたりすることと、この子達には関係があるんじゃないかと思った。
真っ直ぐな髪が綺麗な女の子が言った。
「春藤さんさ、Ωだからって色目を使ってないかな。友達ですってフリしてαの子たちに擦り寄っているのを見るの、すごく不愉快なんだ」
やはり、その話になるのか。梨香は思わず視線を下に落とした。それに〝友達のフリ〟という言葉は、今の梨香には効く。
梨香が怖気付いたのを見て、その子は言葉を続けた。
「ガーディナー君やモーガンさんだけじゃなくて、最近は昴君にも良い顔してるよね。恥ずかしくないの?」
「えっ、昴君?」
梨香は目を見開いて彼女らを見返した。
確かに昴とは美術で一緒になっている。だけどそれ以外の交流はない。それなのにまさかここで昴が出てくるとは。
と、ちょうどその時、梨香たちから少し離れたところにある渡り廊下を、噂の昴が歩いているのを梨香は見た。そして彼女は昴とかっちり目があった。
梨香の様子を見て、昴は何かを感じ取ったらしい。首を傾げて少女たちの様子を観察し、「あ、なるほど!」というように一度大きく頷くと、梨香に向かってグッと親指を立てた。それから彼は駆けて行った。
えぇっ?! と梨香は仰天する。助けてくれとは言わないが……いや、助けてくれるととても嬉しい状況だけど、まさか走って行っちゃうなんて。親指を立てた意味は「頑張れ」という応援だろうか。
梨香の注意が逸れたからか、女子生徒の責める声が強まった。
「ねぇ、無視するのやめてくれる? Ωだから、近くにいればガーディナー君に好きになってもらえると思ってるんでしょう」
違うよ、と梨香は思った。私はΩだからこそ、レオンには好きになって貰えないんだよ。
梨香は改めて女の子たちに向き合った。
「無視はしてないよ。貴方達がレオンと親しい私のことが嫌いだということは分かった。特に私がΩだから、αのレオンやアリシアや昴君に何かをしてるんじゃないかって、不安に思うんだよね」
梨香は彼女たちの心を傷つけるような言葉を使わないように気をつけながら言った。
「でもね、私はΩだからって、アリシア達に特別何かをしてるわけじゃないよ。アリシア達も、私がΩだから友達でいてくれてる訳じゃない。だから貴方たちにそう言われても困る。私のことが嫌いだということは分かるけど、強い言葉でそうやって責められると私は傷つく。だから、こんなことはやめて欲しい」
今までだってΩのことで友人間でトラブルになったことがある。だから梨香は処世術を知っていた。
強い口調ではないがキッパリと梨香に言い返されて、女子生徒たちはたじろいだ。
梨香は教材を抱え直す。
「もうこの話はやめにしよう。授業も始まるよ。だから私は行くね」
梨香はそのまま身を翻そうとした。だけど1人の少女に肩を掴まれ、バランスを崩す。
「待ってよ。話はまだ終わってな……」
「やめろ」
その時、突然投げ込まれた地を這うような低い声音に場が制された。怒りを内包したそれに、梨香を含む少女たちがビクリと身をすくめる。
レオンがいた。彼はこちらに歩いて来ながら、梨香の肩を掴む少女を睨む。圧倒的な強者を前にして、βである彼女は震えながら身をひいた。
完全に怯えた様子の女子生徒らを見回してレオンがクッと顔を歪ませて嗤う。
それを見た瞬間、あぁそれは駄目だよ、レオン。と梨香は思う。
彼は口を開いた。
「お前たちさ、そういう行為が一番軽蔑される行いだってこと、分かってる? 俺の知らない所で、俺の周りにいる人間に牽制を仕掛けるの、愉しいかい? そいつは羨ましいなぁ」
ビリビリと痺れるような威圧を受けて、彼女たちは既に逃げ腰であった。その顔も真っ青だったけれど、レオンはここで完膚なきまでに叩き潰すことに決めたらしい。
「お前たちの顔は覚えた。だからもう今後は下手な行動に出ない方がいい。何かをする度に俺の嫌悪感が募っていくだけだろうから。……まぁ既に、十分気持ち悪いって思っているけどね? じゃ、さようなら。俺の目が届かないところへ帰ってくれ」
それきりレオンは少女たちに目を向けてもやらなかった。梨香の手を引いて歩き始める。「まず確認したいんだけど」とレオンは言った。
「俺の知らないところで、今までもこういう事はあった?」
梨香は頭を振った。
「今回が、初めて」
靴を隠されるといった事柄はレオンには黙っておこうと思った。梨香の返答を聞いて彼は目を細めたから、どこまで隠し通せるかは分からないけれど。
「そう。……で、体調は? 休んでなくて大丈夫なのか」
「だいぶマシになったよ。……保健室で休めるのは基本的に1時間だけなんだって。もしそれでも体調が良くならないなら早退になるらしいんだけど、私、そこまでじゃなかったから」
「この学校の保健室利用って、そんなルールがあるのか」
レオンは納得ができなさそうに眉をしかめた。
梨香はレオンの掌に包まれた自分の手を見る。熱い……でも、同時に冷たい。
「レオン、さっきは助けてくれてありがとう。嬉しかったよ。……でもね、少し、言葉がキツすぎたと思う」
「俺はそうは思わない。あぁいう輩はハッキリ言わないと伝わらない」
「その通梨香もしれない。ただね……、私、あの子たちと何も変わらない」
彼女達はレオンが好きなのだろう。その「好き」をレオン自身にあんな風にへし折られて、拒絶されてしまうなんて。
「私を助けてくれるためにレオンがあんな風に言ってくれたことは分かってる。だけど……」
梨香だって彼女たちと同じようにレオンが「好き」なのだ。そしてレオンもそれを知っている。
「私はレオンとは、友人でいられないかもしれない」
「……そう」
チャイムが鳴った。
急ぎ足の二人は、そのまま顔を見合わせることなく美術室へ入った。
次回は土曜日の12時頃に投稿します!よろしくお願いします