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13.知られる気持ち

体操服は男女とも同じデザインだったから、レオンのものを梨香が着ても違和感はない。先生の目にも留まらなかったようで、何も言われなくて助かった。

ただ、梨香は準備体操をしている時から顔を赤くしていた。だって今、彼女はレオンの服を着ている。彼のトレーナーは梨香には大きかった。腕まくりをして調整しても、肩線がどうしても二の腕あたりに来てしまう。それを感じる度に、レオンは細身に見えるけれど男の子で、やっぱり自分よりも体が大きいんだなぁと実感した。

また、梨香が寒そうであったから、自身も寒いだろうにトレーナーを貸してくれたレオンの優しさが分かってしまう。

そして何より……体操着から香るレオンのαの匂いに梨香はクラクラと酩酊しつつあった。梨香は今、好きな人の香りに包まれている。木々と果実の香りがするαの匂いに覆われている。まるでそれがレオン自身に守られているように感じて……、それがあまりにも幸せで、梨香はうっとりとしてしまった。


その間も体育の授業は淡々と進み、梨香は同クラスの女子生徒と二人一組になってレシーブの練習をした。その後は体育の先生のもとにチーム分けがなされ、簡単なゲームを行うことになった。

最初の試合では見学をすることになったので、梨香が三角座りになってぼんやりとしていると、アリシアが側に来て彼女の袖を引いた。


「梨香、こっち来て」

「? ……どうしたの?」


手を引かれるまま梨香は他の生徒たちから離れた。体育館の隅に寄ったアリシアが心配そうに梨香を覗き込んできた。


「梨香、大丈夫?」

「なにが?」

「あのね……、言いにくいんだけど、フェロモンが」

「ふぇろもん?」

「あ、分からないか……。そうだよね。うーん、レオン、私の匂いだったら、ギリギリ怒らないかな」

「アリシア?」

「うん。ちょっとごめんね、梨香」

「?」

「すぐ終わるよ」


首を傾げた梨香の肩口にアリシアが頬を預けた。その一瞬の触れ合いで、梨香はレオンとは別のαの香りに包まれる。

木々と果実の匂いが遠のいて、夢心地だった頭の中がシャッキリとした。正気に戻った梨香は目を瞬いた。


「あれ……? なんだか私、ぼんやりしてた?」

「うん。してた」

「もしかして私……フェロモン、出ちゃってた?」

「少しだけ」

「嘘っ」


梨香は顔を赤くして、慌ててアリシアから離れる。


「ご、ごめんねアリシア。抑制剤は毎日ちゃんと飲んでるんだけど。どうしたんだろう」

「大丈夫だよ。今ここにいるのはβの子たちだけだし、梨香のフェロモンもちょっとしか出てないよ。レオンの服に当てられただけじゃないかな」


「そう、かな」とアリシアの言葉に頷きかけた梨香はしかし、ちょっと待ってと心臓を冷やした。

レオンのαの香りに梨香が当てられたことが分かっているということは……、梨香がレオンに恋心を抱いていることを、アリシアは気づいていたりするのだろうか。

バレーボールの試合がちょうど終わった。次は梨香たちのグループが対戦することになる。アリシアは先に行ってしまったから、梨香は彼女にそれを確認する事ができなかった。



体育の授業後、更衣室へ向かっている途中で梨香は担任の先生に呼び止められた。いわく、国際協力機構のワークショップが近日開かれるらしくて、先生は梨香のためにその要項を手に入れてくれたらしい。要項を渡したいと言われたから、梨香は素早く制服に着替えて、職員室へ取りに向かった。

だけど先生は居なかった。入れ違いになっちゃったのかなと思い、梨香は職員室の前で先生を待つことにした。


その間は何もすることがないから、梨香は手の内にあるレオンの服を丁寧にたたみ直すことにした。体育の授業は今週はもうないし、ちゃんと洗濯をしてから彼に返そう。だから……、だからもう少し服を借りていてもいいはずだ。

トレーナーをそっと右手で撫でた梨香はまた、クラクラと頭の中が熱くなるのを感じた。そして思う、先週から続くこの体調の不調は、もしかしたら梨香のΩ性に関係があるのかもしれない。

小学生のときからずっと同じ抑制剤を使ってきたけれど、先程体育の授業でアリシアに梨香のフェロモンを感じ取られてしまった事を鑑みるに、どうもちゃんと抑えられていない。思春期に抑制剤を変える人もいると聞いたことがあるから、一度自分も病院に受診した方が良いかもしれない。

面接官の女の人の「貴方は、自身の性のこともちゃんと扱えないのに、他人の、それも他国の人たちに支援の手を差し伸べられると、本気で思っているんですか?」という言葉が思い出される。あれは梨香の心を傷つけた。だけど、真理もついているとも思うのだ。Ωであるからこそ、梨香自身もちゃんと気をつけないといけない。

梨香の中の冷静な部分はそう考えていた。しかしその一方で、彼女の恋心はずっとレオンのことを想っていた。


レオンに優しくされたことが嬉しい。意地悪を言われるのも構わない。

だけど、同時に切ない。

だってどれだけレオンを想っても彼は手に入らない。……だからせめて、今だけは彼の香りを腕の中で感じていたい。

熱に浮かされていた。木々と果実の香りに満たされている心地がした。だから梨香はトレーナーを持ち直してギュッとそれを抱きしめる。

……レオン、レオン。彼のあの綺麗な髪に触れることができたら、どんなに嬉しいことだろう。その肩は? その手は? ちょっとだけでいい、触れることを許してもらえたら、……ううん、許してもらえなくたっていい。傍にいられなくても構わない。今みたいに、彼のものをそばに感じられるだけで。それだけで、私は……。

梨香はその時幸せだったから、……レオンの香りで心が満たされた気になっていたから、気づくのが遅れた。

レオンが廊下の向こうからやって来ていたことに。彼は男子更衣室の鍵を手に持ち、職員室に返しに来るところだった。そして梨香を見て、彼は立ち尽くした。

レオンが言葉もなく呆然と立ち止まっていることに気がついて、……その時浮かんでいた彼の表情を見てしまって、梨香はようやく夢心地から目覚めた。


「……レオン?」


一瞬幻かと思った。でも、レオンは実際にそこに立っている。

梨香は彼のトレーナーを抱きしめていたが、それが傍目からどう見えるのかを悟った瞬間、痺れるような冷たさに頭のてっぺんから足の先まで貫かれる心地がした。


「……」


レオンに、見られた。

そう思うと息ができなくなって、顔色を無くす。だけど意外にも、そんな彼女に対してレオンは何も言わなかった。むしろ彼は梨香から視線を逸らした。そしてそのまま声もかけずに鍵を持って職員室へ入ってしまう。

梨香はしばらく床に縫い留められたように動けず震えていたが、突然ハッと我にかえり、レオンが職員室から出てくる前にそこから逃げ出した。

「どうしよう!」と階段を駆け降りながら梨香は心の中で悲鳴を上げた。


どうしよう、どうしよう、どうしよう。見られた。見られてしまった。自分のあの姿は、彼が求める〝友人〟の姿じゃない!


担任の先生が下の階から上がってくるのが見えた。先生を待つために職員室にいたのに、梨香は踵を返して彼からも逃げた。

だって泣きそうになっている今の自分の顔なんて、誰にも見せることができない。

レオンは聡い人だからきっと気づいた、と梨香は思う。梨香の想いを知られてしまった。その恋心を気づかれてしまった。だからまた彼に言われてしまう。あの冷たい瞳で『運命の番以外はもう誰も要らない』と、……梨香の恋心など要らないと、その想いは迷惑なだけだと、きっと言われてしまう……!


「どうしよう……」


レオンがいる職員室から十分に離れたところで立ち止まり、梨香は途方にくれた。両手で顔を覆う。

どうしてあんな行動を取ってしまったんだろう。どうして気を抜いてしまったのか。せめて〝友人〟でいようと思ったのに。そうすれば傍にいることだけは許してもらえると分かっていたのに。


レオンに気持ちを知られてしまったから、もう元に戻れない。きっと私はレオンに拒絶されてしまうだろう。


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