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10.テスト日 1



定期テスト1日目の朝。

レオンと勝負をしているんだ、とアリシアが言った。


「数学二教科と理科二教科、それから副教科を含む全教科の合計点がどっちが高いかを競うんだ」


レオンは地理の教科書を片手に持って麗しく微笑んだ。


「まぁ、ボロい勝負だよね。アリシアが負け面を引っさげて俺にメロンオレを進呈する日が待ち遠しいよ」

「そっくりそのままその言葉をレオンに返すから。あー、楽しみだなぁ。アリシア様、本日の紅茶で御座いますって言って跪くレオンの姿を見るの」

「跪く約束なんてしたっけ?」


どうやらこの勝負、点数が低かった方が一週間飲み物を奢ることになるらしい。ただ、お遊びにしては二人の目は真剣マジだったし、場外ですでに煽り合戦が始まっていた。

しかしながら弁舌でレオンに勝てるはずがない。言い負かされたアリシアが悔しそうに地団駄を踏んだ。


「レオン、本っ当に腹立つなぁ! ……そうだ、梨香も勝負に参加しようよ。文系科目でレオンと点数を競うの」


梨香は日本史の教科書から顔をあげた。


「え? だけど、レオンは理系だよ? 文系科目で勝負するのはダメじゃないかな」

「俺は別に構わないよ。文系科目なんて、所詮暗記ものだし」


レオンの発言に梨香はちょっとカチンときた。確かに文系のテストの大半は暗記ものだけども!


「……勝負する。悪いけど私、レオンが理系でも手を抜かないよ」

「もちろん。全力でやってもらわないと面白くない。負けた方が、三日間ご飯奢りね」

「……アリシアとの勝負より景品が豪華じゃないかな?」

「当たり前だろう? きみの得意分野で競うんだから、それなりに旨みがないと。……あ、現代文のテストは勝負の対象外ね」

「暗記科目じゃないから逃げた」

「レオン、さすが汚い」


敵の敵は味方。梨香とアリシアが一緒になってコソコソ話すと、レオンが美麗な顔を悲しげに歪ませた。


「ああ、僕はこれでも梨香のためを思って言っているのに。本当に残念だよ。文系科目といえば英語があるよね。現代文と英語は勝負をしないでおこうと思ったけれど、英語も勝負科目に入れようかな」

「私は日本人だし、レオンはイギリス人だもんね。うん! 現代文と英語のテストは対象外にしよっか」

「古典で叩きのめしちゃえ! 頑張れ梨香!」


と、いうわけで三人の闘志に火がついた。三人とも根が真面目なので副教科さえ手を抜かない。チャイムが鳴った。テスト用紙を配布するために、先生が教科書類を仕舞うよう指示を出すギリギリまで全員が教科書と睨めっこをした。初日の試験科目は地理/日本史、情報、数学IIだ。


勢いでレオンと勝負をすることになったけれど、実のところ梨香は、文系分野でレオンが彼女と競うことは不利だろうな、と同情していた。己の成績に関わることだから真剣に試験には取り組むけれど、レオンがちょっと可哀想だと思っていたのだ。

けれど試験終了後、三人で集まって自己採点をした結果、レオンは三教科ともかなりの高得点を叩き出したことが分かった。梨香は戦慄した。これは文系として、古典や社会科をレオンに教えた身として、……十七年間日本人として生きてきた者として、絶対に負けてはいけない勝負ではないか?!


ゆえに帰宅後、夕食を食べ終わるや否や梨香は家族にこう宣言した。


「ごちそう様でした。私、さっそくテスト勉強してくるね!」


テレビを見ながらダラダラとエビフライを食べていた律樹がびっくりした顔で振り返る。


「えっ。梨香、もう勉強するの?」

「レオンたちとどっちがテストで点数を採れるか勝負をしてるの。負けられない戦いがここにあるんだ!」

「わー、凄いな。俺、毎回友達とどっちが点数が低いか勝負をしてるのに」


律樹は母親に怒られていた。

梨香は猛然と二階へ上がり、さっそく勉強に取梨香かった。そして夜も更けて、勉強に一区切りついた彼女はレオンやアリシアと連絡を取り合ってみる。彼らもまだ勉強をしているらしい。

私ももう一踏ん張り頑張ろう、と梨香が姿勢を正した時、ドアをノックされた。

律樹だった。彼は教科書類を持って梨香の部屋にやってきた。


「一緒に勉強していい?やる気がある人と勉強したら集中できる気がするんだよね。……それともし俺が寝てたら、起こして」


へへっ、と律樹が笑う。憎めないところが彼の人徳だった。梨香も一緒に取り組める相手がいるのは嬉しいので、二人は仲良くテスト勉強に励んだ。


□■□


今日のテストは自信がある。意気揚々と登校した梨香はしかし、下足室で出鼻を挫かれた。

下駄箱を開けると梨香の上靴が無かったのだ。昨日の下校時には、確かにそこにあったのに。仕方なく梨香は、現在使われていない予備の下駄箱を順々に調べていった。すると一番隅の、最下段に梨香の上靴が隠されていた。

最近、こういった小さな嫌がらせを受けることが多い。そして彼女は、何故それを自分がされるのかなんとなく察しがついていた。


「梨香、おはよう」


後ろから声をかけられて、上靴を持ち上げていた梨香はビクッとなった。登校してきたレオンがそこにいたのだ。上靴の中に何も入っていない事をすばやく確認した梨香は(例えば画鋲とか)、それを履いてレオンに笑いかけた。


「おはよう、レオン」


梨香の顔をじぃ、とレオンが見つめる。


「えっと……どうしたの?」

「それは俺のセリフだ。何かあった?」


梨香は少し黙った。

梨香が嫌がらせを受ける理由は、きっとレオンに起因する。

今でも、レオンは立っているだけで登校してくる生徒たちの視線を集めていた。以前昴が言ったように、彼はいつの間にかこの学校の王子様になっていたのだ。なのに傍にいるのが梨香みたいな凡庸なΩの娘だから、それが嫌だ、と思う人がいるのだと思う。

……だけど。レオンや他の人に言われずとも、己が役不足である事は梨香が一番理解している。彼女は前髪を手で整えて、また笑ってみせた。


「ちょっと頭が痛い、かも? 昨日の夜、勉強のために少し夜更かししちゃったの」

「はあ? 何時に寝たわけ?」

「1時過ぎには布団に入ったと思うんだけど」

「やめろよ。きみ、いつもは寝るのが早いだろう。なのに夜遅いって……」

「だってテストの点数でレオンに勝ちたいんだもん」

「……。勝ちたいんだもん、とか。きみさぁ」


レオンが梨香から視線を逸らして、己の下駄箱を開けた。


「何?」

「……いやー、ぶりっ子だなあって」

「ぶ、ぶりっ子じゃないよっ」

「じゃあ可愛こぶってる」

「違うもん!」

「あはははっ」


笑いながら、レオンは上履きに履き替えた。それからややあって再び梨香を振り返るとニヤッと意地悪く笑った。


「テストで俺に勝ちたいんだ?」

「……うん」

「どうして?」

「だって……レオンはイギリス人で、私は日本人でしょ。それなのに日本語のテストで負けちゃったら……、私は今後、勝負事でレオンに勝てない気がする」

「ふぅん」


レオンの機嫌は、今すぐにでも鼻唄を歌い出しそうなほど良かった。


「俄然やる気が湧いてきたなァ。きみの悔しがる顔を見るの、楽しみだ」


圧倒的に梨香が有利な勝負のはずなのに、レオンを見ていると不安になってきた。これがαの放つオーラというものなのだろうか?


「レオンの意地悪……。あのね、手加減してくれても、いいよ?」


梨香を見返して、彼はふふっ、と王子様のように笑い、言った。


「仮に明日世界が白紙化すると言われても、絶対に手加減なんてするもんか」


上機嫌な様子でレオンは歩いて行く。一瞬呆気にとられていた梨香は、その後胸がドキドキして、ふわふわして、たまらない気持ちになりながらも、彼の背を追いかけた。



試験二日目に実施された科目は英語、物理/生物、芸術選択だった。それらを無事終えて、彼女たちはレオンの家へ場所を移した。

いつものように勉強を始める前に、分かる範囲で自己採点をしてみる。梨香の英語は今まで受けたテストの中でも高得点が出せそうであったが、(当然ながら)レオンとアリシアの方が点数が高そうだ(英語を勝負の対象科目から退けていて本当に良かった)。

レオンとアリシアの物理の点数は拮抗しているらしく、お互いの回答を見せ合っては「絶対きみのここの回答は間違っている」「ううん、レオンが違う」「いや、教科書を見てみろ。ほら、俺の回答が正解だ!」「でもレオンだってここは間違ってるからね!」と叫びあっていた。

その間梨香は古典の単語帳に改めて向き合っている。明日、いよいよ古典のテストがある。レオンには絶対に勝ちたい教科だ。とはいっても、テスト範囲の単語を梨香は全て覚えているし、主要な文章の品詞分解も全部分かるし、そもそも出題される「宇治拾遺物語」の中身や現代語訳は全て頭の中に入っている。あとは本番のテストで、いかにケアレスミスを無くすか、問題文を読み間違えないか、に勝負がかかっていると思う。


古典のテスト範囲を一通り見返した梨香は次に、同じく明日試験を控えている世界史の勉強に取り掛かろうとした。世界史はいつも最後に一問だけ記述式問題が出題される。その問題はなんと七点も配点されているから、絶対に間違えたくない。

そうして三人で黙って勉強をしていると、ふいにレオンの携帯電話が振動した。彼は古典の教科書を静かに置いて、その画面を見ると、ややあって立ち上がった。


「少し電話してくる」


何故かその時、梨香は電話の内容がレティ―シャに関わるものだ、と直感的に感じた。その瞬間心臓がドッと大きな音を立てて、静かになってくれない。何の根拠もないのに、何故梨香はそう思ったのだろうか? ……分からない。それに、レティ―シャに関連する事って何だろう。


だってもう彼女は亡くなっているのに。


そこまで考えて、梨香は背筋が冷たくなった。「レオンの運命の番」を「過去のもの」にしたがっている自分に気がついてしまったからだ。

それは、……それはあまりにも身勝手ではないか?

世界史の教科書を読み込もうとするのに、目が滑って頭に入ってこない。何度試してもダメなので彼女は諦めてそれを閉じた。代わりに化学の問題集を開いて、計算問題を解き始める。

無心になるために何度もテスト範囲内の問題を解く。するとある時、視界の端に手のひらが現れて、ひらひらとそれが揺れた。梨香は顔を上げる。いつの間にかレオンが戻ってきていて、テーブルに頬杖をついてこちらを見ていた。


「もう帰る時間だ。七時前だよ」

「えっ……?」


部屋の壁時計を見る。確かにその時刻を指していた。アリシアも帰る準備を始めている。


「凄い集中力だったね、梨香」

「……うん。自分でも少しびっくりしてる」


レオンは梨香の手元のものを見た。


「ふーん。古典や世界史を勉強してたんじゃないんだ」

「え? うん……」

「俺に勝つために文系科目を頑張るんじゃなかったんだ?」


レオンの拗ねたような声音を聞いて、梨香は詰めていた息を吐いた。思わず笑ってしまう。


「文系科目の勉強は家でしようと思ってるんだよ」

「そう?」

「うん。それに私、古典はレオンに勝てると思う」


レオンは梨香を見た。それからニヤリ、といつもの笑みを口元に浮かべる。


「いいね。そう来なくっちゃ面白くない」


その後は普段通りレオンとアリシアが梨香の最寄りのバス停まで送ってくれた。

家に帰った後、梨香は夕食を食べるとすぐに二階へ上がって、世界史のテスト範囲を見返した。ややあって律樹が部屋を訪ねてくる。


「梨香。今日も一緒に勉強しよー」


梨香は椅子に座ったまま兄を振り返った。


「うん。だけど私、今から面接の練習をするつもりなんだ。声を出すけど、お兄ちゃんは大丈夫?」

「面接の練習? ……あぁ、ボランティア活動の!」

「そうなの。明日が本番なんだ」

「頑張れ、梨香! それと俺は、音楽聴きながら勉強してるから、声出されても全然平気。逆に梨香こそ俺がいるの迷惑じゃない?」

「迷惑じゃないよ」

「やった!じゃ、ここで勉強しよ」


律樹が卓上机に授業プリントを広げ始めた。

それを見守ったあと、梨香は志望理由などが書かれた志願用紙のコピーを机に置いた。すらすらとその内容を口にできるように練習をする。

するとレオンからLINEがきた。「今日は夜更かしするなよ」という短い文章が送られていた。


「……」


たったそれだけなのに、思考が乱されて仕方がない。

どう返信すればいいのだろうと梨香は顔を赤くして、……今日、電話をするために部屋を出て行ったレオンの背中を思い出してしまった。舞い上が梨香けた心臓が少しだけ冷たくなる。


電話の相手は誰だったのだろう。結局梨香は、レオンに聞くことはできなかった。


次は土曜日の17時頃に投稿します。

よろしくお願いします。

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