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大正霊能科学奇談〜我ら、玄洋に眠る有象無象なり〜  作者: 小谷杏子
第一章 我ら、誇り高き有象無象なり
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六.不和 – discord –

 宮木梅への第一印象は、凄まじくひどい。

 それは娘とは言いがたく、老婆なのではと訝るほどだった。人間とはこんなにもカラカラに干からびてしまうのかと恐ろしくなり、おれはすぐさま逃げ出したくなった。だが、縛られている。その気になれば縄抜けくらいできるはずだったが、足は一向に動かず、全身が凍りづけにされたようだった。

 また、松本は悲壮感たっぷりに呻き、後藤はなにも言わずにいた。

 宮木梅は日野子さんに抱えられて登場した。足は枯れ枝のようであり、口の周りは泥だらけである。飢えをしのぐために土を食べていたのかもしれない。そんな彼女が、刃物を持った両親を見て悲しんでいる。


「父さん、もうやめよ? 梅は、ずっと聞いてましたよ。ずっと、ずっとね」


「うるさい! その耳、ちょん切るぞ!」


「もう、およしなさい」


 そう諌めたのは高尾氏だった。彼も穏やかながら、額には汗を浮かべており、困り眉はいまや高い山を描いていた。

 この声に、宮木はわかりやすく怯んだ。なるほど、高尾氏はこの町内の顔役でもあるらしい。


「これだけの目があれば、もう言い逃れはできんな」


 極めつけに後藤が冷たく言った。

 そして、彼は鮮やかに動き、ヤブ蚊を払うように宮木の包丁を地へ叩き落とした。自分よりも上背のある主人を掴み上げ、瞬きをしているうちに宮木は後藤の下敷きになっていた。たぶん、後藤が足を引っ掛けていたところまではしっかり見えていたのだが、そこからはなにが起きたのか判然はんぜんとしない。それは妻も同じだったようで、主人がのされてしまったとあれば、もろく膝から崩れ落ちた。

 たちまち火がついたように泣きわめく女の音には、無視を決め込んでいた近隣住民を動かせる威力がある。そんな母を見て、宮木梅は残念そうに俯くばかりだった。


 こうして、宮木梅奪還作戦はいくつかの確執を生んだものの成功した。誰がなんと言おうとも、成功にほかならん。



 ***


 ――騒動から数日。

 人間一人、助けたというのに、おれはどうにも気が重かった。


 宮木梅の親は警察に御用となり、宮木梅は後藤の家で療養しているらしい。やつの家が医者だったとは、そう聞いていたはずなのに、いまでも信じられなかった。しかし、紛れもなくあいつも医者の卵であり、おれの後頭部はあいつが縫った三針がしっかり残っている。夢ならめろと何度思ったことか。


「……いかん。気が乗らん」


 寝転がっていた自室からとうとう立ち上がる。

 すると、壁に向かって勉強に励んでいた我が家の三男坊、耕三こうぞうが無邪気に振り返った。


「ありゃ、どこ行くん?」


「ちょっとそこまで」


「悪さしたら、また母ちゃんに頭ぶちのめされるよー」


「ご忠告どうも」


 あの晩、抜き足差し足で家に帰れば、ロウソクの明かりで顔を照らしたお化けがいた。

 しかし、このお化けの正体は、髪を下ろした母である。ボロ切れみたいなおれを見て顔をしかめるなりこう言い放った。


「また悪さばしてきたっちゃね夜遊びばっかしよって。こんな遅くまでご苦労さんだこと」


 慈悲のない言い方は、なんだか後藤のそれと似ている。冷徹無情だ。おそらく息子が殴り殺されても、この母は涙ひとつ見せやしないんだろう。

 だが、どうしてか安心する。火鉢ひばちの前でぬくぬくとぬくまるような、そんなひっそりとした情を思い起こされ、鼻が水っぽくなる。

 そんなおれに構わず母は、


「はよ寝れ」


 ぴしゃんと言い放ち、寝室へ引っ込んだ。

 いつもならひねくれた言葉を返すものだが、あの強烈な時間から帰ってきたばかりだったので、口も気も頭もなにもかもが重かった。泥のように眠り、三日間も外に出なかった。

 すると次男の晴吉はるよしからは「不気味やな」と言われ、耕三からは「働きーよ、穀潰し」と言われ、四男のみのるからは「邪魔じゃま、どけ」と罵られ、末っ子の妹、つぐみからはお手玉をぶつけられて笑われる始末で踏んだり蹴ったりである。それだけなら良いが、さすがに三日も呆けていては、息を吸うのも面倒になりそうだったので気晴らしに外へ出向いた次第である。


 海まで歩けば、あの松林が見えてくる。黒松が出迎えるいき松原まつばらを横切り、海を求めて彷徨さまよい歩くこと数分。浜が現れたらそこは、一組の男女が逢引をする現場だった。砂浜に座る学生服と紅の着物。なんとまぁ初々しい背中だろう。春のひだまりに咲くタンポポみたい。

 潮吹き荒れる黒海の、しかもここは神社の真正面である。神聖なる場所で逢引とはけしからんぞ、とすぐさまよこしまな念を飛ばしていると、その横顔には見覚えがあった。

 後藤と日野子さんだった。

 なにを話しているのか、ものすごく気になる。邪念はただの野次馬と化した。耳をすませるも、波の音が邪魔くさい。


「――そっか。なら、安心やね。これにて一件落着たい!」


 おもむろに日野子さんが明るく言った。


「はぁーあ、私ね、こんなヘンテコな力を持ってて嫌だなーって思っとったとよ。でもね、今回のことで報われた気がする。こんな私でも人の役に立てるんやなって、嬉しかった」


 彼女の声は高く爛漫らんまんで、対して後藤は聞いているのかいないのか、うんともすんとも言わない。だが、会話は成り立っているらしく、日野子さんは楽しげに話す。


「だってね、ひどいっちゃけん。『お前は牛だ』の『馬だ』の、どーのこーのって。女の子にそげんこと言うなって言い返せるくらい慣れたけどね……やっぱり苦しいよ。だって、それしか取り柄がないのは自分が一番よーくわかっとるもん」


 彼女の声は変わらず明るいのだが、どこかかげりがある。それを聞くと、なんだかこちらまでさびしくなっちまうので、おれはいつ邪魔してやろうかと考えあぐねた。

 そのとき、後藤がようやくなにかを言った。


「俺たちは、他の連中と変わらん。有象無象うぞうむぞうの一部でしかない」


 呆れた……またこいつは、堅物かたぶつに言い放ちよって。

 しかし、日野子さんの横顔は向日葵ひまわりのようにぱあっとはなやいだ。


「そーね。そうやったそうやった。なんも変わらん有象無象でした」


 ふむ。凡人には計り知れない領域だ。

 才能をひけらかさず、他の凡人と同じであることを願うとは愚かなんじゃなかろうか。でも、日野子さんがコロコロとよく笑うので、まぁそれでもいいのかと勝手に落着する。


「それにしても、一色さんの言葉には惚れ惚れしちゃったなー。あのひと、悪ぶってるだけで、根はすっごく真面目よね。見栄っ張りなとこも、かわいくて面白い」


 ドキッと胸がなにかに撃たれたのは言うまでもない。鳥居に隠れて、様子をうかがう。


「ちょっと変なひとやけど、仲間に入れて大正解やったね。なんでもお見通しな祥馬さんのお目目がうらやましいわぁ。これをに、あのひとと仲良くしたらどげんね?」


「それだけはお断り」


 後藤がせせら笑った。甚だ遺憾いかんだが、どっこいおれも同感である。

 あんな冷徹無情、天上天下唯我独尊な男と仲良くするのはまっぴら御免ごめんこうむる。

 しかし、おれたちの心と裏腹に日野子さんは明るく笑い飛ばすのである。


「あははっ! なんば言いよっとー。ほんとは前からずっと気にかかってるくせにぃ。私、知ってるんですからね、何度もあのひとの奇術を見に行ってたこと!」


 日野子さんはドーンと後藤の背中を叩いた。それは軽いものに思えたが、周囲の砂を巻き起こすほどの威力があり、後藤は前のめりに吹っ飛んだ。それがあまりにも面白く、おれは思わず「ぶはっ!」と吹き出した。


 ***


 日野子さんからのえげつない一撃を食らった後藤は、全身に粉砂糖でもふりかけたように砂だらけだった。それを日野子さんが甲斐甲斐しく(細心の注意を払って)払い落とし、後藤は何食わぬ顔でハンカチを海に浸し、顔を拭った。登場したおれを見るなり、彼はまぶたを眠たそうに落として睨んでくる。なんだか寝起きの猫みたいだ。


「ひどい有様だな」


 後藤がボソボソと言う。まさか、おれに言ったのか。

 訝りつつも、おれはようやく自分の姿を確認した。

 適当に見繕った浴衣ゆかただったので、すそがほつれていた。縫い目にはほこりが溜まっており、どうもこれはしばらく洗濯していない着物だ。そんなおれを見やった彼は、自分を棚に上げて面倒そうに侮蔑を投げてよこした。

 砂まみれのおまえに言われたくはない。そっくりそのままお返しする。


「そっちこそ、泥んこまみれじゃないか。んで、なんだって? 君ってば、おれのファンだったのかい?」


「黙れ、三下」


 一刀両断。切れ味は相も変わらずであるようでなにより。やつの顔はハンカチで丁寧に拭っており綺麗サッパリ、泥ひとつないつるりとした柔肌やわはだで憎たらしい。


「あんた、あのいかがわしい商売はやめたのか」


 さざめきの間際、後藤は静かに問う。

 対し、おれは無精髭ぶしょうひげが伸びた顎をガリガリ掻いた。

 いまのおれはフーテンだから、少々小汚くても構わない。日野子さんには悪いけれど、野郎の前で気取るとロクなことがない。


「まぁ、君の目が黒いうちは商売なんざできやしませんよ。霊能者の真似事をすりゃ、ひどい仕打ちを受けるもんな」


 皮肉たっぷりに言ってやるが、なんだかそれはおれの胸にまっすぐ帰って来た。どうやら高く高く積み上げた棚の上から落ちてきたらしい。そいつはとてつもなく巨大で、おれをぺしゃんこにしてしまう。いとも簡単に。

 どうにも調子が悪いおれは、柄にもなく黙り込んだ。こういうとき、どうしてたんだっけ。

 しかし、考えてもすぐに答えは出てこない。すると、後藤が鼻で笑った。


「なにも考えずに馬鹿をやってりゃいいさ。あんたはもう不要。どこぞの道端で阿呆な〝魔法〟とやらで遊んでればいい」


 慰めはおろか、さらに追い討ちをかけてくる。この後藤の言葉に、おれはさらに落ちこみ――はしなかった。むしろ、くすぶっていた何かが火花を散らしてよみがえる。単純な苛立ちは、やがてメラメラと炎を上げて吠えた。


 この野郎、調子に乗りやがって。いつか、絶対必ずこいつの鼻を明かす。いつか。いつかな。それまで首洗って待ってろよ。


 そんな殺気を胸の奥に隠し、おれは後藤のハンカチを奪った。素早くつぼみを作った指先にかぶせる。泥にまみれた布から何かを取り出すように力を込めて引っ張ると、一輪の秋桜を捻出した。いまは、ここまでしかできない即席奇術で急場をしのぐ。

 日野子さんの「わ!」と驚いた歓声が耳をくすぐった。


「どうぞ」


 花を渡すと、彼女は大層嬉しそうにはにかむ。こういう反応がやっぱり嬉しいもんだよな。

 ちらっと後藤を見やる。彼はぼけっと黙っていた。その顔に精一杯の皮肉を投げつけた。


「君ね、女性を相手にするなら花の一輪でもスマートに渡せなきゃダメだよ」


 まぁ、格好はボロっちいからサマにはならんのだが。それでも軽口を叩いてみせると、後藤は盛大に呆れたため息を吐き出した。それはそれは入道雲と同等の巨大に重くだるい息だった。


 ***


 短い夏が去り、カラリとした秋が大股でやってくると、皆が浮き足立つのは言うまでもない。秋は実りの季節である。五穀豊穣ごこくほうじょうたまわれば、その恵みに感謝して歌え踊れのどんちゃん騒ぎ。あちこちで豊穣の祭りが行われており、この山門村も例外ではない。だが、村のお粗末な祭り(村長を筆頭に呑兵衛のんべえたちがでかいツラをするだけの宴会)に、おれは毛ほども興味はないのである。


 来たる九月十二日に向けて、おれは別の仕事をする手はずを整えた。いまこそ、放生会で行われる見世物みせものに招かれるべく一層精進するのだと意気ごみよろしく、おれは拠点を生の松原から西新にしじんに移そうと目論もくろんだ。そうして箱崎はこざきへ地道にジリジリ近づこうとしている。


 しかし、その前に一つ語らねばなるまい。

 とある夕刻の真っ赤な唐人町の片隅で、おれはなぜだか妖艶ようえん美麗びれいあまさんと、とっちり頓馬とんまなハゲ天狗から喧嘩をふっかけられていた。

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