異世界ディア
ゆっくりと、慎重に足跡を追う。ここまで新しい痕跡となると、いつ目の前に現れるかわからない。
ゆっくり動いているのに、緊張と興奮で段々と息が荒くなる。地形が険しく無いのが唯一の救いだ。こんな未知の状態の上に急峻な地形だったら、もう心が折れていたかもしれない。
しばらく足跡を追い、なんとか跨げる程度の倒木に差し掛かった所で完全に足跡が途切れた。
「あれ?全然ないな。どこ行った」
さほど大きくもない倒木の周りをグルグルと探し回ったが、倒木の手前でプッツリと足跡が消えている。
「バックトラック・・・?」
追手に気がついた動物は、自分の足跡を踏んで後退し、そこから横に飛んで逃げる事がある。それをバックトラックといい、日本国内でもヒグマがバックトラックで隠れハンターを返り討ちにしたなんてこともある。
鹿はバックトラックしないはずだが、そもそもここは普通の世界じゃないし、相手が本当に鹿かどうかすらまだわからない。
とりあえず前方だけではなく最後の足跡を中心にいろんな方向を探してみるが、なかなか見つからずに焦る。
---遥後方
ダークエルフ達3人組は、右往左往しだした春人を静かに観察していた。
「・・・何してるんだあいつは?新しい足を見つけたならさっさと追えばいいものを」
いつも以上にイラついた口調でエルクが呟く。
「きっと飛ばれたんだよ。しかも割と遠目に。よくあることじゃないか」
「飛ばれたとしても足跡の続きがその先に続いてる。足跡が向いてる方に向かえばいいだけ」
「本当にあいつは大物を狩った事があるのか?いくらキツネ狩りができても大して意味がない。鹿の基本的な行動すら理解してないじゃないか」
「まあまあ、彼にとっては初めての場所だし、もうちょっと気長に待ってあげないと厳しいんじゃないかな?彼が今まで狩って来た獲物と、ここの獲物が同じようなモノとは限らないしね」
「ふん。役に立たなければ我らの森から叩き出すだけだ。どこの馬の骨ともしれない連中を養ってなんかやれないからな」
ターミンのおおらかな意見に対し、エルクが態度を変えることはなかった。
「はぁ・・・また探し直しか・・・」
途切れてしまった足跡を諦め、とりあえず最後の足跡が向いている方向に向かうことにする。一応、足跡が途切れた倒木にナイフで矢印をつけて、来た方向がわかるようにしておく。こんな土地勘がない場所で万が一迷ったら悲惨だ。エルク達が迎えにきてくれる事もあまり当てにしない方がいいだろう。
静寂に包まれた見知らぬ森の中で、またゆっくりと進んで行く。獲物を見つけるのに頼りになるのは今までの経験と五感だけ。どんどん心細くなってくる。
時折、小枝の先を来た方向に向かって手折って痕跡を残す。腕時計を見ると1人になってから既に1時間半ほど経っている。この地域がどのくらいの時刻で暗くなるのかわからないが、行き帰りの時間と獲れた獲物をバラすことを考えると、獲物を探すのに使える時間は残り5時間ほどだろうか。
忍び猟で使える5時間というのは、そんなに長い時間ではない。獲物を探しているとあっという間だ。
とはいえ、焦っても仕方ないので五感を研ぎ澄ませながら慎重に進むしかない。自分より遥に索敵能力が高い相手に挑む以上、慎重になりすぎて悪いことはない。
そうしてまた1時間ほど過ぎた頃だった。
カサ・・・カサ・・・
と微かだが何かが動く音が聞こえた。
動きを止めて気配を殺し、更に耳と目を凝らして周囲を探る。獣の足音のようでも、鳥が遊んでいたり、単に折れた枝が落ちる音という事も良くある。音源は近いはずだ。正体がわかるまで出来る限り頭も動かさず、眼球だけで観察する。
カサ・・・パキッ
音が続き緊張が高まる。自分の心臓の音が煩い。パキッと枝を折る音は大きめの生き物が出す音の可能性が高いのだ。
「・・・?」
音は近いはずなのに姿が見えない。そもそもここは異界の森で、相手が鹿だという確証もないが・・・
動きたくなるのを我慢してゆっくりと周りを観察し続けると、目の端に何かを捕らえた。
「・・・マジかよ」
思わず小さく呟いた。それは確かに鹿だった。探し求めていた獲物の姿をようやく捕らえた。50~60m先で、その鹿は悠々と葉を食んでいる。さっきの音は木の葉を食べる音だったようだ。灰褐色の体毛、立派な角。ここからみてもかなり大きい立派な鹿だ。
そして、その鹿は何もない空中に立って樹上の葉を食べていた。