お肉と道具
「とりあえずさっさとバラそう。デカイし」
「ああ、そうだね。我々も手伝うよ」
そう言いながらターミンがさっとマントを脱ぎ、腰につけていた革の鞄から鹿角のグリップがついたシンプルなナイフを取り出した。
「ターミン。あまり手を出しすぎるな。解体も重要な技術だ。ハルトにやらせろ。私は観察させてもらう」
そう言いながらエルクは近くの木にもたれかかって腕を組み、早くしろと言いたげな目つきでこちらを睨め付ける。
2人の後ろにいたサンバーは、いつの間にか鹿の近くに行ってしゃがみ込んでいる。どうやら近くで見るらしい。
ターミンはエルクの指示に肩を竦め、
「すまないハル。必要最低限程度の手伝いはさせてもらうよ」
「しゃーないね。じゃあ始めよう」
ゴム手袋をつけ、普段から解体で使っているBUCKのハンティングナイフを手に鹿の解体に取り掛かる。デカくても身体の作りはそんなに日本の鹿と変わらないだろう。
いつもどおり、鹿の胸骨の上に刃を入れて毛皮を切り裂き取っ掛かりを作る。
そこにガットフックを引っ掛けて腹の方に向けて皮を裂いていく。
俺の使うアイテムに興味津々そうにしつつも黙っていたターミンだったが、ガットフックの登場でかなりテンションが上がったようで、
「おお!それは便利な道具だね!今度使わせてもらいたい!」
「ああ、これは中身を傷つけないからいいよ。いくつか持ってるから戻ったら一つあげるね」
「いいのかい⁉︎いやあ嬉しいね!ハルが使う道具は他にも気になるものがありすぎる!今度時間がある時に色々みせてくれ」
「もちろんいいよ」
そんな会話をしていると、嗅ぎ慣れた臭気に鼻を突かれた。どうやら腹の中の臭いもニホンジカとほぼ変わらないようだ。
胃腸や膀胱を傷つけないようにお尻の方まで皮を裂いたら、今度は胸から喉にかけて皮を裂き、食道と気管を引っ張り出して結束バンドで胃の中身が漏れ出てこないように締め、ナイフで切断する。
それからが一番苦手な作業だ。切断した食道を引っ張って、胃、肺、心臓、肝臓、胆嚢、腸などの内臓を全てを引き摺り出すのだが、色んなところが筋膜でくっついている上に血塗れでどこがどうなってるのかわかりにくいし、血で滑るので刃物を扱うのも難しい。
引っ張っては膜を切ってを繰り返し、大凡の内臓を外したら今度は直腸の辺りを結束バンドで締め、糞が出てこないようにして肛門の内側で切断する。これで漸く全てが外れる。
ドゥルンっと鹿の中身を全て外に出し、そこからハツとレバーを外し、血抜きの切り込みを入れてからミニゲームバッグ替わりの出汁袋にしまう。
内臓を抜いてがらんどうになった胴体の中に溜まっていた血を捨てた時、血と一緒に潰れた鉛がコロッと出てきた。おそらく一発目の弾頭だ。見るに、左前脚の付根辺りから入って肺を破壊して背中側の肋骨で止まっていたようだ。
しっかりバイタルに撃ち込んでいたのにあんなに動いていたとは驚きの生命力。ターミンは気がつかなかったようなので、血塗れのままそっとポケットに仕舞い込んだ。なんとなく見せない方が良い気がした。
取り出した他の内臓をどうするか一応聞いたが、大きい鹿の肺と胃腸は食べないらしい。
今のところエルクが文句を言ってこないので、やり方は彼らの流儀からそんなに外れてもいないのだろう。チラリとエルクを見やると割と興味深そうに見ているようではある。
「ハル、あまり時間がない。少し急ごう。エルク、皮剥くらいは手を出してもいいだろ?」
鹿の脚を持ったりちょっとしたサポートをしてくれているターミンが立ち上がって伸びをしながら言う。確かに少しづつ日が陰ってきてしまっていた。
「その程度なら好きにしたらいい」
「了解。じゃあハル、とりあえず吊り上げている前脚から頼むよ。僕は後脚からやる」
「オッケー。じゃあサクッと剥いちゃおう」
鹿の皮剥は好きな作業だ。皮下脂肪の少ない鹿の皮は、最初の切れ込みさえ入れれば極端な話し素手でも剥ける。
まず人間で言うところの足首の関節の周りにグルッと一周切り込みを入れ、そこから脚の付け根に向けてナイフで皮を割いていく。
毛皮も取るらしいので出来るだけ丁寧に切り込みを入れて剥ぎ、片側の脚と背ロースを切り出し、吊っていたロープを外しても反対側も同じように剥皮して脚と背ロースを取る。
これで大切な所はほとんど終わりだ。普段なら後は内ロースを外して完了だが、ターミン曰く肋骨も背骨から外して持ち帰るとのことなので、首を切断し(頭もそのまま持ち帰るらしい)肋骨の付根をブッシュマンナイフと折畳みノコギリで落とした。彼らダークエルフ達はこの作業を短剣で行うらしい。正直、獲物がデカい上に内臓と背骨を除いて全てバラして持ち帰るのはかなりの重労働である。
やっと解体が終わった時、森の中はすっかり暗くなっていた。
「・・・まあ、いいだろう。切り方は我々の作法と違うが肉も無駄にもしていないし、毛もそんなに付いていない」
バラし終わった肉をチェックしながらエルクが言う。
あの手厳しいエルクが酷評しないんだから合格点だろう。正直、かなりホッとした。
「ただし---」
そう言ってエルクは銀の髪を靡かせ、振り返りざまに指をつけつける。
「道具が多すぎる!あんなに何度も色んな道具に持ち替えるのも、それを持ち歩くのも無駄だ!減らせ!」
道具の多さはエルク的減点ポイントらしい。
「ええ・・・。便利なものはあった方がいいと思うけど」
「自分の技術でなんとかしろ!次回は多くても刃物は2本までだ。いいな?」
「いやぁ厳し---」
「わかったな‼︎」
「さ、サー・イエッ・サー!」
反論の余地は無かった。
「便利な道具というのは素晴らしい物だが、それが壊れたり無くした時に技量で補えなくなるなら先ずは使うな。十分な技量を得た上で必要な物を取捨選択しろ」
「まあ、一利あるけど・・・」
「わかったら研鑽することだな。さあ、荷造りして村に戻るぞ。ターミン、サンバー、肉を分担してくれ。急ごう」
勘違いか単に慣れただけかもしれないが、なんとなくエルクの態度が最初より軟化したような気がしてきた。
自分も手を動かしながらテキパキと指示を出して後片付けを進めるエルクはやっぱりプロというか、この世界でそうやって生きてきたんだなと今更ながらに思う。
残滓はそのまま放置すると厄介な魔物を居着かせたり、疫病の原因になるので適当に穴を掘って埋める。これはこの世界も共通のルールのようだ。
村に近かったり獲物が小さければ全て村に持ち帰るらしいが、今回はサイズ的に無理だった。
レジャーシートに並べた肉をそれぞれ分担して背負い、荷造りを終えて帰路に着く。
後脚一本とハツとレバーをゲームバッグと出汁袋に入れて背負い、更に馬鹿でかい鹿の頭もリュックになんとか括り付けて背負う。大きな角が両サイドから飛び出しているし、影だけ見たら異形のモンスターだ。
角だけ切り落として持って行こうとしたが、エルクが持って帰れと言うので渋々頭ごと持ち帰ることになった。しかしとんでもなく重いし、疲れ切っている時には正直シンドい荷物だ。
「この袋、便利」
丸めてゴミ袋に入れた鹿の皮を背負って俺の前を歩いているサンバーが、振り返らずにポツリと言う。
「やっぱりあの鹿もダニだらけだったしね。それに入れておけばとりあえず運ぶ時に体に移ってくる事ないから、入れた方がいいよ」
「そうする」
「しかしハルト、お前の弓矢は本当に恐ろしい武器だな。遠くから一度射かけただけであんなに身体を破壊するなんて。オーガが至近距離から槍を突き込んだような威力じゃないか。毛皮を綺麗に取りたい獲物に使うのは向いてないな」
「まあねー。本当に危ないモンだよこれは。役に立つけど、ちゃんと資格を得て鍛錬しないと危なすぎて扱えないからね。俺の国ではほとんどの人が持ってないし。・・・てかオーガとかいるのか」
「いるぞ。ほとんど出会うことはないが結構話のわかる連中だ」
この世界にいる他の種族の事や銃の事なんかを互いに質問し合いながら帰路を急ぐ。
途中、何か生き物の気配もたくさんあったが無視したりこちらの気配を消してやり過ごしたりと、なかなかスリリングな道のりだ。
そうして漸く、吊るしておいた狐を回収し森の出口まで到着した。