ライオット・オブ・ゲノム 〜ガイオン戦記〜
騎士団長の称号をジュダムーアに与えられた叙任の儀式、あの日から野獣は考えることに飽き飽きとしていた。
騎士志願の貴族を相手にすることに? いや、それは副団長に任せている。
国の防衛や陣形と作戦を立てることに? いや、それも副団長に任せている。
ジュダムーアの身を守る近衛兵の選定? いや、それも副団長に任せている。
「ガイオンッ!」
唸り声が先か、扉が開かれるのが先か、全く分からないほどほぼ同時にけたたましい音が鳴り、商人曰く最高級の逸品である絨毯をズカズカと踏み鳴らして乱れ髪のイオラが迫る。
「お前ッ! 騎士志願者の育成と国の防衛作戦とジュダムーア様の近衛兵選定全てを私に回してどうするつもりだ!」
金槌の如く振り下ろされる拳、剥き出しの怒気。
副騎士団長が騎士団長に食って掛かる光景は、周りから見れば無礼極まりない騎士道に反した行いだ。
礼儀に欠け、主君の品位さえ疑われる蛮人のような荒々しい態度、降格すらありえる状況だが、それは騎士団長の怠慢さを天秤に掛けなかった場合に限る。
「イオラ、何で怒ってるんだ?」
「何で怒ってるんだ? じゃない! 私に仕事を押し付けるな」
丸めた羊皮紙を事務机に置くやいなや全て開く。
「騎士団志願者へ向けたスピーチ作成に国の防衛に置ける兵士の配置と武具の供給。更には商人ギルドから護衛の依頼も来ているではないか! 私一人に全て押し付けるな!」
ガイオンの座る机をひっくり返す勢いで捲し立てる副騎士団長。
対する現騎士団長はというと……、
「ガハハッ! なんだそんなことか」
「そんなこととはなんだ! 国の重要事項だぞ!」
「俺のカンだとどれも重要じゃねーよ。でなきゃ俺の字で書かれた書類が通るか」
「……あれのことか」
国の祭事に備品リストがガイオンの手元に何通か届けられるのだが、それらのサインにガイオンは騎士団長という立場とは思えない拙い字を書いて書類にサインしていったのだ。
元々、ガイオンはイルカーダという武芸を重んじる国の出だ。武芸に目を付けてもらいそれ一筋で騎士団長という立場にまで駆け昇ったガイオンにとって武芸以外は単なる子守唄でしかなく、それでも騎士団長として事務仕事もこなせているのは幼馴染のイオラの存在が大きい。
「あれは酷かったな」
「お前の真面目さにはいつも助かってるぜ、今度宴会開く時にはたけー酒じゃんじゃん奢るぜ!」
ガハハハッ! 豪快且つ爽快な太い笑い声が響く。
イオラの溜息が霞む程に。
「全くお前は……、それで騎士団長、仕事は捗っていますか」
「いや、全然」
「ぬっ、なら私から仕事をいくつか流しましょうか、その中に捗るものもありますよ」
目鼻立ちの良い顔に青筋を立てながら、手本のような澄まし顔で副騎士団長が提言する。
対するガイオンは、
今も、
机の上で頬杖を着き静かに目を閉じていた。
「いらねぇ、それに、野生のカンが囁いてるんだ。そろそろ大きな仕事が来るってな」
仕事をしたくない言い訳のように聞こえるが、副騎士団長が顔をキリリと強張らせる。
そう、単なる勘じゃない。
野生のカンだ。
コンコン、扉が叩かれゆっくりと開かれる。
「団長殿、報告します。先程、南方から訪れたというシルバーと見られる女が盗賊被害を訴えて来たのですが、どう致しましょう?」
「もちろん、話しを聞く」
口元に獰猛な笑みを浮かべていた。
□■□■□
「それで、あんたが盗賊から逃げてきたっていう女か」
「はい」
「どこ出身だ?」
「南方にあるイーリスという村出身です」
「そうか。おい」
扉に待機してる兵士に声を掛ける。
「イーリス村を管理してるのは誰だ?」
「ハッ! 南方ですとヴァイン侯爵かミローネ伯爵かと思われます」
「ヴァイン様です。村に加護を与えて下さっているお方です」
女は淑やかに答える。
シルバー特有の白い髪にはほんのりと銀色が差し、瞳はジュダムーアよりも薄い赤色。
パッと見十八歳から二十歳に見えるが、魔力の強さに比例して寿命はある程度定まっているために見た目は考慮に加えられない。
「ヴァインは盗賊から村を守ってくれなかったのか」
「あなた! ヴァイン様を呼び捨てにするなんてどういうお考えですか!」
女がヴァインに対してどれほどの忠誠なのか分かった。
「すまんすまん、で、そのヴァイン様だが、お前らを助けなかったのか」
「助けてくださいました。ええ、助けてもらって、それから……」
表情に陰が差し込み、女は暗く傾く。
問題はこの先にあるらしい。
「ガイオン騎士団長殿、地図を持って参りました」
「おう! あんがとな」
応接室にイオラが現れ、手に持ったエルディクタール周辺の地図を広げる。
部下やお客の前では凛とした態度で対応する。
最初はむず痒く感じた、何せ幼馴染がかしこまって話すんだ、やりにくい。だが、そんなの数日経てば気にすることも無くなって、今ではすっかり日常だ。
「ここだ」
一箇所に細い人差し指が当てられる。
「南方にある村で、ここエルディクタールに最も近いのはこのイーリス村です。そして、ここ周辺はヴァイン侯爵が治めていて、月に一度特産品であるマルベリーマッシュルームを納めに参られるようです」
「……ご苦労」
地図だけでここまで情報を引っ張り出したことに驚き一拍の間が空いた。
こういった情報の把握と理解には幼い時から秀でていたため、もう驚くことはないだろうと思っていたが、まだまだ成長途上らしい。
「それで、お主はここからこの城まで逃げてきたと?」
隣に腰掛け、指した指先をスッとなぞる。
「はい、そのとおりです」
「なるほど。しかし、この城からイーリス村までは馬を使っても一日かかる計算だが、お主はどうやってここへ辿り着いた?」
「途中までは馬で逃げました、けれど、途中で馬が倒れて、その後は走ってここまで」
「そうか、だが、それにしてはお主……」
「あーもういいだろ」
腰を持ち上げ大きく伸びをしながらガイオンが言った。
「俺が盗賊を退治する」
「はぁっ!?」
イオラの叫び声に女が目を丸くする。
「おまっ、団長殿本気ですか! 危険ですよ」
「んなのやらなきゃ分からないだろ」
「しかし、相手は魔法の使い手で名高いヴァイン侯爵を倒している可能性がある。もし倒していた場合、腕は相当なものですよ」
あー、そうだったっけ?
騎士団長誕生の際、宴が開かれ何人か挨拶に来たのは覚えてる。その中にヴァインという奴がいたのも覚えてるが、正直興味は無かった。
目の前に酒と飯が並んでいたら、選ぶ物など決まってるからな。
「ガハハ、なら力比べだ! エルディクタール騎士団の中で一番強い俺と、ヴァインを倒した盗賊どちらが強いか勝負だ!」
また無茶が始まったという嘆息と、ヴァイン様は倒されてなどいない、という叱責を背に受けながら、ガイオンはイーリス村に赴く事となった。
□■□■□
「この先にイーリス村があるのか」
「はい、そうです」
外套のフードを後ろに捲って、イーリス村への道なりを凝らした。
マルベリーマッシュルームが特産品と聞いて薄々予想出来ていたが、辺り一帯山だらけだった。
今踏みしめている地面も緩く斜めがかっていて、もうすでに山の中にいることを実感させられる。
「なあ、ところでお前の村って酒美味いか?」
「いえ、私の村ではあまりお酒はで回ってないので、それと、お前ではなくベルです」
「あー、そうだったな、ガハハハ!」
朝焼けを背に二人は歩く。
エルディクタールから馬車で半日ほど揺らされ、途中からベルの案内に切り替わる。
長い旅の間、ガイオンは身分を隠すために外套で素顔まで隠し、ベルの付添人として会う人々に接してきた。
イオラ曰く、あまりにも顔が知られているため、驚かせないための考慮らしい。
もっとも、素顔をフードで隠しても分かる奴には分かるらしく、馬車に乗るまでは変わらず親しい人に声をかけられたりした。
「もうじき村に着きます」
「おう! 盗賊共を蹴散らしてやるぜ」
「……あの」
ベルが立ち止まり、ガイオンも歩を止めた。
「先程から気になっていたのですが、その手に持っている紙はなんですか?」
ガイオンはこれか? といって読んでいた手紙を軽く振って見せる。
「面白くねぇー手紙だ。応接室でもう一人俺の隣で話しを聞いてる奴がいたろ、そいつからだ」
見るか? と手紙を差し出してみるも、結構ですと突っぱねられる。
ベルがこの旅の中で初めて興味を示したものなので、見せてもいいかと思ったが、思ったとおり読みに来なかった。
会話の無いまま半刻程歩くと、流れる勢いが激しい川が現れ、その上に架けてある橋にベルが踏み入る。
「なあ、村まではどのくらいだ」
「もう目の前です」
先程から同じ返答ばかり帰ってくる。地元の人間にはこの道はどこも同じ距離に感じるのだろうか。
日はすっかり天に居座り、時間の流れをそれとなしに伝えてくる。
「あー、何か食い物持ってねぇーか? ベル、ベル?」
「……」
タッタッタ。
ベルはガイオンよりも先に橋を渡り切った。
ザッザッザッザッ。
「お前ら、誰だ! ベル逃げろ!」
様子を窺っていたらしい薄汚れたローブを身に纏った人物が前方に二人、後方に二人、計四人現れる。
このままでは危ない、そう思った時、「案内するのも疲れるものね」と、状況に似つかわしくない戯言が耳を打った。
「おまえ」
「人の名前もろくに覚えず、ヴァイン様を呼ぶ時はいつも呼び捨て、なに? 騎士団長って脳筋猿が務めるものなの?」
「……随分と元気になったな。てっきり無口だと思ってたんだが」
前に足を運ぶと、ベルが片手を天に掲げる。それに答えるようにしてローブの人物達がそれぞれ杖をこちらに向ける。
「盗賊がいるって話しは嘘じゃなさそうだな」
「盗賊何かじゃないわ! これは、革命よ!」
ベルの淡く燃ゆる眼がガイオンの眼を射る。
「ジュダムーアの暴走を止める! それにはまずあいつの戦力を削る必要がある。そのために、あんたはここに連れてこられたの!」
ベルは悲壮と憤怒が混じったような顔でここまで連れてきた経緯を話す。その顔と姿は悪人というよりも生に囚われた生霊だ。
「だが、俺をやったところで城を攻め落とすには色々足りないんじゃないか」
「その心配はありませんよ」
馬の蹄が軽快に土を踏み鳴らす音。橋の近くまで寄り馬から降り立った男は手綱をローブの人物に預けて前に立つ。
長い長髪を先端で結いている。髪の色は混じりけの無い白。
ガーネットか。
「ごきげんようガイオン騎士団長。お久しぶりだね」
「……あー」
全く覚えていない、誰だっけこいつ。
「手荒な真似になってしまって済まないね。だが分かってくれ、これもシルバーである君のためにもなる話だ。未来永劫あの暴王に恐れる心配が無くなる。これは素晴らしいことなんだよ」
ベルが「素晴らしいですヴァイン様」と甘く慕う声を漏らす。
こいつがヴァインか。
「どこが素晴らしいんだ。ジュダムーア……様を倒したとして、混乱する国を誰が治めるんだ」
「もちろん、わたしだよ」
いけ好かないにんまり顔で答えるヴァイン。
堪に頼らなくても、こんな小賢しい手を使う奴の心内なんて分かっていたけど、それにしたって気持ち悪い。
「そういえば、準備に必要な物だったね。それはミローネ伯爵が用意してくれてる、もっとも、王になる話しはしていないけどね」
「あー、話しは終わったか?」
駄目だ、やっぱり長話しは苦手だ。
宴会の時に長く自分語りをする奴とおだてる奴の二種類がいた事は覚えてる。
ヴァインは前者のようだ。
「済まないね、つい気が緩んでしまった。打て」
自分に酔った侯爵が手を掲げ、振りかざすとローブの人物達が一斉に杖をガイオンに向け、風の刃や雷の鞭や炎の雨や水の鉛玉やらを浴びせた。
橋は魔法の威力に耐え切れず破壊され、寂しくロープを川へと垂れた。
「フッフッフッ。さよなら、騎士団長殿」
ローブの男から手綱を受け取り鞍へ跨ぐヴァイン侯爵。
「ガハハ、おいおい、呼んでおいてこれで終わりは無いだろ」
うぎゃ! うごっ!?
「なんだ!」
振り返ろうとすると、今度は侯爵の側で悲鳴が上がる。
事の事態に気付いたヴァインは馬の腹を蹴って急かし、村の方へ逃走を試みる。
反転。
「うおっ!? ……なぜ落馬している」
馬が離れた所で悶ている。
不吉でも感じたのか、さっきの気味悪い顔から面白い顔になっている。
「ヴァイン様!」
「うおっと、ベル、落ち着けよ。何もしねーって」
「き、貴様ッ! そこにいたのか!」
ベルの手を掴んだガイオン。それを睨みつけながらヴァインが立ち上がり腰に携えた剣を抜き放った。
「最初に言っとくと、こうなることは分かっていた」
「なぜだっ!」
「野生のカンだ」
ヴァインにとっては緻密に計算された計画だったかもしれない、だが、野生のカンに計算なんて飾りは通用しない。
「こいつの手だ」
「手?」
ベルの手をヴァインと彼女自身が注目する。
「馬で逃げてきたって言ったな、盗賊に襲われてる状況なら馬を全速力で走らせたはずだ。もちろん、振り落とされないために、手綱だって強く握りしめたはずだぜ」
「……あっ!」
ベルが、自分の手を平を見て気付く、真っ白な手だと。
「ガイオン殿、どうやらわたしはあなたを見くびっていたようだ」
剣先がガイオンに向けられる。
「やはりここは、次期国王となる者の手で始末しなくてはな」
「良いぜ、一騎打ちだな」
ガイオンは手を放しベルを逃がす。走り去っていく女に二人の男は目もくれずに睨み合う。
動いたのは、
「死ねぇ!」
ヴァインは剣に氷を纏わせ横薙ぎに振るった。
ガイオンの左腕が凍る。
「見たか! これが伝説の『氷瀑』だ! 終わりだ!」
「これが氷瀑? アイザック将軍の――」
首筋へ迫る刃、凍る左腕。
ガイオンは、怒った。
「アイザック将軍を舐めるんじゃねぇよッ!!」
「ぐふッ!?」
斬りかかる手を右腕で抑え込み魔力でかさ増ししたジャンプ力で繰り出した飛び膝蹴りがヴァインのみぞおちに深くめり込んだ。
ヴァインは馬同様に吹き飛ばされ、木に強打して止まった。
「俺の、俺達の英雄をこんな氷と一緒にするな!」
左腕に力を加えると、名ばかりの氷はひび割れ日差しの中蒸発していった。
□■□■□
「ガハハハ。一仕事終わったな」
「どこかだ、ヴァインやミローネ、思想に感化された村人の後処理とこれから大変だぞ」
ガイオンがヴァインを倒している間、イオラはガイオンに付けさせていた伝達魔法の得意な部下からミローネも共犯だったことを知って、ミローネの屋敷へ出向いて捕らえていた。
ガイオンはというと、紙に書いてある『動きがあれば合図を送れ』の指示通り、簡単な火の玉を宙に打って、遠く離れた部下達を集めてヴァインとベルの無力化に取り掛かったのだ。
「それにしても、これは無理やりだな」
木を上手いこと並べただけの簡易的な橋のもと、切り立った岩の壁に大きな穴が二つ穿たれている。
「魔法を軽減するローブのおかげだな。守ってる隙に崩れる橋に捕まって、壁に拳と蹴りを入れてよじ登る。対岸には大きく飛んでヴァインに一発入れる。ガハハハ!」
事の結末を聞いてイオラと周囲にいた騎士達が皆苦い顔を浮かべた。
「お疲れ様だ。さて、私は仕事が残っているから先に帰らせてもらう」
「俺も帰るとするか、おっちゃん、美味い酒仕入れてくれてるかな」
「? 何を言ってるんだ、団長殿はここで後始末が済むまで滞在だ」
「はあ?」
馬に跨がるイオラがニヤリと微笑む。
「当たり前だろ、何せこれはお前の仕事だからな」
その意味が何を指してるのか気付いた頃にはイオラは走り去っていて、追いかけようとすると後ろから部下達が各々質問を掲げる。
「きっちりこなせよ! ガイオン!」
「イオラッー!!」
野獣の悲痛な叫びがこだまするのだった。