プロローグ 第2話 焼失
テスラは無我夢中で走った。普段は避ける茨で手を切って血が出てるだとか、荒い呼吸や草木をかき分ける音が周りの動物を刺激しているだとか、そんなことにかまっている余裕など無かった。
「ハァ…ハァ…んっ…ぐすっ…」
抑えきれない動揺と恐怖心から涙がにじんでいるため、何度も木にぶつかりそうになり、ふらふらと何度もバランスを崩す。かすんで見えなくなりそうになる度に腕で目をぬぐいながら走り続ける。
「あっ…!こ、のっ…!」
生い茂る木に足を引っかけて顔からこけてもおくびにも出さない様子で進み続ける。
(半分くらいか…急がないと!)
テスラは先程上がった火柱とその場所に位置している村に視線と思考を全力で注いでいる。手や足のいたるところから血を流し、息を切らせながら全力で森を駆け抜けるその姿はまるで魔物に襲われ生死をかけて逃げる小動物を思わせるほどだ。
「まだか…!うっ…はぁ…はぁ…くっ…!」
テスラ自身に差し迫った命が危機があるわけではない、しかし彼の脳内には命の危機よりも恐ろしい最悪のビジョンが浮かんでいた。
「ハァ、ハァ…お父さん…!お母さん…!おばあちゃん…!セーラ…!」
ひたすらに家族を呼びながら走る。その様子からは頭脳も身体能力も優秀で周りからは大人と変わらない扱いを受けている天才少年の面影はない。たとえ優秀であっても、彼はまだ8才の幼い子供である。
「みんな…!何が起こってるの…?わかんないよぉ…」
体も心もまだ出来上がっていない未熟な少年が受け止めるには大きすぎるその衝撃に平静を保っていられるはずもない。テスラの頭にあるのは村がどうなっているのか、家族は無事なのかどうか、ただそれだけだった。
「ハァ…ハァ…やっと…ついた…早く…行かないと…」
まるで大陸を渡ったかのごとく感じられる長い長い帰路をたどり、森を抜けた先で村が見えたその瞬間、目の前に広がっていたのは信じられない光景であった。
「な…なに、これ…」
木材と藁で出来た民家の数々、庭先と道路を分ける木の柵、土地の肥沃さを表した畑や雑草の群生地、そんな村の平和と自然の象徴が全て火の海に包まれていたのだ。
「あ…あぅ…あぁ…」
テスラの口から言葉が失われた。目の前に起きていることを理解などできるはずもない、その状況はテスラ自身の理解を越えていたのだから。
「テスラ!?逃げろ!!こっちに来ちゃだめだ!」
「おじさん?!…おじさん!!」
突如として聞こえた知り合いの声に一瞬正気を取り戻す。しかしまだ冷静には程遠いため、聞こえた指示を忘れ、駆け出す。それがその男性を助ける為なのか、話を聞こうとしているのか、はたまた見つけた知り合いに無我夢中で向かっていったのか、それとも3つ全てなのか、とにかく今のテスラの頭では一つのことを考えるので精いっぱいだった。
「おじさん…!おじさん…!!」
「お前だけでも…逃げてくれ…この村の未来を…託す…!」
「おじさん!!おじさん!!!」
幸か不幸か、テスラの体は火の壁を隔てたの先にいる知人を求めることよりも、目前に迫った命の危険に対する恐怖が上回り、足がすくんで動けなくなってしまった。そのまま炎に包まれる男の姿をテスラは涙で半分以上ぼやけた視界で見つめていた。そのままテスラはしばらく呆然としていた。
「は…!お父さん!お母さん!おばあちゃん!セーラ!!!」
真っ白になった思考を取り戻し、テスラは自信の生家へと向かおうとした。すくんだ足に力を込めて立ち上がり、歩き出そうとした。しかし、当然火に包まれた中を進めるはずもなく、何度も行く手を阻まれ立ち往生してしまう。進みたい、家族の様子を確認したい、でも怖い、熱い、それは「思考」ではなくほとんど「本能」のようなものであった。それでもテスラは気力を振り絞って歩を進め、どうにか家に近づく手段を探っていた。炎は村を覆いつくすように燃え上がっており、どこからも侵入できるようなスキマは無い。
テスラの前に突如大きな影が降りてきた。長い首、大きく広げた翼、トカゲのような流線形の頭部を持つその姿は、竜そのものであった。
「ひっ…!」
輝くような白い鱗を身にまとい、ルビーのような青い目、村の半分を覆いつくさんとするような巨大な体躯がテスラの目に写った。
「あ…う…あ…」
口を大きく開き、目を見開いた表情で動かなくなったテスラの顔は、これまでの人生で経験した事の無い恐怖を如実に表していた。
「グルルルゥ…」
「あ…ああ…ぐすっ」
白い竜は喉を鳴らしながら顔をテスラの方に向けた。顔だけで体を覆いつくすほどの巨体にまっすぐににらみつけられ、テスラは腰が抜けて目から大粒の涙を流した。
「…?な、なんだこれは!?私は何を…?」
「え…?」
「?…あっ!」
「ひっ…!」
「こ、こんなことは…」
突然、白い竜の目から殺気が消え、今の状況に不審を覚えていた。何が起きたのか分からず唖然とするテスラを見つけた竜は、罪を咎められた様子でにうろたえながら羽ばたいていった。
「えっ…?ま、待って!…どこいくの!待ってよ!」
「すまない、この借りは必ず返す…すまない…」
明らかに人間とは異なる生物の口から人間の言葉が飛び出したことなどもはやテスラにとってはどうでもいいことである。この状況の原因を作ったのがこの白い竜であることは少し考えれば十分に推測が可能である。しかし、なぜこんなことになったのか、なぜ彼は謝っているのか、知りたいこと、聞きたいことは山ほどあるが、白い竜、伝説として語られるあるエンシェントドラゴンと同じ姿かたちをした竜、は何も答えずに羽ばたいてはるか彼方へと飛び去って行った。
「なんだったの…?」
「「あい!こっちだ!まだ生き残りがいるはずだ!」
「!!」
邪悪な悪意に満ちた声色で、助けに来たとは到底考えられないような内容の声を聞いたテスラはとっさにその場から離れた。
「いたぞ、こっちだ!」
「っ…!」
「あ!おい、待て!逃がすな!」
森の中から現れたのは黒いフード付きのマントをかぶった二人の男だった。