中編
乱暴に扉が開かれ、玄関先で靴を揃える間もなく、ドタドタを部屋へと飛び込み屑男。
結構いい所に住んでるじゃないか……まったく、恨めしいことだ。
屑男の後を憑けてきた先にあったのは、割と大きなマンションの一部屋であった。
扉をすり抜ける際にちらりと表札を見たが、どうやら屑男とその両親らしき三人分の名前が書かれていた。まぁ、親は関係無い。同じド屑だった場合は巻き込むかもしれないけどね。
その屑男だが、自分の部屋に入ってからオーディオプレイヤーの電源を入れ、大音量で曲を流し始める。まったく、もう少し他の住人の事を考えないと駄目だぞ?
そのままベッドに飛び込むと、布団を被り周囲を警戒しているようだ。
「だ、大丈夫だよな?お祓いもしたし、そもそもおれには何の関係無いし……」
お寺で貰ったであろうお札を手に、ガタガタと震えている。屑のような行動は平気で出来る癖に、肝っ玉は小さい男である。
本当なら、すぐにでも出ていってヤリたいところではあるが、ここがぐっと我慢だ。映画で見た怨霊達は、ぼくに緩急の大切さを教えてくれた。
まずは、一旦落ち着かせる。もう終わったんだ……そう思い込ませてから……イヒヒヒヒヒヒ!!
それから、数日が過ぎた。何も起こらなかったからだろう、屑男は普段通りの生活を送り始めた……それをぼくは眺めていたが、こいつは本当に屑だった。イジメは当然として、加奈以外の女性とも関係を持ち、中には脅して強要して事を為していることもあった。
まさにガチ屑。これは、地獄に堕とすくらいでは生温いと、ぼくは師匠に念話を送り、あるお方へ連絡を付けてもらった。師匠ですら、この方は絶対に怒らせるな、可能な限り関わるな!と言われたような大物である。今回に限っては、その大物さんの趣味志向に合致する案件だった為に、快くOKを貰えたとの事だ……師匠の人……霊脈?なんか、意味変わっちゃうような気がするけど……まぁ、付き合いの広さは流石であった。
「あぁん……博、やっぱり最高よぉ」「はは、そうだろ?」
そして、今日もまた奴らは乳繰り合っている。ここ数日の間に何も無かった事で、すっかり安心しきっている様子だ。お祓いが効いたのだろうと話ていた。
「それにしても、あの時の姿は何だったんだろうな?男の姿みたいだったけど」「……わたし、見覚えあったかも……あいつよ、孝弘よ。まぁ、あんな奴、ちょっとお祓いされただけですぐに消えちゃったみたいだけどねw」
やはり、加奈は気付いていたらしい。ほんの数日静観していただけで、おれがお祓いで消え去ったとか考えているようだ。
「あー、あいつか……そういえば、あんなだったか?あの雑魚、正直印象に残ってねぇんだよなぁ。まぁ、坊さんにちょっと頼んだだけで出て来れなくなるんだ。雑魚は死んでも雑魚ってことだなw」「ほんと、見苦しいわよねぇ」
と、そんな会話をしていた。こいつら、フラグ立てるの上手すぎないか?w
でもホラー映画で登場する男女って皆こんなものか……なんでかパーティーをしたがったり、二人で明らかに危ないだろっていう廃墟に行ったり……自分から呪いのビデオを見たりなんてのもあったなぁ……。
さてさて、どうやら二人共安心しきっているようだし、屑男もあの時のお化けがおれだったと知った訳だ。そろそろ始めるかなぁ。イヒヒヒヒヒ。
「はぁー。加奈の奴は相変わらずいい具合だったぜ。雑魚男もさっさと手をだしてりゃいいものを……ま、童貞の雑魚じゃ無理かw どっちみち、おれが寝取ってやってたしなwww」
屑男が家に帰ると、まだ両親は帰って居なかった。
共働きであり、そこそこの重役である二人は深夜に帰宅することも多く、屑男は両親にあまり干渉されることもなく、好き勝手に生きてきた。だからだろうか、ここまで歪んでしまったのは……。しかし、だからといって慈悲はない。自業自得、屑男の所業は余りに多くの人達の憎しみを買っていたのだ。
「♪♪♪」
お気に入りのCDをデッキに挿入し、大音量で曲を流し、ご機嫌な様子で鼻歌を歌っていた。
ザザ……。
その時であった、CDデッキから僅かにノイズ音が聞こえたのだ。
「ん?」
一瞬だった為、円盤に汚れでも付いていたのか?と考え、特に気にはしなかった。そして、そのまま服を脱ぎ、行為の後の汗を流そうとバスルームに向かう。
ザザ……。
そして、屑男が去った後、音楽が流されたままのCDデッキからは、再び小さくノイズ音が聴こえた……。
「ふぅ、ヤリまくった後のシャワーは格別だなw」
頭から熱めのシャワーを浴び、屑男はご満悦な様子。こびり付いた汗と体液が身体から剝がれて流れて行く、その感覚が屑男は好きだった。だから、行為の後にシャワーを浴びずにそのままにすることが多く、女性にもそれをさせていた。理由は簡単、自分の汗と体液がこびり付かせた女が他人も歩く道を歩く、それが興奮するからである。
暫くシャワー頭から被り、今度はボディーソープとタオルを手に取った。身体を洗うのだろう。だが、その時ーー。
ブツンッ
浴室の電灯がチカチカと点滅したかと思うと、いきなり消灯する。
「な、なんだ?」
屑男は慌ててボディーソープとタオルを床に落とす、周りを見渡す。もちろん、何かがあるはずもない。しかし、屑男は一度同じ状況を経験していた。だからこその警戒ではあったのだが、何も起きない……どうやら、ただ電気が消えてしまっただけのようであった。
「ち、びびらせやがって……」
屑男は浴槽のドアを開け、すぐ隣の壁にある電気のスイッチをカチカチと押すのを繰り返す。それだけで、明かりは蘇った。どうやら、なんらかの接触の不良か何かだったのだろうと、男は再び浴槽に戻る。
「~♪」
鼻歌を歌いながら、泡立てたタオルで身体を拭って行く。お気に入りの香りのソープだ。気分が上がらない訳がない。そして、次に待つシャンプーもまた御気に入りの物。機嫌良くシャンプーを手に取り、頭に付け泡立てて行く。
………………イヒ。
何か、視線を感じる。
目を瞑り、シャンプーをしているその背後……そこに、何かが居る……ような気がする。いや、居る、何かがおれを見つめている。じっとりとした、何かの視線を感じる!?
屑男はバッと後ろを振り返った!
しかし、そこには当然何も居ない。何も無い……。
「な、なんなんだよ……」
もう何も感じはしない。当たり前だ。ここには屑男一人しか居ないのだから……。
慌てて、シャンプーを流そうとシャワーの栓を捻る。熱めに設定したシャワーからは、設定通りの温度、ではなく冷水が飛び出て来た。
「ひぃ!冷たっ!?」
屑男は慌てて温度設定をしようと設定パネルに手を伸ばそうとした……何か、違う。何かが……水が、赤い。赤く、鉄錆のような匂いがする何かが、シャワーから溢れている……自分に降り注いでいる!?
「…………あ、が……」
思わず悲鳴が出そうになった。しかし、次の瞬間には違う、そう思った。一瞬目を瞑った瞬間、そのすぐ後には水はただのお湯に代わっていたのだ。設定通り、熱めの湯に……。
「なん、だったんだ……?」
気のせい見間違い、にしては妙にリアルであった。しかし、確かにそこには何でもない何時もの光景が広がっている。何時ものバスルームであり、シャワーから出ているのも設定した通りの温度のお湯。
何かがオカシイ、そんな気がした屑男は、慌てて頭を流しバスルームを後にした。しかし、それはずっとバスルームの天井から、じっと屑男を見つめていたのだった。
お風呂場で頭を洗っている時に感じる視線……後ろを振り返っても、そこには何も居やしない。しかし、決して上を向いてはいけない……そこにこそ、あなたを見つめる何かが居るかもしれないのだ……。
「疲れてんのかな……今日はさっさと寝るか」
部屋に戻った屑男は、ベッドに腰かけながらそう呟く。
さて、そろそろ始めようーー。
バタンッ!!
風もない部屋、だというのに何故かドアが激しい音を立て閉まる。お気に入りの歌手の歌が、何か別の誰かの声へと変わって行き、激しいノイズ音がスピーカーから溢れ出す。
歌は、激しいノイズ音ではっきりとは聞こえないが、徐々に大きくなっていく。と、同時に明かりもまでもが激しい点滅を繰り返し始めた。
「ひいいぃぃぃぃぃっ!? な、なんだ!!?」
屑男は激しく動揺し、慌ててドアへと駆けだし、ドアを開けようとノブを回した。ガチャガチャガチャ。何度も、何度もノブを回しドアを開けようとする。しかし、ぴくりとも動くことはない。
『……い……くい……にくい…………憎い……憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い』
やがて、歌ははっきりと聞こえるようになった。いや、それは歌などではない。ただただおどろおどろしい男の声。憎しみを訴える地響きのように低い声であった。
同時に、室内にある机や棚、壁に立て掛けた金属バットなどがガタガタと揺れだす。声に合わせるようにその揺れは激しくなり、ついには激しい音と共に床へと倒れる。
「あ、あああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!? な、なんだよ。なんなんだよぉ!? あのクソ坊主、全然祓えてないじゃねぇか!!」
お札だ!坊主から貰ったお札が最後の助けだ!!
屑男はお札の置いてあるベッドにまで慌てて駆け寄る。倒れた棚や机が邪魔で、なかなかベッドに寄ることが出来ない……その間にも、スピーカーからは男の怨嗟の声が激しく鳴り響いている。
だが、それでも、ベッドへは確実に近づいている。後少しだ……屑男はそう思い、足を動かす。ほんの僅かな距離が遠い。こんな事は初めてだ……もどかしい。そして、同時に感じてもいたーー後ろに、何かがいる。何かが這いずる音が聞こえる。こっちに這いずって来ている何かが居る……振り向きたくない、振り向いたら駄目だ、振り向いたら追い付かれるかもしれない。追い付かれたらおれはどうなる?何をされる?おれは何をされるんだ!?
恐怖で顔が歪む。死ぬ?捕まったら、死ぬのか?嫌だ!死にたくない!!ただの一心で屑男はベッドへと飛び付く。素早く布団を被ると、そこにあったお札を手に「消えろ、消えろよ!頼むから消えやがれぇ!!」。その効果は劇的であった……スピーカーからの音はピタリと止み、家具の震えも止まった。明かりも、今は普通に点灯している。
「は、はは……な、なななんだ。ちゃ、ちゃんと効果あるんじゃねぇか……ははははは」
お札を握りしめ、布団から顔を出した屑男はほっと息を吐いた、その時ーー。
『……む~だだよ~……』
にゅっと、その顔が目の前に現れた。どこかから飛び降りたのだろう、その顔は歪み片目が無く、そして血み塗れている。そして、その顔はニタァっと笑いに歪んで……。
「あ、が……ぎゃああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
ーー屑男はその意識をどこかへと手放したのだった。
うん。ま~だだよ~に掛けて、む~だだよ~にしたのは、我ながらいいチョイスだ。どんな時でもある種のユーモアは必要だと、何かで聞いたからね。さて、続きは屑男がまた目を覚ましてから……安心してよ、ぼくは君が狂うまで、傍に憑いていてあげるからね……イヒヒヒヒヒヒヒ!!
屑男の両親は、仕事で問題があり、しばらくは会社から離れることが出来ない……ように、書類なんかをめちゃくちゃにしてやった。ごめんなさい。
さて、ご両親が仕事を終わらせてしまう前に、始末を付けなきゃね……イヒヒヒヒヒ
「……はっ!?」
屑男は目を覚ますと、がばりと飛び起きた。慌てて回りを見渡す。そこには惨状が広がっていた……夢では無かったのだ。
「あ、あの顔は……あいつだ、あのクソ雑魚の顔だった……あいつ、おれを……お、お前を裏切ったは加奈だろ!?おれじゃなくてあいつの所に行けよ!!あいつが自分からおれに股を開いてるだけだろうが!!?」
そう叫んだ。
だが、返事などあるはずもない。
しかし、音だけは聞こえた……ずる……ずる……と、何かが這いずるような音だ。
「ひっ!?」
ずる……ずる……。死因は飛び降りだったと聞いた。なら、この音は……死んだ、その姿のままに這うその音なのだろうか……。
ずる……ずる……ザザ、ザザァ
その音に紛れ、またスピーカーから音が、声が漏れだす。
『憎い、どっちも憎いお前たちが憎い、憎い憎い憎い憎い憎い憎い……死ね、殺す……死ね死ね死ね、殺してやる……イヒ、イヒヒヒッヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒィィィィィィッ』
ずる……ずる……ずる……ずる………………。
「あ、あああぁぁぁぁっゆ、許して、許して許して許して許してっ!!!」
ガタガタガタと屑男の身体が揺れる。逃げ場など、無い……ドアも開かない……いや!!まだ、ある……そう、窓があった。この部屋には窓がある!!しかも、窓の外はベランダがあり、避難用の間仕切りを壊せば逃げることができる!!!
屑男は立ち上がり、窓に向かって駆け出す。その際に、床に転がっていたバットを拾う。開かないのならば割ってしまえばいいのだ!多少はガラスで怪我をするかもしれないが、それが何だ!ここから逃げ出せるのなら何の問題もねぇ!!そして、バットを振り上げ、窓ガラスに向かい振り下ろーー。
ずる……。
何かが、何かが足に触れた。冷たい、何か……それは屑男の足を掴んだかと思えば、とてつもない力がその足を引いた。
「い、嫌だ、やめ……っ」
ばたん。
屑男は無様にも床に倒れ伏す。そして……。
ずる……ずる……ずる……。
引っ張られ続ける。
その何かは、ニタァっと歪んだ顔をさらに歪めた何か……人ではない、人の形をした何か……。
ずる……ずる……。
「ひ、あああああぁぁぁぁぁぁぁっ!!?」
ずる……ずる……ずる……ずるるるるるるるっるるるるるるるるうっるるうるっるうるる!!!!
屑男の姿は、決して入るはずもないベッドの下の隙間、僅か、20数センチほどの隙間に引き摺り込まれていった……血飛沫と共に……。
こ、こええええぇぇぇぇぇぇぇ!?
え、ナニコレ。確かに、屑男を引き摺ったのはおれだけど、最後の瞬間だけは違う。ベッド下の暗闇の中、黒く蠢く触手が見えた……それは、ぐちゅぐちゅぐちゅと屑男を楽しそうに咀嚼していらした。
この触手様こそが、師匠に頼んだあの方である。師匠達は深淵さんと呼んでいるお方だ……性根の腐った人間が好物であり、それが肉だろうか魂だろうが美味しく頂けるという何か言葉にするのもおぞましい何かなお方である。
「え、えっと……この度は、まことにありがとうございました。なんでも、ぼくが殺しただけじゃ地獄に堕ち転生するだけの屑の魂を、永遠に意識を残したまま咀嚼し続けて下さるようで……」
ガム、かな……?
気にするな、というように一本の触手が蠢く。その触手には、万遍なく目玉が付いており、ギョロギョロと動いている。おぉう……悪霊じゃなきゃ、確実にSAN値チェックで終わってたな……。
お礼を言って深淵さんには帰って頂いた。その間も、ずっとぐちゅぐちゅという咀嚼音と、屑男の絶叫が聞こえていた。
まずは、一人……待っててね、加奈……イヒヒヒヒヒヒヒ……。
屑男への復讐でした。
悪霊ですもの、何を言っても自分がすっきりするまでは改心なんてしませんよ?